かなしい人


 *


 ハル兄から外出禁止令を出されていたので、バカ正直に玄関から出るわけにはいかず、魔女のマントと魔力を駆使して安全に出窓から飛び降りた。

 小鳥遊家のように、一階から出入りするのとはわけが違う。マントがなければ、前回の依頼者――ダイチくんの二の舞を踏んでいたかもしれない。

 あそこまで幼い子供ではないので、さすがに受け身くらいは取れるだろうけれど。

 さして意味のないことをぼんやり考えながら、マントを脱ぎ、小脇に抱えた。荷物になるけどしかたない。帰ってきたときにも使うだろうし。

 行先の見当はついている。おそらく人と接触することになるから、できるだけ警戒されない格好で行くべきだろう。

 そう思いつつ、かたく握っていた右手を開くと、手中では、指輪が急かすように輝き続けていた。

 さすが、彼女の想いを受け継いでいるだけのことはある。

 小さく苦笑してから、指輪が示す方向に従って歩き出す。

 どこか切なげに薫る風。いつもより高く見える空。鮮やかに色づいた遠くの山々。

 秋の深まりを感じながら秘密の森を抜けてさらに歩を進め、例のコンビニに差し掛かったとき、僕の魔力が、意外なものを察知した。

 かすかに、彼女の気配がする。しかも、昨日、間近に感じていたのとは少し違う。せいの気配だ。

 あのときはまったく気づかなかったけれど、よく見ると、目の前のアスファルトに、白くかすれたような跡が残っていた。

 十年も経てば、いろいろなものが変化し、また劣化するだろう。

 これは、ほとんど消えかかった横断歩道……?

 ひょっとすると、彼女はここで――

 だとしたら、彼女がダメもとで訪れたのにも、彼が通い続けているのにも納得がいく。

 結局、彼らは似た者同士なのだ。


 案の定。

 指輪に導かれてやって来たのは、とある一軒家だった。僕の予感は当たったようだ。

 玄関前で、親子が仲睦まじげにボール遊びをしていた。

 見知った顔の子供たちと、男性。指輪は、僕にしか見えない光を、その彼に向って必死に伸ばしている。

 傍らで彼らの様子を見守る奥さんらしき女性は、ショートカットの黒髪に、くっきりした目鼻立ちと、ずいぶんクールな顔つきだ。

 ふわふわと甘い雰囲気の元恋人とは、まるで正反対だった。

 こんなところまで来られたということは、亡者が本当は以前から彼の居場所を、そして結婚の事実を知っていて見て見ぬふりをしていたのか。単に、強すぎる想いが連れてきたのか。真実は誰にも分からない。

 だけど、まぁ……

 あなたのことは好きじゃないけど、大事な人を一途に想う気持ちだけは認めてあげるよ。――ハルカさん。

「もういいよ。お疲れさま」

 そっと語りかけ、手をかざすと、指輪は静かに不思議な輝きを失った。

 ちょうどそのとき、勢い余って弾んだ黄色いボールが、ころころとこちらへ転がり、僕の足もとで動きを止める。

 少々手間だが、接触のチャンスだ。

 僕は抱えていたマントを左肩にかけ、指輪は再びポケットに突っ込み、しゃがんでボールを拾い上げた。

 男性が小走りで近づいてきて、立ち止まる。

「すみません」

 面目なさそうに会釈する彼。

「どうぞ」

 僕がボールを手渡すと、彼はもう一度頭を下げ、立ち去ろうとする。

「あの」

 僕はその背中を呼び止め、

「はい?」

 怪訝そうに振り返った彼に、指輪を取り出して見せ、尋ねた。

「これ、あなたのものじゃありませんか?」

 僕の右手のひらにある輝きの正体に気づいた瞬間――彼は、音が分かるほど大きく息を呑んだ。

「どうして、あなたが……」

 震える手で指輪を受け取り、角度を変えて確認しながら「間違いない。陽香のだ」「え、でもなんで? だって、無理言って一緒に燃やしてもらったはずなのに……」などと忙しなく呟く。

