第一集 玉蘭、華清宮にて毒妃に出逢う㉓

「どうしてと、聞きたいのは私の方です巧鈴」


 部屋にりんとした声が響いた。桜雪だった。

「ほ……本当に巧鈴が、高華妃様に毒を盛ろうとしたのですか?」

 震える声で聞いたのは、茴香だ。扉の前に立つ二人を見て、わっと巧鈴が泣き崩れる。

「違う! 違います! 私は華妃様には毒など盛っていないわ!」

「ほう? では、これが毒でなくてなんだと言うのじゃ?」

 けれどそんな巧鈴を見下ろし、毒妃が声を上げてわらった。それは美しく。月よりもあでやかに。

「知らなかったとは言わせぬよ、巧鈴。お前が使った毒は『馬酔木あせび』。馬や家畜が食し、酔うたように倒れる事からおそれられた毒じゃ。その症状はの異常、手足のしびれ、そして皮膚が仙人掌サボテンのようにあわつことよ──ひどい時は、心の臓やの腑から血が噴き出す」

「そんな……」

「本当に恐ろしい毒じゃ! 大きな家畜を殺してしまうほどの毒じゃ! ようく見よ、こんな小さな身体の華妃であれば、口にすればあっさり血を吐いて死んでしまうところだったのに……そなたはそれでも違うと申すか?」

「ちが……ちがいます、本当に……」

「本来ならば、家畜も避ける毒草じゃ。花や実、葉、根、花粉に至るまで毒がある。獣たちは本能でそれを避けるものよ。だがわかごまや、らう草のない飢えた獣が、空腹のあまり食することがある。そうしてからっぽの胃袋を、毒で血まみれにしてただれさせ、苦しんで死に絶えるのだ」

 残酷な毒のうた

 後宮の毒妃が、うたうように巧鈴を責める。

 巧鈴はガクガクと震え、そして助けを求めるように僕を見たが、ドゥドゥさんはそれを許さずに、ぐいと己の方を向かせた。

 昼でも、夜でもない色のひとみが、かすかな光しか通さない双眼が、巧鈴をとらえる。

びんじゃのう、哀れじゃのう……でもそれを知って、そなたは何を思ったのだ? そこのなる白山羊やぎが、毒で苦しむ姿を想い、何を感じた? その邪悪な心にはどんな毒が咲いていたのだ?」

「違います! 華妃様じゃありません! 私が殺したかったのはそこの女官達です!」

 とうとう、巧鈴が夜を引き裂くような声で叫んだ。僕は目を伏せた。

「そうね……わたくしにではなかったのよね」

 そうだ──巧鈴はわかっていたのだ。華妃が受け取った菓子は、華妃が食べる前に必ず、周りの者が毒見をすると。

 それも、脅迫状が出されている今であれば、本当に信用出来る人間が食べるはずだと。

「……茴香に食べさせるとは思いませんでしたわ。桜雪が自分で食べるか、そこの気味悪いかんがんに食べさせると思ったのに……本当にどこまでも自分だけが可愛いのね」

 そう巧鈴が忌々しげに言うと、桜雪はけんに深いしわを刻んだ。

「高華妃様、どうしてこんなきような女を手元に置いておかれるのですか! こんな、卑怯な事を繰り返して、のし上がってきたような女を!」

貴女あなたこそ、だからってどうして毒など使おうとしたの?」

 叫ぶように問われ、僕は静かに答えを返した。巧鈴は悔しげに唇をんだ。

「……理由が何であれ、私は貴女への逆心は欠片かけらもございません」

「わかっているわ。わたくしを本当に殺したいのなら、わざわざ脅迫状も、死んだネズミも必要はなかったはずです。でもそうじゃなかった──毒妃様が言っていました。『犯人は派手好き』だと。つまり、わざわざ周囲に、わたくしが狙われていると知らしめる必要があった……最初から狙いはわたくしではなく、わたくしを守ろうとする人間だったのね」

 長く後宮で働く巧鈴なればこそ、桜雪が絶対に華妃をかばうことはわかっていた。

 てっきり、犯人は外にいると思っていた。でも逆だった。協力者が外にいたのだ。

 そう──僕の手紙を忠実に、秘密裏に届けてくれる、彼女のおいの存在だ。

 夕べも長安まで、馬を走らせてくれたから、彼のうまやに人はいなかった。

「貴女に命じられて、彼があの毒を準備したのね」

 巧鈴は弱々しくうなずくようにうつむく。

「昭儀様の衣装の件、そしてわたくしへの殺害予告に添えられたネズミ……。脅迫状には、貴女の気持ちが溢れていた。貴女の憎悪が。貴女が本当に苦しめたかったのは、わたくしではなく『桜雪』だった」

 途端に巧鈴は顔をくしゃっとさせると、弱々しくすすり泣きはじめた。彼女はもう、何も否定はしなかった。

「華妃様に……不満があるとしたならば、貴女が私ではなく、桜雪を傍に置いていることです」

 低く、さめざめと巧鈴が吐き出す。

「桜雪は自分が出世する為に、私を陥れたんです。ネズミにわざと昭儀様の衣をかじらせて……私が、昭儀様に𠮟られるようにと──」

「誤解だわ! 私が仕組んだりしたわけでは……」

「貴女の言う事なんて信用出来るものですか! 散々私を踏み台にして!!」

 困惑する桜雪と、怒りをはじけさせる巧鈴。

 絶牙が腰の剣に手をかけて、『いかがいたしますか?』というように僕を見たが、僕は首を横に振った。

 その解決法は、他でもない翠麗が許さないだろう。

「だからといって、どうして毒を? 貴女の仕事ぶりなら、いつかわたくしは、貴女を重用したでしょう……何故待てなかったの?」

「充分待ちましたわ! 待って……待ち続けて……もう待てませんでした」

 そんなある日、きゆうしやを継いだ甥から、冬に飼い葉の中に紛れた毒草のせいで、馬たちが大変な事になったと、巧鈴は聞いたのだ。

「よくよく話を聞いて、『これだ』と思いました。以前にも、祖父から同じような毒草で、家畜が大変な目にあった話を聞いた事があったんです」

 馬酔木の花は、美しいけれど恐ろしい。

 その毒は蜂たちの集めたみつにまで溶けて、口にした者を冒す──その甘い毒に、巧鈴はすがった。弱き者の一方的な力に。

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