「逃げて、ごめんなさい……」


 *


 数日後、体調が全快して久しぶりにスマホの電源を入れると、案の定、実家にいるふたりからおびただしい数のメッセージと不在着信通知が流れ込んできて。

 これは長期戦になるかと構えたが、お父さんを電話で説得するのは、思ったほど苦労しなかった。

 かいつまんで説明しただけで、怒りもせず、そして疑いもせず事情を呑み込んでくれたあたり、ママが魔女だったというのはやはり本当らしい。

『帰ってきなさいって言っても、どうせきかないんだろ? 一度決めたら譲らないとこ、未亜にそっくりだよ』

 だとか、

『あの人が一緒なら安心だ。いい機会だし、自分の心とじっくり向き合ってみなさい。理佳子には僕から話して、学校にも、夏休みが明ける前にうまく伝えておくから』

 なんて言って、快く了解してくれた。あっさりしすぎて拍子抜けしたくらいだ。

 アユが亡くなって、どれだけも経っていない。まだまだ忙しいだろうし、悲しみに暮れているはずなのに。

「逃げて、ごめんなさい……」

 もう、こうして謝ること自体が逃げなのかもしれないが、他に言葉が見つからなかった。

 消え入りそうな声で言った私に、電話の向こうのお父さんが、優しくふっと微笑んだのが分かった。

『とにかく無事でよかった。逃げたくなる気持ちも分かるよ。お前にはいろいろ苦労かけたからな。いつか気持ちの整理がついたときに、ちゃんと帰ってきてくれればいい。きっとアユも待ってるぞ』

 最後の一言が、どうしようもなく悲しかった。

「お父さん……」

 私は、とても身近な愛をずっと見逃していたのかもしれない。アユに対してもまた。

 せめてもの安心材料として、二十歳までには必ず帰ると約束し、私の新たな生活が始まったのだった。


 わたげ荘には、私の他に、ふたりの花魔女がいた。それが、ハル兄とショウ兄だ。

 ふたりとも、マダムに魔力を分け与えられた後天的魔女。ただ私と違うのは、わたげ荘以外に帰る場所がないらしいことだった。この森にいる人たちは皆、何かしらの事情を抱えているのだろう。

 お父さんに許可をもらった翌日から、魔女としての修行期間がスタート。約半年間、学校にも行かず、マダムにわたげ荘での家事のやり方と、すべての魔女に共通する魔法の基礎を徹底的に叩き込まれた。

 少々長すぎやしないかと思ったこともあったが、「あなたにどんな花が似合うか見極めるために必要な期間なの」だそうだ。

 なかなかのスパルタだったけれど、家事はある程度経験があったし、魔法について知るのは純粋に楽しくて。その間、学校で学ぶことは主にハル兄が教えてくれた。

 そして気づけば年が明け、雪が森を白く染めた二月上旬。マダムの部屋で、正式に花魔女になるための儀式が行われた。

 私に割り当てられたのは、「孤独」の花言葉を持つ彼岸花。マダムに上下から右手を包まれると、心を安定させるという薬指の爪に、その花と同じ文様がついた。

「孤独、ですか……」

 爪の彼岸花を眺め、なんとも言えない気持ちで呟いた私に、マダムはふふっと笑って暗色のマントを着せる。

「べつに皮肉のつもりはないのよ? 彼岸花には『再会』っていう花言葉もあるの。あなたには、主にそういう案件をお願いしようと思って」

 マダムは言いながら机の引き出しを開け、深紅の背景に魔法陣のようなものが描かれた厚い本を差し出した。

「あなた向けに新しく作った個人用の書よ。花魔女の手引はすべてここに書かれているわ。来月にはお兄ちゃんたちについていって現場で見習いをしてもらうから、それまでに熟読しておくこと」

 花魔女についてはまだ、「この世にとどまる亡者を成仏させること」という、ざっくりとした使命と仕事内容しか聞いていない。ここからは自分で学ばなくてはならないようだ。

 ちょっと気が重くなりながら、「はい」と返事して本を受け取ると、

「あと、これ」

 今度は懐から小物を取り出した。

 金色の、懐中時計。

「任務中に使用する、花魔女特有の小道具。ライト、電話、コンパス、いろんなものに早変わりしちゃう優れものなんだから」

 これも受け取って蓋を開けてみると、文字盤は本の表紙と同じ色をしていた。その外枠には、何やら複雑な模様。

「口で説明すると長くなるし、書を読んでも分からないことはお兄ちゃんたちに質問しなさい。見習い期間は三月一日から一ヶ月間。終わったらハルトかショウゴに連絡してもらって、ワタシと三人で話し合った上で、本格的に仕事をさせるかどうか決めるわね。じゃあ、頑張って」

 マダムは矢継ぎ早に告げると、そのまま荷物をまとめ、トワイと「また弟子っていう名の飼い猫を増やしちゃって」「あら、あの子は一時的に預かるみたいなものよ」などと言い合いながら、わたげ荘を出ていってしまった。

 後からハル兄に聞いたところによると、彼女はいつもああして身ひとつで気ままに世界中を旅していて、夏の帰省を終えて発とうとしていた矢先に私を見つけ、急遽出発を延ばしてくれたのだという。

 そんな師匠を玄関先で見送りながら、兄たちもまた、

「ほんと自由人だよねー」

「いつものことだろ」

 なんて口々に言っていた。

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