第一集 玉蘭、華清宮にて毒妃に出逢う⑱

「後宮から招いている料理人に聞いた所、主な材料はでたりんかんらんの仁、はちみつ海松子松の実胡桃肉くるみ、ひまわりの種だそうです。それを米の粉と一緒に蒸すそうですわ」

 見るからに美味おいしそうなのに、桜雪の説明で更に蒸し菓子が魅力的に見える。

 でもこの茴香が毒見した方には、確実に毒が仕込まれているし、一応今日買ってきた方だって、絶対に安全とまでは言い切れない。

「私がお毒見させて頂きます」

 恐らく僕と同じ事を考えたのか、桜雪が恭しく言った。

 けれど彼女が蒸餅を手に取るより先に、ドゥドゥさんがサッとそれを口に運んだ。

「ふむ。確かに美味じゃ」

 もふもふと美味しそうに食べ、飲み込む彼女に一瞬ぼうぜんとして、すぐさま我に返る。

「な、もし毒が入っていたらどうす──ドゥドゥさん!?」

 けれど彼女はあろうことか、今度は毒入りの方も、喜色満面にあふれさせ、ひょいと半分ほどを口に放りこんだ。

 毒が『入っているかもしれない』蒸餅ではなく、毒が『入っている』蒸餅をだ。

「なんという事を!! 吐き出してください! 今すぐ!」

 けれど驚き、慌てる僕達とは逆に、ドゥドゥさんとその侍女は平然としていて、やがて毒菓子はごくんと飲み込まれてしまった。

「いったい何を考えてるんですか!」

 信じられない! 夕べ一晩、茴香が苦しんでいたのも見て知っているはずなのに!

「案ずるな。このくらいは平気じゃ」

「平気なわけないでしょう!? だって──」

「いいや、平気なのじゃ。われは母のはらで散々毒を浴びたゆえ。この程度の毒ならば、大事に至るほどではない──もちろん吾に限ってのことじゃが、害といえる程のものではないよ」

「本当に、害がないのですか……?」

 僕だけでなく、桜雪達も顔面がそうはくになっている。けれど当人はまったく動じていない。

「心配だというなら、後で火がつくほど強い酒を用意しておくれ」

「強いお酒で効果が弱まるんですか?」

「いや、ただ多少腹がいたくなっても、酒で寝ていれば覚えておらぬ」

 そんな……そんな方法を聞いて、お酒が渡せるわけがない。

「本当に案ずるな、偽華妃。吾はこうやって、陛下のちようなく正八品から四品まで上がったのだ。その毒の味や、が身に起きる微細な変化──これがなくては、その毒の正体を探り当てることは難しい」

 けれどよっぽど僕の顔が心配そうだったのか、彼女は一応そう言い直した。

「そうかもしれませんけれど……」

 だとしても、『だったら良かったですね』とは言いにくい。効きにくいとはいえ、毒だ。何があるかわからないじゃないか。

 だけど、ここでは彼女のその持ち得た才能に、頼るしかないのも事実だった。

「それで、何かわかりまして?」

 桜雪がおずおずと問うた。

「そうじゃな……毒入りの方が甘いな」

「甘い?」

「ああ……この甘さで、毒のえぐみを誤魔化しているのかもしれないが、香りもわずかだが違った。が、はっきりと違和感を覚える味ではない……なんだこれは」

 そうつぶやくように言って、彼女は少し思案するようにうつむいた後、ふと自分のてのひらを、握ったり開いたりした。

「どうやら気の道に作用があるな。手足の動きが鈍い。茴香を見るに、加えて胃痛などのはらわたに異常がでる……ふむふむ」

 そう言って今度は自分の腕をでたり、遠くを見たり、どうやら本当に自分の身体に起きている症状で、毒を判断しているらしかった。

 確かにそれは一番確実で、一番答えに近いだろうけれど……でもだからといって、自分の身体を犠牲にするその行動に、僕は寒気を覚えた。

 これは普通のことじゃないし、なにより彼女がうれしそうに笑っているのも怖かった。

 怖かったし、こんな事をさせる為に、彼女をここに呼んでいる事に、罪悪感を覚える。

 元は僕が飲むはずだった毒だ。僕を苦しめるための毒が、彼女の身体を傷つけている事が嫌でたまらない。

 だけれども、彼女に頼る以外のすべはない。毒の前で僕は悔しいほど無力だ。

「……近くに牧場や、馬小屋はあるか? この華清池に」

「え?」

「家畜を飼っている場所が知りたい」

 唐突な質問に、女官とかんがんの四人が顔を見合わせた。

「それは……あるかと思います。牛の乳を搾ったり……ここは馬球の試合場もありますし、長安の街から馬を駆って来た方の馬留めも必要でしょう」

 桜雪が言うと、また少しドゥドゥさんが腕を組み、悩むような仕草を見せた。

「……何かを、調べてきたらよろしいですか?」

 だからおずおずと問うた。

「そうだが、説明がうまく出来ぬ。そもそも吾以外で探せるか……」

「なるほど……だったら、一緒に行かれますか?」

「……え?」

 ドゥドゥさんがきょとんとした。

「あ、そうか。さすがに駄目ですか……女官や宦官の格好をしても……ドゥドゥさんは特に目立ってしまうか」

 そうだった。

 そもそも僕達『妃』はここから出てはいけないのだ──たとえ後宮でなくとも。

「でしたら、小翠麗様は女官服、毒妃様はべき(全身を覆うしやのついた帽子)を被られては? 更に絶牙が護衛に付けば心配無いかと思います」

 けれど、そう言ったのは、茴香だった。

「…………」

 でも険しい顔をしているのは、やはり桜雪で、彼女は悩んだ末に、ドゥドゥさんの女官を見た。

「……護衛が付くなら、短時間であれば、良いのではありませんか?」

 同じように悩んでいたドゥドゥさんの女官が言った。桜雪以上に心配そうな表情ではあったのだが。

「……まあ、広義で言えば、確かに外も温泉宮でありましょうが……」

 ドゥドゥさんはともかく、僕は本当は元々後宮の人間ではないのだ。

 後宮の外に出るならばともかく、この華清宮であれば、他の女官達にさえバレなければ、多少抜け出す事は問題ないだろう。

 その後もう少し悩んで、結局桜雪は、「では、そのように」と言った。

 できれば僕は宦官服が良かったが、絶牙のものを借りるには、僕は小さすぎ、他の服はすぐに手配できそうにない。

 よって女官の簡素な衣をまとうことになった。あれだけ寝ているように言っているのに、茴香はそれでも言うことを聞かずに、僕達の着替えに手を出して、その後ぐったりと横になっていた。

 それにしても、段々女性の衣装を着慣れていく自分に驚く。

 僕自身はまったく変わっていないのに、女性の服は歩き方もなんとなく、しゃなりしゃなりとなってしまって、ほとんど無意識に所作を正してしまう。

 本当に不思議だ。人間は自分で思うより、外側に支配されているのだろうか。

 僕は美しい衣を纏った翠麗しか知らない。

 彼女の内側はどうだったのだろう? そんな事を思いながら、僕は鏡に映る僕の目の色をした翠麗と、しばらく黙って見つめあった。

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