第一集 玉蘭、華清宮にて毒妃に出逢う⑭


 ういは、ドゥドゥさん自身の部屋で手当てをしてもらうことになった。

 彼女の侍女も毒の知識にけているし、ある程度必要な薬も整えてあるそうだ。

 まだ正確になんの毒なのかは判別できていないそうなので、何かあってもすぐに対応出来るように、やはり彼女達に任せる方が良いだろう。

 ぜつとドゥドゥさんは用意されたドゥドゥさんの自室に茴香を運んでいった。

 僕はおうせつと二人、き込めたすいれいの香がまだ強く薫る部屋に残された。

「…………」

 お互いに気まずいというか、何を言えばいいのか、どんな態度であればいいのか、そんな風に迷う沈黙だった。

「……お茶を、れましょうか」

 仕方ないので僕からそう言うと、「そうですね、私が」と桜雪が役目をかわってくれようとしたが、僕は首を横に振った。

 僕は翠麗ではないし、場合によってはこの先だって翠麗でいたくはないかもしれないからだ。

 お湯が沸き、ちやわんに香りよいお茶が満たされるまでの時間、僕はずっと黙っていた。

 そうして淹れたお茶は──久しぶりに自分で淹れたお茶は、一口飲んでびっくりするほど美味おいしくなかった。

「う……」

 えぐみやにがみ……多分茶葉の量が多いとか、お湯を入れておいた時間が長いとか、そういう事だとは思うけれど。

 でもそれ以上に、ここ数日は美味しいお茶ばかりいただいていたせいだと思う。単純に僕は、美味しいお茶をすっかり飲み慣れてしまっただけなのだ。

「む、無理に飲んでくれなくて良いですから」

「いいえ、これが小翠麗様のお心のままと思い、ちようだいいたします」

 数口飲んで、あんまり苦すぎて慌ててそう言うと、彼女は微笑んで、それでも恭しく僕の淹れたお茶を飲んだ。

 ……僕の思いか。今確かに、僕の心は苦かった。

 それでも、そんな苦いお茶でも、のどと唇を湿らせる効果はあったみたいだ。

「……私達は、貴方あなたを生贄にするつもりは、毛頭ございませんでした」

 長い沈黙の後、お茶の湯気の中、ようやく桜雪が切りだした。

「……どういう事、ですか」

「翠麗様が身をお隠しになられた事と、この毒に関係があるかはわかっておりません。ですが華妃様がいなくなられた、二日後の朝、奇妙な手紙が届けられたのです」

「手紙?」

「はい」

「死んだネズミを添えて、『次はこう翠麗を狙う』と書かれてあったのです」

「……それだけですか? 誘拐したとか、そういう事ではなく?」

「警告ではなく、わざわざ予告をしてくるとは、犯人はよほどの派手好きのようじゃな」

 その時、背後から声がした。部屋に戻ってきたドゥドゥさんだった。

「派手好き、ですか?」

「命を奪うなら、本人に知られない方が容易たやすいにきまっている。知られれば警戒され、備えられてしまうであろう。だのにわざわざ自ら明かすとは、言わずにいられない性格か、よほど騒ぎを起こしたかったのか──どちらにせよ注目されたいのであろう」

 言われてみると確かにそうだ。

 現に今回だって、毒は僕の口には入らなかった。

「そして……これだけでは、翠麗様の失踪に、どれだけ関係があるのかわからなかったのです。偶然同じタイミングという事も考えられます」

 桜雪がお茶を一口飲み、苦々しい表情のまま言った。

「つまり、無関係かもしれないと? でもそれは少し都合が良すぎませんか?」

「便乗したのかもしれない。華妃が毒を盛られたかもしれないという噂は、われの下にも届いていた故」

 ドゥドゥさんが言うと、桜雪はうなずいた。

 上巳節の祭りに、翠麗の姿が無いことはすぐに噂になったそうだ。

 失踪を知られるわけにいかない桜雪や高りき様は、すぐに翠麗が病で倒れ、人前に出られない状態だと周囲に告げ、うつるかもしれない事を理由に人払いした。

 けれどその事が余計に周囲の疑惑を生んだんだろう。

 それまで元気だった高華妃が突然倒れ、信頼する者以外全て遠ざけたのだから、確かに「毒を盛られた」と噂がたってもおかしくない。

 そしてその騒ぎに便乗し、ここぞとばかりに翠麗に危害を加えようとしている人間がいるかもしれないと、そういう事であれば、確かにそのタイミングで脅迫状が届くのも納得は出来る。

「脅迫状を受け取る前から、私達は小翠麗様に身代わりを務めていただけるよう、準備を進めておりました。貴方あなたにできるだけ負担が無いように、滞在場所を華清宮に定めたのももちろんその為でした──ですが」

「……ですが?」

「脅迫状の送り主が、後宮の人間である事に間違いはないでしょう。結果的に……犯人をおびき出す形になってしまったのは事実ですし、私達にもその可能性への自覚はありました」

「つまり……犯人がここで『翠麗』に危害を加えてくる可能性があるとわかっていたって事ですか?」

「可能性はありますし……むしろ人数が限られることで、犯人が見つかりやすくなるだろうとも思っておりました──ですが、けして貴方を何かの犠牲にするつもりで選んだ訳ではございません!」

 そこまで言うと、桜雪は僕に深く頭を下げた。

「それは……」

 確かに、最初はそのつもりでなかったとしても、そうなるとわかって僕をそのまま迎え入れたなら、結局同じ事じゃないか。

 だけどそもそもの原因は逃げた翠麗にある。一番悪いのは、誰にも何も話さずに逃げた翠麗だ。この人達だって、他に方法がなかったのだろう。

 それに……もし翠麗に逃げる前に相談されたとして、僕はどこまで彼女に協力しただろうか?

 自ら身代わりを申し出たりはしなかっただろうし、必死に止めただろう──ねえさんも、『そうするしかなかった』のだろうか。

「くそ……」

 結局みんなそうなんだ。選べるほど選択肢があった訳じゃなかった。僕だってそうだ。今ここにいるのは、それ以外の結果を選ぶことが出来なかったからだ。

「だけど……ちゃんと話してくれたなら、僕だって受け入れて、それでも協力しましたよ!」

 仕方ないと納得は出来ても、やっぱりだまされていたことが嫌だった。僕だけ蚊帳かやの外で、何も知らないままだったのが。

 その時、また気がつけばたかぶっていた僕を抑えるように、あるいはなだめるように、ドゥドゥさんが後ろから、そっと僕の首筋に触れた。ぎょっとして振り返ってしまった。

 お陰で一瞬怒りがしぼんだ。そのくらいひっそりと冷たい手だった。

「ドゥドゥさん……」

より西には古く、年に一度、山羊やぎを野に放つ風習があるという。その山羊は人間の罪を背負わされ、代わりに死に至らしめられるのだ。それを贖罪羊すけえぷごおとと呼ぶらしい」

「……それが僕だというのですか」

「そうじゃな。そうすることも出来たということだ。消えた華妃の所在がわからぬのであれば、身代わりとして連れてきたそなたを死に至らしめ、華妃は死んだと知らしめれば良い。そうすれば誰も罪には問われぬ」

 それは確かにそうだ。本来そうすれば、全てが容易く、丸く収まっただろう。

「僕が、贖罪羊……」

「いいや逆じゃ。そなたは哀れな山羊にされてはおらぬ。それはすなわちそなたの女官達が、そなたが犠牲になる事を好まぬという事の証明ではないかえ?」

「…………」

 もう一度振り返ると、僕が苦くて飲めなかったお茶を、桜雪は全て飲み干していた。

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