第一集 玉蘭、華清宮にて毒妃に出逢う㉑

 王族の為に命を落とす事も珍しい事では無いから。

 だけど、だとしても、人の価値はどうだ? 命の価値はどうなのだ?

 こんな風に誰かの命をないがしろにして、それが当たり前だなんて、そんな世の中が本当に正しいのか?

「……そんなの、僕は絶対に嫌です」

「間違いであるものか。吾はそもそも毒から妃達を守る為に、後宮に置かれた存在だ。毒を浴びるのは当たり前だし、だから毒は吾にはほとんど無害だと……」

 傷口をいてあげようとすると、彼女は煩わしそうに反論しながら、僕の手を払った。

 赤い血が襟元に染みこんでいく様が、月の光の下でくっきりと僕の目に焼き付いた──目眩と、吐き気がした。

「だから……そうじゃないんですよ。それだけじゃない……一か十かの話じゃない、毒が有害か無害かどうか、それだけの問題じゃないです! 貴女が傷つく、痛い思いをする、僕のせいで──僕はそんな方法を『正しい』だなんて、絶対に許したくないんだ!」

「…………」

 冷静ではない僕をなだめるように、絶牙が僕の腕にそっと触れた。

 言葉がない彼は、僕に何も言えない。

「ごめんなさい、絶牙は痛くなかったですか? 蜂は? 怖かったですよね? 貴方あなたにばかり行かせて、僕は本当にきよう者だ」

 彼にしがみつくようにして、代わりに僕が言葉をほとばしらせると、涙もあふれだした。

 絶牙は大丈夫だというように、首を横に振って、僕の肩に優しく触れたけれど、涙は逆に止まるどころか爆発した。

 そのままおいおいと声を上げて泣き出した僕に、ドゥドゥさんと絶牙が慌てふためく。

 だけどもう、自分を抑えるのは無理だった。

「な……何故泣くのじゃ。吾のせいか……」

「だって、ひどいですよ! これじゃあ僕が貴女を傷つけるのと同じじゃないですか!」

 直接か、間接的かの違いだ。そんなの嫌だ、女性を傷つけるなんて軟弱者だ。

「何をそんな、極端なことを──子供でもあるまいに」

 僕の気持ちなんて、これっぽっちもわからないように、あきれ気味にドゥドゥさんが言った。

 そんな彼女に、絶牙が何か言いたそうに首を横に振る。

「……ああ、そうか。そうじゃな。そなた、まだひげも生えぬであったな」

 そう言ってドゥドゥさんは、どこか納得したように、そしてあきらめたように短く息を吐いた。

あてびとに身をささげるはいやしき者の道理。吾が毒を飲むのも、賤しきが血の本懐じゃ。少なくとも後宮というのはそういう場所じゃ──だが毒を持たぬ花も咲くか……」

 彼女は言いかけて、僕のひとみの涙を自分の衣のそでぬぐった。

「思い出したぞ。もう一人、以前そなたと同じ事を言った貴人がいたのう、小翠麗」

「え……?」

 彼女はそこまで言うと、それ以上は話す気がないというように、「もう戻らねば」と言った。

 慌てて立ち上がろうと、歩き出したドゥドゥさんを見上げると、いつの間にか大きな月が僕の泣き顔を見下ろしていた。早く戻らなければ。


 部屋に帰ると、どろどろに汚れた足にすいほうが出来た僕に大騒ぎをして、桜雪と絶牙が着替えやら手当てやらをしてくれた。

 そうして今日はもう足の裏に負担を掛けないようにと、絶牙に運ばれてドゥドゥさんの部屋に行くと、彼女は美味おいしそうに、長椅子でお酒を傾けているところだった。

「……お酒には、酔うのですか」

 僕はまだほとんど飲んだことはないが、ちゆうまんはよくお酒を「毒だ、毒だ」と言って、翌日頭を抱えているし、兄達はお酒で何度も問題を起こしている。

「残念ながら常人のつゆほどにも効かぬな。どんなに飲んでもほろ酔いじゃ」

 とはいえ、蜂の毒にはやられないものの、刺された傷は痛いのかもしれないと思った。

 痛みを誤魔化す為のお酒じゃないのだろうか? もちろん、ただ寝る前の楽しみかもしれないけれど。

明日あしたでも良いかとも思ったが、話は早いほうが良いかと思っての」

 やがて少し遅れて桜雪が部屋に来ると、ドゥドゥさんは待ちかねたように言った。

 皆で丸い卓を囲むように、採ってきた蜂蜜と、残った毒入りむしもちの、最後の一欠片かけらに向き合う。

「それで……結局この蜂蜜がどうしたんですか?」

「そうじゃな。最初に言ったように、この蒸餅、毒入りと、毒のないものを比べると、毒入りの方が少し甘い。毒の味を誤魔化す為かと思ったが……見比べてみると、こちらの方が表面につやがあると思わないか?」

