第6話 逃亡したいだけなのに
普段は陸軍士官学校にいるために、公爵邸にはいない公爵家の嫡男であるリカルドを公爵邸の薔薇の花が咲き乱れる美しい庭の一角で見つけた瞬間、
「攻略対象者に初遭遇じゃん!」
ヴィトリアの口から自然と言葉がこぼれ落ちた。
本当に意図せず自然にこぼれ落ちたので、言葉にした後は自分の口を両手で押さえながら、
「攻略対象?って事はゲーム?小説とか漫画とかじゃなくてゲームの内容な訳?なんかの乙女ゲームの世界に転生しちゃったとかそういう事になるって事?」
小さな声となってぶつぶつと呟いた。
ヴィトリアとしては、あっ!この人攻略対象者だわぁ!と思うだけで、ゲームのタイトルなどは思い浮かばない。つまりは、自分がどんなキャラでどんなポジションの人間かという事がさっぱり分からないのだ。
ここに来るまでの間、通りかかった洗濯場ではこんな会話が繰り広げられていたのだった。
「ねえ!ねえ!知ってる?ジョゼリアン王子はやっぱりエマヌエラ様との結婚を諦めていないそうなのよ!」
「まあ!叔母と甥の禁断の恋だわね!」
「だけどコリント教では禁止しているわけでもないんだろう?」
「世継ぎを作るにはとうが立ちすぎているかもしれないね」
「それでも構わないんじゃないかしら?愛するお二人が幸せになることを女王様も望んでいるし、最悪、次のお世継ぎはアルフォンソ様のお子様でも良い訳だろうしね!」
こっそり聞いた話によると、この国の第一王子様(やっぱり第一王子様なんてものがいるのねえ!)は自分の母親の妹(叔母)に生まれた時からぞっこんなのだそうで、どうしても結婚したいと駄々を捏ね続けているのだそうだ。
日本で生活していたヴィトリアには到底理解出来ないけれど、王子の母親である女王が叔母甥婚を遂にお認めになるらしい。この国のモラルはどうなっているのだろうか?
そんな事を考えながら歩いていたところ、美しく咲き乱れるバラ園の一角で、三人の少年が叔母甥婚の話で盛り上がっているようだった為、
「コリント教は兄妹での結婚を認めないわけですよね?」
と言って、ヴィトリアは呑気にも話に参加してしまったのだ。
乙女ゲームでは百パーセントの確率で美しい薔薇園が出てくるのだが、そこで攻略対象者相手に、
「コリント教は兄妹での結婚を認めないわけですよね?」
と、言い出すのはどうだろう。
バカか!アホか!呆れるわ!選択間違えるのにも程がある!死亡エンドまっしぐらじゃないか!
「ハーーーー・・」
二つの大きなため息が馬車の中でシンクロすると、
「あっ!すみません!馬車の窓開けましょうか!私、相当臭いですよね!」
と、ヴィトリアは挙動不審となって慌て出す。
息を大きく吐き出すという事は息を大きく吸い込むということで、この密閉された馬車の中で大きく息を吸い込むという事は、耐えられないほどの異臭が鼻の奥に充満するという事で、
「いや、大丈夫!本当に大丈夫だよ!臭くない!本当に臭くないよ!」
と、リカルドは鼻が詰まったような声で答えたのだが、きっと無理しているのに違いない。
「お兄様、別に無理をしなくてもいいんですよ?」
記憶がぼんやりしているヴィトリアとしては、前世、何歳くらいで死んだとか、どうやって死んだとか、そんな事は一切思い出せないけれど、確か30は越えていたはずだった。
目の前のリカルドお兄様は可愛らしくも微笑ましい、顔がいやに整った少年にしか見えないのだ。
「それでお兄様、私はこれからどうなるんでしょうか?河原に連れて行ってブスッと刺して殺す感じですか?それとも森の中に連れて行って首を吊るして殺す感じですかね?出来れば殺す一択じゃなくて、お金を渡して放逐処分でもいいんじゃないのかなあ!なんて思うんですけども?」
ヴィトリアは胸の前で両手を握りしめて、目をパチパチとさせ、上目使いになりながら、甘える声でおねだりしたものの、
「は―――っ」
リカルドは甘え声に応じることなくため息を吐き出した。
「君を殺すなんて事を僕がするわけがないじゃないか」
え?殺しはなし?
「じゃあ、あれですか?娼館に売り渡す的な?ちょっとでも金にしてやろう的な?確かに、おばあ様は傾国の美女とうたわれるほどの美人だと言われていますし、お母様も美人の部類だとは思います。将来的には期待大といった所かもしれませんけれども、私、ここ数年、食事をまともに食べてなかったので、完全なる栄養失調児なんです。今売りに出したら買い叩かれると思うんですけれども?」
「君は本当にクリスと同じ10歳なのか?」
「もちろん10歳ですよ!7歳の時に引き取られてからまともな扱いを受けてこなかったので、身体的にかなり重篤な問題があると言われたって、ああそうなんですか、そりゃあそうでしょうね、位しか言えないですけれど、完全なる10歳児!これでも血筋的には立派な淑女です!」
リカルドはエメラルドグリーンの瞳を大きく見開くと、頭を深々と下げて、
「本当に今まで済まなかった、まさか母がこれ程までに苛烈なことをするとは思いもよらなかったんだ」
と、苦渋が滲み出したような声で謝罪した。
「ヴィトリア?」
「はあ・・」
夕日に照らされるお兄様の美しいお顔の向こう、馬車窓の向こう側に、白亜の巨大な建物が見えてきた。
「本当に・・・お金だけ頂ければ一人でブリタンニア王国に向かいますのに・・・」
リカルドは悲しそうに微笑むと、
「一人で海を渡って行けるわけがないでしょう?」
と言って、向かい側の席から手を伸ばして、ヴィトリアの両手をそっと握った。
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