第12話  私は娼婦の子

 彼女の名前はベアトリス・リンゼー。


 娼館生まれの娼館育ちという事になる。父は花街の妖精姫とも謳われた母の最初の客であり、三月の間、母を専属として囲っていたらしい。


その間に妊娠した為、この金払いの良い客はきっと妾として身請けすることになるだろうと皆が考えたと言う。


 確かにベアトリスの父は金払いの良い客だったようだが、母子の面倒をみるつもりはさらさら無かったようで、母の肖像画が入れられたロケットタイプの純銀のペンダント一つを母に渡し、後は君の自由だという一言を残して、母を捨てて行ってしまったそうなのだ。


 身請けはしなかったものの、母が自由になれるお金だけは娼館に入れてくれたようで、文字通り母は自由の身となったものの、母もまた、娼館生まれの娼館育ち。狭い世界しか知らない母がたった一人、乳飲児を抱えて生きていく事は難しく、結局娼館に残る事を決めたのだった。


 娼館の人間は商売道具となる娼婦の妊娠に寛容なのだ。


 出産の時期には流石に商売をする事は無いものの、上客が取れるほどの娼婦から生まれてくる子供は美形の者が多く、子供のうちから躾も施せるし、掃除や洗濯、子守りなどの働き手にもなる。


そうして成長すれば、客を取らせて金を産み出す事になるのだから、借金のかたとして売りに出された子供を買ってくるよりも、随分と得になるわけだ。


 ベアトリス親子に対して周りのみんなは良くしてくれたし、みんながみんな、ベアトリスの父はきっとブリタンニアの貴族だろうと言っていた。


ベアトリスの髪は、ハニーブラウンの髪色の中に金が所々混じる、はちみつの瓶をぐるぐる回して陽の光を浴びて輝いているような色合いをしているため、こういう髪の人がブリタンニアの貴族の中には稀にいるそうなのだ。


「あの子の母親は今ではすっかり病でやつれちゃってはいるけどね、昔は妖精姫と呼ばれる程の美しい子だったもの。それになんといっても、あの子には貴族も顔負けの気品っていうものがある!初夜にはどれ程の金がつくことやら!」


 最近のマダムはそう言ってキヒヒヒッと変な笑い声をあげている、そんなマダムを周りが嫌そうな目で見ているのだった。


 肺を患っていたベアトリスの母は寝込む事が多くなった為、娘の手を握って笑顔を浮かべていた。そうして銀色のペンダントを娘に握らせながら言うのだ。


「絶対に、無くさないで、大切にしてね。そして、その時が来たら、お母さんのこれから言う場所に逃げなさいね」

母はコホコホと咳をしながら、普通であれば行ってはいけないような場所を説明する。


「同じペンダントを持っている女の子がその家に入って行く姿を見たことがあるの。だからね、きっとそこの家に行けば、貴女のことをきちんと理解してくれるわ」

と言って母はぎゅっと力を込めて美しく成長した娘を抱き締める。


「ベアトリス!」


 いつも優しくしてくれるお姉さんの一人がベアトリスの腕を掴んで引き寄せると、裏口の扉から外へと引っ張り出して、

「今からすぐに逃げなさい」

と、怖いような顔で言い出した。


「に・・逃げる?」

「早く!」

「お母さんは?」

「あんたの母さんは客を取ってる、だけど、あれじゃあもう・・」


 幽霊みたいな表情を浮かべたお姉さんは首を横に振ると、手提げ袋をベアトリスの肩からかけ回して、

「あんた達親子は本来自由の身なんだ!ごうつくババアが何をどう言ったって、あんた達には借金の一つもない。あんた一人くらい居なくなったからって、どうのこうの言われる筋合いはないんだよ」

そう言って肩を掴んで回れ右をさせる。


「いつもの買い出しに行く道があるだろう、今日はそこの脇道にテオが居るから、買い物を手伝って欲しいとお願いしな。渡す金はそこの手提げ鞄に入っているから、それを渡したらいいんだよ」

そう言って背中を抱きしめると、

「幸せになってね」

背中を押してくれたのだった。


 脇道で待っていてくれたテオはベアトリスが着替える服を用意していてくれていた。すぐに男の子用の洋服に着替えて帽子を被り、靴も履き替えて顔や腕に泥を塗りつける。テオは行きたい場所を聞くと、最初、酷く驚いた顔をしたけれど、大きく一つ頷いてくれたのだ。


 途中、何度も休憩しながら目的の場所に到着した時には、日がとっぷりと暮れていた。そこは想像以上に大きなお屋敷の前で、テオはその前まで来ると役目は終わったと言って元来た道を引き返して行く。


 一人になったベアトリスがようやっと門番さんの所まで行くと、ロケットタイプの銀色のペンダントを見せながら、

「この屋敷の執事を呼んでください」

と言ったのだ。


「お嬢様?」

薄暗がりの中でベアトリスの顔を覗き込んだ門番は驚いた様子でそう呟くと、首を横に振り、横にいた同僚の人に何か言っているようだった。


 無視されたり、追い出されたりしなくて良かった・・・そう思いながらベアトリスが安堵のため息を吐き出していると、しばらくして、漆黒の執事服を着た大きな体の男の人が慌てた様子でやってきて、手に持つペンダントを見て酷く驚いたような顔をした。


 今までブリタンニアという異国の貴族が父なのだと思っていたベアトリスは、もしかして、ここの屋敷にいる人が父なのではないかと考えた。


 執事はベアトリスを屋敷の裏口の方へ案内すると、従業員用の食堂の椅子にベアトリスを座らせて、誰かを呼びに行ってしまった。


 もしかしたら、父との初めての対面?

 もしも父が、みんなの記憶にある通り、気さくで朗らかな人であるというのなら、今も娼館にいる母を救い出してくれるかもしれない。

 

 しばらくの間待っていると、執事に連れられて、飴色の髪の毛を一つに束ねた美しい女性が現れた。


 この屋敷の女主人は、ドレープがいくつも重なる金の薔薇の刺繍模様が入った美しいドレスを着た典雅な美人で、ベアトリスの顔をまじまじと見つめながら、

「え?ヒロイン?現れるの遅くない?」

サッと扇で口許を隠しながら、ボソボソと何かを呟いてる。


「奥様?」

問いかける執事の方を見た夫人は何度か咳払いをしながら、

「ちょっと混乱して・・」

額を抑えて物憂げな表情を浮かべると、

「私も混乱しております」

と答えた執事は口をへの字に曲げた。


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