ずっと一緒に、生きていくんだと思ってた


 *


 亡者に案内されながら、三人で秋晴れの道を行く。

 なんとなく亡者の隣を歩きたくなくて、沙那を間に挟んでしまった。

 自覚はあまりなさそうだが、彼女は意外と社交的な一面もあるので、話し相手は任せておくとしよう。

「ハルカさんの彼は、どんな人なんですか?」

 ほら。意識的かどうかは分からないが、さっそく亡者が喜びそうな話題を振っている。

 質問を過去形にしないところにも、彼女のこまやかな気遣いがうかがえた。

 僕にはとても真似できない。

「えー? そうだなぁ……」

 亡者は分かりやすく声を弾ませ、嬉々とした表情で自慢の彼の話をし始めた。


 *


 ずっと一緒に、生きていくんだと思ってた。

 彼――沖田おきた洋伸ひろのぶとは、同じ大学の短期大学部で出会った。

 あたしは音楽科に、彼は保育士を目指して保育科に在籍していた。

 入学して間もない頃、ピアノが弾けないから教えてくれと彼に頼まれ、そこからだんだんと仲良くなって。

 毎日練習に付き合ううち、あっという間に一ヶ月くらいが経って、ハル、ヒロとお互いに下の名前で呼び合うようになり――そんな折に告白された。

 なんでも、初めて見たときから気があって近づいたのだという。

 一目惚れなんてチャラ男だなぁと思わなくもなかったけれど、あたしにも気持ちがあったから、たいした問題ではなかった。

 ヒロはとっても優しいし、現実的な将来の夢に向かって突き進む姿は、大人びていて眩しい。

 周りに流されてなんの気なく進学し、ただピアノに触れていたいという理由だけで音楽科を選んだあたしとは、大違いだ。

 学生という立場上、そんなに金銭的な余裕もなかったので、デート場所はほとんどあたしか彼の家。

 近くのコンビニでお菓子やスイーツを買い、ふたりで何気ないひとときを過ごすのが、毎週末の楽しみだった。

「ねぇ、来週どこ行こうか?」

 付き合って一年以上が過ぎたある夏の日。炎天下で汗を滲ませながら、大きく膨らんだレジ袋を両手に提げて、いつものコンビニを出たヒロが言った。

「えっ?」

 突然どうしたのだろうと、隣を歩きながら尋ねると、

「誕生日だろ?」

 言われて、ようやくピンとくる。

 名前の響きや漢字の雰囲気からか、あたしは普段から春生まれだと勘違いされることが多いのだけれど、実際は八月生まれだ。

 日付的にどうしたって夏休みにかぶってしまうので、あまり友だちに祝ってもらえず、幼い頃はちょっぴり寂しかったのを覚えている。

 大学生になって、むしろ夏休みは長くなったけど、今はちゃんと祝ってくれる大切な人がいるから幸せだ。

「しかも、二十歳の」

 言い添えられた彼の一言で、あらためて実感する。

 二十歳。

 そっか。あたし、二十歳になるのか。

「どこ行きたい?」

 再度問われて、「うーん……」といろいろ思い巡らせてみたけれど、結局、あたしの答えはひとつだった。

「いつもと同じでいいよ」

 素直な気持ちを口にしたら、

「えー、それじゃあ、つまんないじゃん……」

 ヒロはいじけた子供のように唇を尖らせた。

 彼氏たるもの、彼女の特別な日には何か特別なことがしたいのだろう。

 海で夕陽を見るなんて素敵かも、と考えたりもしたけど、交通費がかかるし、それに、

「――ふたりっきりが、いい」

「えっ、なんか言った?」

 小声で囁いた本音は、聞こえなかったらしい。

「なんでもない。でも、成人するから一緒にお酒飲めるじゃない」

 四月生まれの彼は、あたしより一足先に飲酒デビューしている。

「それだけで充分」

 割り切ったあたしの言葉に、ヒロは残念そうにしながらも、「ハルがそう言うなら……」と納得してくれた。

「なんかハル、かわいい顔して酒強そうだな」