 動揺を隠せない様子の彼だったが、しばらくすると落ち着きを取り戻したのか、指輪を手にしたまま、ハルカさんと同じことを話し始めた。

 昔、結婚を考えていた恋人にペアリングをプレゼントしたこと。その彼女が、自分をかばって交通事故で亡くなってしまったこと。最後に、無理を承知でリングを棺に入れてもらったこと……

「ショックで自暴自棄になってたとき、バイト先で出会ったのがでした。ひとつ年上ですごくしっかりしてて、いつまでも落ち込んでる僕に『そんなんじゃ彼女も浮かばれないよ』って喝入れてくれて」

 手のひらにのせた指輪を見つめながら続ける彼の表情は、とても儚い。でも、ハルカさんとは違う。悲しみや切なさはあるけれど、きちんと前を向いて、思い出を振り返るときの顔だ。

「瑠美とは短大を出てすぐに結婚しました。付き合ってまだ数ヶ月だったし、彼女にも彼女の両親にも、お互い若いんだからそんなにあわてなくてもって言われたけど、もう、大切な人を失いたくなかった」

 そこまで言って、彼は突然我に返ったように「あ、なんかごめんなさい。ひとりで熱く語っちゃって」と照れくさそうにはにかんだ。

「いえ。じゃあ、僕はこれで」

 短く返して、丸めたマントを小脇に抱え直し、背中を見せると、

「あっ、あの!」

 今度は彼に呼び止められる。

「あなた、誰なんですか? 陽香の生まれ変わりとか? ――いや、そんなわけないですよね。俺、さっきからなに言ってんだろ? ハハッ」

 そう早口で捲し立てた後、自らの発言を恥じるようにまた苦笑する彼の姿が背中越しに分かって、僕もクスッと笑ってしまう。

「ロマンチストですね。でも、残念ながら」

 振り返って、答えた。

「通りすがりの、魔女です」

「はっ……?」

 ポカンと口を開けた彼に微笑み、歩き始める。

 遠ざかる背後で「誰?」と尋ねる涼やかな声が聞こえた。きっと、奥さんだ。

 いっそ、マントまで羽織ってやればよかったか。どのみち痛い人だと思われただろうから。

 そんなふうに自虐しながら、襟もとから小瓶を取り出した。

 さっき見送った闇玉みたいに、日差しを反射してきらきらと輝く。

「大切な人、か……」

 ハルカさん、あなたは彼の運命の人ではなかったかもしれない。

 でも――

 今もちゃんと、彼に愛されてる。

 あなたの存在が、彼の未来を変えたんだよ。

 それなのに、

「――かなしい人」

 思わずこぼして、小瓶を胸にしまったとき、ジーンズのポケットでスマホがメッセージの着信を知らせた。

 足を止めて確認すれば、沙那からだ。

【彩、あれから体調は大丈夫? フラフラだったから心配で……】

 わざわざ一日置いて連絡してくるあたりが、なんとなく彼女らしいなと思った。

『ありがと。もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね。沙那もゆっくり休んで。来週もよろしく』

 送信。

 文面では平然を装いながらも、実のところ、鈍い頭痛が戻ってきていた。

 昨日の今日でこれだけ魔力を使えば、無理もないだろう。

 思えば昨日から何も食べていないので、ちょっとした断食状態だ。お腹も空いていたけれど、それより何より寝たかった。

 そう簡単に、兄貴たちの監視を逃れられるとは思っていない。抜け出したのだって、お説教を覚悟の上だ。

 ショウ兄はともかく、ハル兄は怒ると人格が変わる。

 普段穏やかな人ほど、本気で怒らせたら怖い、ってやつ。

 なーんて考えていたら、だんだん帰りたくなくなってきた。でも先延ばしにしても、ますます怒られるだけだし。帰ったらシャワー浴びて着替えないとな。

 僕はスマホを片付けると、昨日とは違う意味で重たい足を引きずって、鬱々とわたげ荘へ向かった。

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