 そう言われると、確かに毒入りの蒸餅の方は、上部にしっとりと照りがあるように見えた。

「うむ。だからおそらくこの毒入りの方は、表面にはちみつを塗ったのではないかと思う。表面に塗られていれば、必然的に舌に甘みが触れる。余計に甘く感じたのだろうし──それに菓子の保管場所だ。茴香の話では、衣装部屋の引き出しの中にしまっていたらしいが──ようは誰にでも触れられる場所に置いていたということだ」

「蜂蜜が毒なのですか?」

 桜雪がげんそうに問うた。

「全てではない──が、この蜂蜜には毒がある。これは毒の木の傍に置かれたつぼから取ってきた蜂蜜だ」

「では……やはりその蜜にも?」

 まだ蜂に襲われた恐怖に、手が冷たくなるのを感じながら、僕は問うた。

「ああ。毒花の傍……たとえば日が当たらず、少し開けた場所にみつろうを塗った壺を置いておくと、春になればミツバチが集まってくる。うまく女王蜂がそこに巣を作ればかんぺきだ。花そのものよりは多少毒素は弱まるが、甘くて危険な毒ができあがるというわけだ」

 全ての毒花の蜜に、毒が含まれるわけではないが、とドゥドゥさんは淡々と語る。でもその顔には明らかに笑みが浮いていた。

「では……犯人がその場所に壺を設置したという事ですか?」

「恐らくは」

「でも、そう簡単に蜂蜜って集まるのでしょうか?」と、聞いたのは桜雪だった。

「それじゃ。一匹の蜂が、生涯集めてくる蜂蜜は、一さじほどという。しかも今回は、まだ採蜜が始まって日が浅く、おそらくは熟成の足りない、水分の多いみつという状態で採ったのだと思う。その為に更に毒は薄まり、茴香は一晩寝込む程度で済んだのじゃろう」

「でも、それって……」

 だとしたら、蜂壺の存在は、当然偶然置かれた物には思えないだろう。

 誰かが意図的に、あそこに蜂を導いたのか。

 であるならば、犯人は事前に犯行を計画していたという事か?

「でも、僕が温泉宮に来る事は、事前には決まっていなかったですよね?」

「それはそうだな。だが人目の少ない温泉宮ならば、毒を盛りやすいと計画をきゆうきよ早めたのかもしれぬ」

「なるほど。だから慌ててまだ熟成の足りない蜜を犯行に使ったのではないか? と、そういう事ですか?」

「そのお陰で、茴香が死なずに済んだのだから、犯人がいて良かったの」

 それは確かに、不幸中の幸いだった。

「吾がまず、毒に倒れた茴香を見て気がついたのは、その肌にあわがたっていた事じゃ。それ自体はひどく珍しい事ではない。が……あんなにもくっきりと粟だっていたのは珍しい。まるで仙人掌サボテンのようじゃった。更には手足のしびれ、まるで酔うたようにふらつくその様、珍しい毒を使ったとすぐに思うたよ」

 淡々と、ドゥドゥさんが微笑みながら並べる毒の効果は、まるでうたの歌詞のようだ。

「では……その毒が含まれた蜂蜜を、誰かがこっそり衣装部屋に入り、蒸餅に塗った……それが可能なのは、女官かかんがんだけですが──今、部屋に出入りしている宦官は絶牙だけです、この者は裏切りませぬ」

 桜雪が低い声で、けれどきっぱりと言った。

 それを信じて良いのだろうか? と、一瞬さいしんが頭をよぎった。

 だけど僕は、彼の静かな夜の色の瞳を信じたかった。

「とはいえ毒の入手経路の事もある。後宮の女官が簡単に出歩けはしないだろう。華妃の部屋仕えには、よほど口の堅い共犯者がいるのだろう。手駒のような女官か、あるいは女官の手駒になる者か」

「口の堅い共犯者……?」

 そこで僕ははっとした。

「桜雪……脅迫状……もう一度脅迫状の事を教えてくれますか?」

 毒も飲んでいないのにざわっと皮膚が粟立ち、僕は自分で自分の身体を抱きしめた。

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