第7話  ごめんなさい王子

 僕は、母を心底信じていたのかもしれない。


 貴族の夫人が教会へ奉仕に出かけるのは貴族の義務ともされているけど、大抵は代理人をよこして自分が関わるなんて事などしやしない。


 だけど敬虔な信者である母は汚れる事を厭わず、親がいない子供たちに手をさし伸ばし、未来を担う子供たちへの教育に腐心し続けていた。素晴らしい母だと周りは言うし、実際、僕もそうだと思う。母は教会の子供たちの看病も行っていたのだから、母を病で亡くしたばかりのヴィトリアの面倒だって熱心にみているのだろうと考えていた。


「体が弱い子だから、なるべく私が面倒をみてあげたいと思うのよ」

そう言って慈愛の微笑みを浮かべる母の姿はまるで聖女のようで、

「なさぬ仲のお嬢様へそこまで献身的でいらっしゃる奥方など、なかなかいませんわ!」

「フォルハス公爵夫人は素晴らしい!」

「さすがですわね!」

賛美を受けるに相応しい人物なのだと思っていた。

 だってまさか、幼い妹をあんな場所に監禁して、虐待に次ぐ虐待を行っていただなんて。


「誰も思いもしなかった、なんて事はこの世の中には良くある事じゃない?」


 目の前のソファに座ったジョゼリアン王子は侍女が用意した紅茶に口をつけると、

「それに、元はと言えば、自分の奥方を心底信用し切っていた将軍にも問題があるでしょ」

そう言いながらリカルドに向かってにこりと笑った。


 ジョゼリアン・フォス・ルシタニア第一王子は黄金の髪を持つ美丈夫で、顔立ちは女王にもよく似た凛とした美しさを兼ね備えていた。


「エレーナ様が亡くなった時にさ、ヴィトリアの身柄はルシタニア王家で預かると申し出たのはお前だって覚えているだろう?だけどあの時、将軍は親族の自分こそがヴィトリアの面倒をみる責任があるのだと大言を吐いたわけだよ。将軍の言葉には一角の責任が伴うと思うんだけど、それは私の思い違いだったのかなあ?」


「いいえ・・王子の思い違い等と・・そんなことは・・・」


 ひと昔前、航海術の発展と船の改良化が進んだ事から大海原へと船の舵を取り、数多の国々が未開の地へと人を送り出し、多くの植民地を手に入れる事に腐心した。


 船は多くの人間を乗せて長い航海に耐えられるようになり、人々はまだ見ぬ世界へ夢を膨らませる。多くの国々が海の遥か向こうへと期待に胸を膨らませている最中、隣国のメロヴィング王国の王家が転覆した。


 長く続く冷害によって飢饉が国土を覆い尽くすなか、嵐による船の転覆が相次ぎ、見込んでいた輸入による利益が泡と消え、王家の国庫はより厳しい状況となっていた。


植民地政策で利益を得る国々が多いなか、自国もその利益にあやかろうと、占領作戦のための軍備増強に資金を投入したところに来ての疫病の蔓延。

 食べるものもない中で病に倒れ、多くの民が死にゆく中、

「王妃の激しい浪費のために国庫が空になったのだというぞ」

という一つの噂が街へと流れた。


 この噂ひとつでまさか王家が転覆するなどとは思いもよらない。メロヴィング王国の王族は一人残らず処刑台へとのぼる事となり、民の怒りを一身に浴びながら命を落としていった。この出来事に周辺諸国はみんなゾッとしたのだけれども、何処の国でもこう思ったのに違いない。


「これでメロヴィングは終わったな」


 メロヴィングはその後も政争が続き、いつまでもゴタゴタとしていたのは間違いない。すると、ハッと気がつけばいつの間にか、ある男が立ち上がり、物凄い勢いで周りを動かし始めたのだ。


