第一集 玉蘭、華清宮にて毒妃に出逢う②
「誰かに
「私も考えた。だがおそらくは自分の意志だ。赤い花が添えられていた。小翠麗と呼ばれたお前なら、その意味がわかるだろう?」
「それは……」
それは
であれば、これは本当に翠麗が自分の意志で書き、僕達に残したものなのか……。
「だったら……いったい何故?」
文を見下ろし、僕は絞り出した。
「わからぬ。祭りの朝に見かけたときは、いつもと変わらないあの子だったのだ」
高力士様も消沈した表情で言った。
祭りとは三月三日の
誰しもが心待ちにしたうららかな春、
古くは
翠麗は幼いうちから高力士様にその美しさや才覚を
確かに今は、陛下のお召しがない状況だと聞くけれど……だからといって高家にあった頃よりも裕福に、穏やかに暮らせているはずだ。
少なくとも、僕の送った文の返事には、毎日書を楽しみ、歌い、踊り、小犬をからかって楽しく暮らしていると書かれていたのに。
「本当に、何故……?」
「何故かは不明だ。だが問題はここからだ、玉蘭」
「ここから?」
「ああそうだ。後宮の、しかも華妃ともあろう者が後宮から逃げ出すなど、到底許される話ではない」
「そ、それは……」
確かにそうだ。華妃が後宮から逃げ出すなんて事は大罪だ。
後宮はけっして、陛下が女性と戯れる為だけの場所ではなく、本来は正統な陛下の
国の未来のためにある、その厳重な規則は、たとえ高力士様とて変えられない。
「あの子の後見人は私だ。翠麗を後宮に上がらせ、陛下に献上したのは私であり、私の後ろ盾があるからこそ、陛下はあの子を華妃に封じてくださったのだ」
陛下は父と同じく、一人の女性を大切にする方だという。当時、最愛の
でもそれは
「私の失脚を望む者は多い。あの子の逃亡を許す者はいないだろう。そしてその罪は、そのまま高家が背負うことになる」
「姐上……」
つまりは大罪だ。これが明るみに出れば、翠麗だけでなく、僕や、高一族そのものが罰せられることになるだろう。
どうして……それがわからぬ人ではない筈なのに。
「だがとにかくあの子は、必ず戻ると記している。私は翠麗が噓をつくとは思わない」
「それはそうです。姐上は必ず約束を守られる方です」
「だから……玉蘭。お前に頼みがあるのだ」
「はい。翠麗を捜して、連れ戻せば良いのですね?」
勿論どこにだって捜しに行こう。たとえ
「え?」
「いいや。捜索は勿論するが、お前にしか務められぬ役割があるのだ」
「僕に?」
「ああそうだ。あの子は必ず戻ってくる。だからそれまでの間、お前があの子の身代わりになって欲しいのだ」
「……は?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「翠麗が不在の間、そなたが後宮で高華妃になるのだ、玉蘭」
「僕が身代わりって、僕がですか? 僕が華妃になれと!?」
「ああそうだ。小翠麗」
「そ、そ、そんな! 正気ですか!?」
思わず声が上擦る。高力士様が険しい表情で僕を見た。
「正気だとも。そなた達二人は本当によく似ている。今では顔立ちだけでなく、背格好もそっくりだ。何よりお前は翠麗の事を誰より良く知っている。弁も立つそなたならば短い間であれば、あの子の代わりを務められよう」
「そんな……」
「幼い頃、よくそうやって入れ替わって、家の者をからかっていたではないか」
「そんなの、うんと子供の頃じゃないですか!
「いいや、わかっていない。やらなければ私も高家も、みな破滅するのだ」
「そうですが、そんな……」
「陛下は今、
「だからって……」
「その代わりという訳ではないが、身代わりの役目を無事こなせた暁には――そなたを正式に引き取れないか、そなたの父に掛け合ってみるつもりだ」
「う……」
「そして私の息子として、科挙を受けなさい。任子(※特権階級による世襲制度)でお役目に就ける事も出来るが、周囲にとやかく言われるのは嫌だろう? だがとにかく今は翠麗の事だ。そしてそなたの献身には、私も報いよう……どうだ?」
「それは……
父にとって、妻はただ一人。僕の母を愛さなかったわけではないけれど、彼はそれでも翠麗の母親以外を妻に迎えたくなかった。
故に僕は庶子のままだ。父は僕を嫌っている訳ではないけれど、だからといって上の息子二人を
別に名を揚げたいという野心がある訳ではないけれど、今は良くても父が亡くなった後、あの兄の下で高家が安泰とは思えないのである。
だからこの申し出が、嬉しくない訳がない。
でもそもそも翠麗が消えてしまった今、そちらをなんとかしない事には、高家に未来はないのだ。
それに、僕が翠麗のフリをして、しっかり華妃の役目を全うするという事は、一族を守るという事だけでなく、再び戻ってきた彼女の居場所を守れるという事でもある。
翠麗は僕にとって
粗暴な兄達から僕を守り、父とも
「……わかりました。命をかけて務めさせていただきます」
床板に付くほど
とはいえ、胸の中には不安しかなかった。いったい翠麗は何を考えて、どこにいるのだろうか?
あの賢くて優しい人が、どうしてこんな大変な事をしでかしたのだろうか。
姐の身を心配しながらも、それでも僕は少しだけ翠麗に、心の中で恨み言を吐いた。
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