第9話  後悔先に立たず

 公爵家の当主であるミゲル・デル・フォルハスは、物心ついた時から鋭い光を輝かせる大剣とチェスが大好きだった。


 戦を行うのにどれ程の兵站が必要となるか計算する事も好きだし、戦地に赴くためのルートを選定したり、どうやって兵の士気を下げずに行軍を続けるか考えるのも好きだ。


 相手がどのような戦略をとるのか想像したり、このような場合だったら自分はどう対処するべきか、考えるのも、それを実行に移すのも実に容易い事だった。


 頭の中は向かい合う敵の戦力、動向、兵站確保のルート、後ろ盾となっている奴らの思惑をどう絡めとるか、いかに自軍を有利に働かせるか、そんな事ばかりで埋め尽くされていく中、領地経営については従兄に完全に任せきり、家政についても妻に全てを任せきりの状態となっていた。


 メロヴィング王家が転覆してからも、なんとか国としての体裁を保ち続けている隣国の姿を見るにつけ、王家がいなくても国が成り立つのではないかと考える人間は意外に思うほど多い。


 政治の中枢に就く高位貴族を排除して、自分こそが甘い汁を吸ってやろうと考える貴族は数多いて、国家転覆を図る平民たちの後ろ盾となって武器や資金を提供する。


 後ろ盾となった新興貴族の名前が数々浮かび上がり、その貴族たちの背後を入念に調べた末に、隣国メロヴィングに行きついた。その時には、ああ、ついに、アレクサンドル・ボアルネがルシタニアに目を向け始めたのだと実感して、酷く落胆したものだった。


 隣国メロヴィングの新たなる旗頭となったアレクサンドルは隣国である我が国への干渉を地道に続けている、多くのスパイが我が国へと潜り込み、国内からの瓦解を図っているのだ。


「嘘です・・嘘です、嘘です、嘘です、嘘です、そんなバカな話ってないじゃないですか!」

 胸に縋りついたイザベルは涙をこぼれ落としながら、

「私じゃありません!私がやったんじゃありません!きっとあの子の専属の侍女がやったのよ!」

何度も公爵の胸を叩き、顔を擦り付けるようにして咽び泣いた。


「ヴィトリアの専属侍女とはあの奴隷の事か?」

「・・・・」

「何故あのような者を側付きにした?公爵家の令嬢の世話をするのにふさわしいかどうかなど、お前には十分に理解できた事だろうに」


 首を横に振り続けるイザベルの顎を捉えて顔を上向かせながら、

「何故私に言わない?あの子の面倒を見るのが嫌ならば私に言えば良かっただろう?あの子が嫌いなのであれば、それはそれで、いくらでもやりようはあったんだ」


薄水色の瞳を見つめながらそう訴えると、

「だって貴方はいつだって家にいなかったじゃないですか!」

と答えてイザベルは泣き崩れた。


 確かに、将軍職に就くミゲルが家に居る事は少なかっただろう。反王家を掲げる民衆の鎮圧に乗り出す事が多く、なかなか家に帰ることが出来なかったのは事実だ。


 だがしかし三年間、三年間もの間、全く家に居なかったわけでも、会話がなかった訳でもないのだ。


「お前は・・まだ私を信用する事が出来ないのか・・だからこそ・・あの子にあのような暴力を・・・」


「私が悪いわけじゃありません!」

床に座り込んだイザベルはスカートのひだをくちゃくちゃにして握り締めながら、


「信仰に叛く行いが悪いのです!穢らわしい行為の末に出来上がった罪が悪いのです!私は罪を浄化しようと考えただけ!それだけよ!」

ヒステリックに叫ぶと、大声をあげて泣き出した。


「何が罪だ・・何が浄化だ・・・お前の凝り固まった考えの所為であの子は、ろくに食事を摂ることも出来ず、誰一人守ってくれる存在も居ない中で、使用人やお前自身から暴力を受け続けていたというではないか!」