 貧乏貴族の子倅が天才的な戦略、戦術を武器に、自らを皇帝と呼ぶまでに成り上がる。アレクサンドル・ボアルネの台頭により、周辺諸国はメロヴィングを馬鹿にしている場合ではなくなった。


 海だ、浪漫だと未開の地を侵略して植民地化だなどと言っている場合ではない、うっかりしている間に本国を占領されるなどという事にもなりかねない。


 メロヴィングとルシタニア王国は隣国同士の間柄、両国の間には標高3000メートル級の山々が連なるピエルト山脈が壁となる。この為、アレクサンドルが仮に、自国の兵士を我が国へ向けたとしても、相当手間取る事になるだろう。


 周りの重鎮はあくまで隣国メロヴィングを軽視しているが、ジョゼリアン王子はアレクサンドル・ボアルネが奇異に映るし、脅威にも感じている。


 今の我が国の国力でメロヴィングと敵対する事を選べば、強力な後ろ盾を手に入れない限りは負けるだろう。常に田舎国とも揶揄されるルシタニ王国は敵軍の勢いに押され、王家共々滅びる事もあるかもしれない。


 ピエルト山脈のおかげで、今すぐ選択をしなければならない状況ではないけれど、いずれは選ばなければならない時がやってくる。


 ルシタニア王国の第一王子ジョゼリアン・フォス・ルシタニアは生まれた時から実の叔母に懸想し続けて、年がら年中、実の叔母に愛を囁いているうつけ者。愛する叔母が逞しい騎士様に守って欲しいなどという世迷いごとを言い出したが為に、リジュ王立学園への入学を蹴って陸軍士官学校を志願した。


 うつけ者を装い、メロヴィングの監視の目を欺いてまで士官学校に潜り込んだのには理由がある。


今の我が国の戦力に不安を感じた王子は、卓越した戦力を誇るブリタンニア王国との軍事協定を結びたいと考えている。ブリタンニアの協力を得るために影で派手に動くには、王立学園に通うよりも士官学校の方がいかにも敵の目を欺きやすい。


ジョゼリアン王子をうつけ者と断定している周辺諸国の警戒心は非常に薄い。その立場を利用して、ジョゼリアンはメロヴィングの情報を収集しブリタンニアに流しているのだ。


ジョゼリアンの流す貴重な情報にようやく耳を傾け出したブリタンニアは、ようやく我が国に目を向けた。今が重要な時であるというのに、表に出てきたのが公爵家の不祥事。

虐待されたヴィトリアにはブリタンニアの尊き血が流れているというのに。


「君ら家族は一体何をやらかしたのか分かっているんだろうか?」

王子はしばし考え込むようにして瞳を伏せると、

「公爵夫人は公爵とは離縁させようかな」

と言って胸の前で腕を組んだ。

「教会の敬虔な信者だというのだから、マデルナ島に行って信徒として布教に努めるのが良いと思う」

「は・・・」

 リカルドは思わず言葉を飲み込んだ。


 母が離縁、その後送られるマデルナ島は植民地として統治されているとはいえあまりに遠い、ほぼ南大陸の領海にある島だといっても良いような僻地だ。

 だけど・・仕方ない。

 ブリタンニアの情報部は優秀だと聞いている。

 王家に保護されたヴィトリアの状況はすぐに把握され、本国へ報告される事だろう。


 ここで虐待を行なった母が軽微の懲罰を受けたり、もしくは無罪放免となった暁には、ブリタンニアを尊重しないものと判断され、二国間の関係が一気に壊れるということにもなりかねない。


「承知いたしました・・父には僕の方から詳しく説明して・・・」

「将軍には直々にヴィトリアのあの有様を見てもらった上で、私の方からよくよく話をしておくよ」


 妹に対する虐待にも気が付かず、王子の立場を悪くするばかりのリカルドに対して、変わらぬ友情と慈愛が王子から感じられる。

「大人の事情に子供が首を突っ込む必要もないからね」

 王子はそう言って口元に小さな笑みを浮かべたのだった。


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