「どうかなぁ」

 他愛もない会話をしながら、これまたいつも通る、信号のない横断歩道に差しかかる。

 ふたり同時に立ち止まり、

「一個持つよ」

 申し出ると、案の定「でも……」と渋られた。

「いいから」

 なかなか渡そうとしない彼から、隣り合っていない手でひとつレジ袋を奪うと、自分のもう片手と、空いた彼の手の指先を絡める。

「もう。彼女にやらせないでよね」

「すみません……」

 今日はたまたまお菓子のストックが切れていたから、たくさん買い込んでしまったが、両手が塞がることはそうそうない。

 いつもはコンビニを出てすぐに手をつなぐのだけれど、大量の荷物のせいでどうすればいいか分からなかったようだ。

 顔を見合わせて、くすりと笑う。

 左右を確認し、もう一度お互いの指をしっかりと絡めて、横断歩道を渡り始める。

 中程まで歩を進めたとき、右折したトラックが猛スピードでこちらへ向かってきた。

 横断歩道が見えるだろう位置まで近づいても、速度を緩める気配はない。

 このままじゃぶつかる――!

 そう思ったときにはもう、渡りきることも避けることもできないくらい至近距離に、車体が迫ってきていた。

 一瞬、選択の余地を与えるかのように、視界がスローモーションになる。

 ならば。

 ――せめて、ヒロだけでもっ!

 あたしがつないでいた手を力いっぱい振り払うと、彼はバランスを崩しながら数歩後ろへ下がり、その場で尻餅をついた。

「ハルっ!」

 彼の叫び声が耳に届いた瞬間、信じられないほどの衝撃が体に走り、勢いよく跳ね飛ばされる。

 頭がぼーっとして、どこからか生ぬるいものが流れる感覚がした。

 こんなドラマみたいなこと、ほんとにあるんだ……

 やけにうるさい蝉の声と、涙声で何度も呼びかけるヒロの声を聞きながら、あたしは意識を手放した。


 まさか、自分の遺体を見ることになるなんて。

 もう体はないはずなのに、全身が粟立つようだった。

 部屋の隅に敷かれた布団に安置された、あたしの亡骸。

 それを、あたしの両親とヒロが、ひどく憔悴しょうすいした様子で眺めている。

 あたしたちをねたのは、五十代の中年男性だった。

 昼間から友人宅で一杯飲んで、すぐそばだからとそのまま車で帰ったらしい。

 恋人と「一緒に飲もうね」なんて話していた矢先に、飲酒運転のトラックにき殺されるとは。いったいなんの皮肉だろう。

 あたしの判断が功を奏したのか、ヒロの怪我はかすり傷程度で済んだ。

 そう思えば、頭部に巻かれた痛々しい包帯も、立派な勲章だ。

 すると突然、うつろな目をしたヒロが、ひざを折ったまま亡骸にすり寄っていく。

 そして、亡骸の右手薬指に光る、シルバーリングに手を伸ばした。

 ――いつか絶対結婚指輪渡すから、それまではこれで。

 付き合って一年目の記念日に、そう言って照れくさそうにプレゼントしてくれたペアリング。

 ヒロは左手の薬指にはめてほしそうだったけど、あたしは約束の日まで取っておきたくて、反対の薬指にはめた。

 このときも最終的に、彼が折れてくれたんだよね。

 そんな、思い出の詰まったペアリングが今、あたしのもとを離れようとしている。

 ――やめて。外さないで。

 棺に金属物を入れられないのは知っている。でも、でも……

 ――やだ。お通夜の間だけでもいいから。ねぇお願い。ヒロ。

 しかし懸命な訴えもむなしく、指輪は彼の手の中へと渡ってしまう。

 彼は少し後退すると、指輪の収まった右手を開き、じっと見つめる。

 しばらくして、くしゃっと悲痛に顔を歪め、震える手でまた握り締めたかと思うと、唸りにも似た声を上げて泣き崩れた。

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