第一集 玉蘭、華清宮にて毒妃に出逢う③
二
……と、
僕は今、長安の都より東郊にある温泉地・
陛下のお
元々花の多い美しい場所だったが、陛下がさらに貴妃様の為に、沢山花を植えたというだけあって、目に映る全てが美しい場所だ。
その中でも、陛下が冬場に楊貴妃様と過ごすのに使われる
僕は毎日、その豪華な寝室で朝を迎えるようになった。
理由は僕――いや、華妃の高
それは勿論高力士様が考え出した筋書きだ。いくら外見が似ているとはいえ、後宮のことを何も知らない僕を、いきなり後宮に放りこむのはさすがに無謀であるし、もしかしたら静養中に翠麗本人が帰ってくるかもしれない。
だから高力士様が陛下に静養を願いいれたところ、陛下は快く、今は自分の使っていない飛霜殿で、ゆっくり過ごすようお許しくださったのだった。
二ヶ月間皇帝の温泉宮で静養なんて、こんな優雅な話はないけれど、実際はそんな甘い話ではない。
翠麗の
一人は翠麗が信頼を寄せるお付きの侍女、翠麗の部屋の筆頭女官の
今は翠麗に仕えているが、以前は
そしてもう一人は
元々ただの針子であった彼女の才能に
最後の一人は
ただ一人死は免れたものの、宦官としてしか生きる術すべを残されなかった彼は、少年の身に降りかかったあまりの苦しみから、その声を失ってしまったという。
寡黙で忠実な彼を、高力士様が翠麗に仕える宦官であり、同時に護衛として、その傍を守らせていたという。
高力士様は最初、その三人だけ連れて僕を華清宮に二ヶ月間行かせ、その間に貴婦人としての立ち振る舞いを身につけさせるつもりだった。
けれどそれを否、と言ったのは陛下で、病身の高華妃が不自由することがないようにと、もう数人の女官に加え、華清宮での生活に困らないよう、貴妃様がいつも一緒に連れて行く女官を数人、お供につけてくれたのだった。
正直ありがた迷惑な話だったが、陛下のお心遣いを無下にも出来ず、結果僕はここで非常にきゅうくつな生活を強いられることになってしまったのだった。
僕の華清宮での生活はこうだ。
朝目が覚めると、絶牙と桜雪か茴香かがやってきて、僕に朝の身支度を整えさせる。
僕は病気で、身体にいくつか
その後、
朝食はお
それから後は特に予定はないのだが、僕はあくまで病人なので、一日中できるだけ寝ていなければならない。
実際は動き回ったり、ヘタにしゃべったりしてボロが出てしまうのが怖いからだ。
飛霜殿には生活を支えてくれる尚しよう寝しん女官が、さらにもう三人いる。
僕の正体を知らない七人の女官に、入れ替わりを気づかれないよう、日が沈むまでは大人しく過ごすのだ。
そして夜、高華妃は早くお休みになるからと、近侍の三人だけ残して他の女官達は用意された部屋のある、長湯に引き上げる。
飛霜殿にいるのが四人だけになると、やっと自由か……と思いきや、今度は桜雪から後宮の妃としての、礼儀作法をみっちりと学ぶ時間がやってくる。
それも中途半端ではなく、数年間後宮で暮らした翠麗が身につけた、最高級に優雅な身のこなしを。
歩き方から、女性らしいお辞儀、
その合間に待っているのは、茴香からの女性らしい衣装の選び方についての指導だ。
翠麗はいつも自分で、今日はこの色を
故に僕も、女性の華やかな装いを学ばなければならない。
それでもそれとなく茴香と桜雪が助け船を出してくれるお陰で、今の所は何とかなっているし、少なくとも言葉遣いはまだマシな方だ。
高力士様も仰っていたように、僕は子供の頃、よく翠麗のマネをしていたからだ。
顔だちが似ているだけでなく、僕達は声もなんとなく似ている。姿さえ隠れていれば、女官達は僕と
だから問題は、やはり麗人らしい立ち振る舞いだ。
期限は二ヶ月――たった二ヶ月で、僕は周囲が
それだけではなく、日中僕の正体を知らない女官達を、騙せなければならないのだ。
日中だって絶対に、気を抜いてはいけない。
だのに、朝が来て目を開ける度、一瞬自分が何処にいるのか混乱した。
見覚えのない天井と、豪華な調度品。窓から吹き込む風と、身体を包む布団から、甘い花の香りがする。
「……ああ、そうだ」
布団を目元まで引き上げ、その香りを吸い込んで、やっと思い出す。
翠麗がいつも自分の
「高華妃様、薬湯の時間にございます。お着替えの前でも
その時、僕の目覚めた気配を逃さずに、女官の一人が扉を
「あ……う、うん。そうね、入って良いわ」
つい地声で返事をしかけて、こほん、と
どうやら今朝は寝過ごしてしまったらしい。普段ならもう朝の支度が済んでいる時間なんだろう。
秋明は女性の中でもほっそりと背が高く――つまり、僕よりも高く、けれどその細い
いわゆるお薬係なので、普段健康が取り柄だった翠麗とは、あまり交流がないらしい。
その分やりとりは気が楽だけれど、とはいえ、運んで来てくれる薬湯は毎回
大の苦手な
飲むのを止めれば、また育つので心配はないと言われたけれど……そもそも、そんなに長く僕は翠麗のフリをしなければならないのか? と不安が
とはいえ翠麗がいつ戻るのかもわからなければ、他に身代わりが見つかるかどうかもわからないのだから、当面は僕がここで踏みとどまらなければならないのだろう。
仕方なく、僕は嫌々ながらも茶碗に手を伸ばした。
朝起き抜けに、うすら甘い泥みたいなものを飲まなければならないのは
と、そうして茶碗を持ち上げたその時だ。
「あ」
今日は薬が普段より茶碗にたっぷり注がれていたらしい。取ろうと
「ぁ熱っ!! 」
お湯よりは粘度のあるそれは、一瞬の時間差の後、適温というには攻撃的な熱さで、僕の指を包み込んだ。
思わず手を引いた拍子に、さらに茶碗が倒れ、中身が盆を伝って寝台やら布団やらに飛び散ってしまった。
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