後宮の毒華

太田紫織/角川文庫 キャラクター文芸

プロローグ

 早く流れる雲が、ちらちらと月を隠した。

 けれど再び顔を出す月はくっきり明るく、地上に光の影を残している。

『彼女』は、その中にいた。


 まるで人のようには思えなかったのは、彼女には多くの人が持つであろう『色』が少なかったからだ。

 風になびく少女のような下ろし髪は銀糸、肌は真珠のように白く、月の下で輝いていた。

 玉や真珠や月影、この世で冴え冴えと美しく輝くものを、すべて混ぜ合わせてこね上げたら、彼女のようになるだろう――不意に友人・ちゆうまんの言葉が頭をよぎる。

 僕は詩人じゃない。けれど今初めて、僕はその言葉の意味を知った。

 目の前にいた人は、まさにあえかで美しく、この世の淡く輝くものを、すべて混ぜ合わせたような、そんな姿をしている。

 何歳だろう? すいれいと同じか、それより少し下か――いや、逆に上かもしれない。年齢すらもはっきりしない。

 庭園の花に向かって伸ばされた指は細く、まるで骨のようだ。

 ゆうらりと動く姿は、まるで人とは思えない。

 歌声は低く、擦れた音は柔らかい――けれど、それでも彼女のまとう空気は冬の月のように寒々としている。

 彼女の美しさは冷気を感じる。いや、もしかしたら恐怖なのかもしれない。

 僕には目の前にいる人が、本当に生きている存在には思えなかったからだ。

「…………」

 目の前の幽玄な人を見て、呆然としていたのは僕だけではなかったようで、不意に我に返ったように、慌てて近侍の絶牙ぜつがが僕の腕を引いた。

「あ……」

 けれど足を痛めていた僕は、急に引っ張られてぐらりと体勢を崩してしまった。

 幸い傍に木があったお陰で事なきを得たが、僕の小さな呟きに気がついて、美しい幽鬼がこちらを見た。

 ぱっちりと開かれたその目は、日暮れ前と日の入り後のわずかな時間の、朱と紫が混じったような、不思議な夕陽の色をしている。

 胸に抱く、手折った花の淡い桃色と、その瞳の色だけが、彼女のもつ『色』だった。

 そしてそのどれもが静謐せいひつで美しく、恐ろしかった。

「あ……あの……」

 沈黙に耐えきれずに、そう切りだしたのは正しい事だったのか、間違いだったのか。

 彼女はその美しい顔をぎゅっと歪めると、僕を睨んだ。

「触れるな」

 夜に響く、その声はまるで毒のように無慈悲で、僕の全身は凍り付いた。

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