ミゲルがもう一度、真実を口にすると、イザベルが眉を顰めて、

「そんなの嘘に決まっています!嘘をつかないで!」

と、怒鳴り声をあげた。


「嘘なものか!だからこそお前は離縁され、マデルナ島へ流される事となるのだからな!」

「嘘よ・・嘘よ・・嘘よ嘘よ嘘よ・・・」


 扉がノックされた。


顔を真っ青にした侍女頭が部屋へと入ってくると、

「近衛隊の方々がいらっしゃっています」

と告げて頭を下げる。その白髪まじりの髪の毛を見下ろしながら、

「お前の準備は出来ているのか?」

と、問いかけると、侍女頭は仰天した様子で目を見開いた。


「ど・・どういう事でございましょう?」

「お前はいつも、ヴィトリアが暴力を受けているのを見ていたそうじゃないか」

「ですから死んでしまったら大変だと思いまして、私の方でそこの所は管理させて頂いておりましたが」


「例えばお前に幼い子供がいて、食事を満足に与えず、毎日、毎日、痛めつけるだけ痛めつけて、それも三年もの間だぞ?死ななかったから大丈夫です、なんていう言い分を受け入れることが出来ると思うか?」


「・・・で・・ですが・・・私は奥様の望むように配慮しただけであって」

「お前はイザベルの生家から付いてきたのだったな、付き合いもそれは長いだろう」

「ええ」


「であれば、お前も同類であり同罪である。イザベルと共にマデルナ島へと向かう事は決定だ。何、信仰厚い家に長年つかえていたのだから未開の地での信者獲得だの、布教活動だのに喜んで勤しむがいい」

「そ・・んな・・・」


扉の前で侍女頭が崩れ落ちると、その肩をとらえた近衛兵が無理矢理といった様子で引きずっていく。


 純白の騎士服を着た少年が近衛兵を引き連れて公爵の執務室へと入って来ると、床に座り込むイザベルを一瞥して、

「敬虔なる信徒に私物などは要らないだろう、そのまま連れて行け」

と言って、連行されて行く妻と侍女頭には見向きもしない。


 第一王子ジョゼリアンはソファに腰掛けると、優雅に足を組みながら、

「将軍、君の後妻はもう決めておいたから」

と言って口元に笑みを浮かべた。


「ルシタニア北部を治めるシルヴァ伯爵の娘が、子供が出来ない事を理由に侯爵家を離縁されていたそうだよ。リーニャ・デル・シルヴァ嬢、将軍より十歳年下、若い娘だからいいでしょ?」


王子はその美しい顔に輝くような笑みを浮かべると、

「北方の警護を血縁によってかためて、メロヴィングの侵略戦争には是非とも打ち勝つようにしなくちゃね!」

と、言いながら小首を傾げた。


「将軍もさ、遊びでやってんじゃないっていうのは分かっているよね?すでにね、国を賭けた戦いが始まっている感じなの、生きるか死ぬかっていう瀬戸際と言っても別に過言じゃないと思うほどなのさ。過激派組織の摘発で忙しいのはわかるけどさ、もっと足元!つまりは家庭だよ!家庭をよく見て対応しなくちゃ駄目じゃないか!」


「はい」


「だから王家で引き取るって言ったのに!自分が引き取るって言い出してこの様だよ?これは完全に、ペナルティだよ」

 ミゲルは王子の足元へ跪くと、

「全ては私の不徳の致すところ、全ての罪は私の命を持って償いたいと思います」

床に額を擦り付けながら訴える姿を、王子が呆れたような眼差しで捉える。


「外の仕事だったらいくらでも粘り強くやるのに、急に家庭の事となると投げ出すところ、よくないところだよ」

「・・・・」


「とにかく、後妻さんとはうまくやって、家庭内もうまく回すように今度こそ、きっちりとやってよ。領地経営は親族に任せているんだから、将軍がやる事なんて、軍事と家庭だけでしょ?」

「はい」


公爵が顔を上げると、

「とにかくあの子は王家で預かることにしたからね」

と言って王子は颯爽と立ち上がった。

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