第5話 Whereabouts
全捜査員は手当たり次第に、家という家を訪ねて回ることとなった。
不在だった家には、再度訪ねることになっている。
私は、清水の表札がある家のインターホンを押した。
何度押しても、誰も出て来ない。
ちょうどその時、斜め向かいの家から熟女が出てきた。
おしゃれしているから、どこかへ行くのだろう。
さっそく、タロちゃんに青のメモリーカードを挿して、聞き込みをしてもらう。
『すみません、お出掛けになられるところを恐縮ですが、いくつかお伺いしてもよろしいですか?』
「あら、何かしら?」
青太郎の顔を見るなり、媚びるようにしなを作る熟女。
相変わらず、青太郎は百発百中だ。
青太郎は、清水さん家を指差しながら、熟女に問う。
『こちらの家に住んでいる方を、ご存知ですか?』
「ええ、もちろん。とても愛想の良いお婆さんよ」
『今はご不在のようですが、お出掛けになられたところを、ご覧になりましたか?』
「そうねぇ。いないんだったら、老人クラブにでも行っているのかもしれないわ。きっとそのうち、帰ってくるんじゃないかしら?」
『そうですか。情報提供頂き、ありがとうございます。お忙しいところをお引き止めして、申し訳ございませんでした。どうぞ、お出掛けになって下さい』
「もういいの?」
熟女は、残念そうな顔をした。
青太郎はイケメンだから、もう少し話したかったのだろう。
名残惜しそうな顔をしながらも、立ち去ろうとした熟女に、私は慌てて呼び止める。
青太郎は、肝心なことを聞いていない。
「最後に、ひとつだけ。清水さんは、ひとり暮らしですか?」
「ええ、そうよ」
「分かりました。ありがとうございました、いってらっしゃーい!」
熟女は、納得がいかなそうな顔で私を見た後、太郎を見てにっこり笑って去って行った。
青太郎と組んでからというもの、こういう態度を何度も見てきた。
思わず肩を落として、ため息を吐く。
「何、この扱いの差。そりゃ、イケメンの太郎君と比べたら、私はパッとしないけどさぁ。ちょっぴり悲しくなってきちゃったよ」
『何を言っているんですか、穂香さん。外見が全てでは、ありませんよ』
「そっちこそ何言ってんの? 外見ってかなり重要よ? もちろん、中身も大事だけどさ」
『それなら僕は、穂香さんの外見も中身も好きですよ?』
柔らかく微笑む青太郎に、私は照れ臭くなって笑ってしまう。
「そう。お世辞でも嬉しいよ」
『お世辞ではありませんよ、僕は本当に、穂香さんが大好きですから』
こんなイケメンから「大好き」なんて、言われるとは思わなかった。
私のことを本気で「好き」と言ってくれていた人は、もういない。
ふいに、あの人の優しい笑顔を思い出した。
無性に恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
不在だった清水さん家に目星をつけて、他の家も回ることにした。
ひと通り担当エリアを訪問して回った後、清水さん家へ戻ってきた。
この近辺には、清水さん以外、ひとり暮らしのご高齢者はいなかった。
他のご高齢者は家族と一緒に住んでいるか、介護付き有料老人ホームに入居しているか。
容疑者が狙うのは、ご高齢者のひとり暮らし。
となれば、あとは清水さんが老人クラブから帰ってくるのを待てばいい。
私とタロちゃんは、清水さん家近くの駐車場をお借りして、車の中で張り込むことにした。
タロちゃんは、張り込み捜査用の黄色いメモリーカードに挿し替えた。
「今度こそ、容疑者を捕まえてやる! さぁ、来るなら来いっ!」
『だから、うるさいって言っているでしょう』
気合を入れたら、黄太郎に怒られた。
出端をくじかれて(ではなをくじく=やり始めに邪魔が入り、中断せざるを得なくなって)、私は拗ねる。
「はーい、すんませんねーだ。やっぱ、黄色いアンタは嫌いっ」
『……嫌いで、結構』
黄太郎は、ボソリと低い声で答えた。
なんとなく、黄太郎の顔が険しくなった気がする。
黄太郎は元々愛想がなかったから、特に気にとめなかった。
しかし待てど暮らせど、清水さんが帰ってくる様子はない。
そのうち、夜を迎えてしまった。
もしかすると、今日のところは帰って来ないのかもしれない。
ご高齢になったって、夜遊びが好きな人はいるし、旅が好きなご高齢者だっている。
老人クラブで恋人が出来て、その人の家にお泊りすることだって考えられる。
焦っても仕方がないから、気長に待つとしよう。
それから待つこと、2時間後。
『燃えている』
「えっ?」
黄太郎に言われて、家を良く見てみる。
窓の中で、紅い光が踊っている。
しばらくすると、高熱に耐え切れなくなった窓ガラスが一枚、音を立てて割れた。
それを合図に、他のガラスも次々と割れていく。
狭い家から解き放たれた、紅蓮の炎が天を焦がす。
急いで、スマホから消防へ通報した。
次いで、無線機で捜査本部へ連絡を入れた。
それらが終わると、私は車から飛び出した。
もしかしたら、中に誰かいるかもしれない。
清水さん家の玄関を、力いっぱい叩く。
「清水さん! 清水さんっ!」
大声で呼んでも、返事はない。
炎で熱せられたドアノブは、熱くて掴めない。
ハンカチでドアノブを包み、どうにか回すと、鍵は掛かっていなかった。
勢い良くドアを開くと、バックドラフト現象(燃焼により酸素が欠乏した部屋のドアを開けると、部屋の外側に向かって炎が爆発的に広がる現象)が起こる危険性がある。
ドアを盾にしながらゆっくり開くと、家の中は火の海だった。
家中の物が燃え上がり、焼け落ちている。
何か燃えやすい物に引火したのか、火の勢いが激しい。
有害な物質も燃えているらしく、異臭がする。
外気を求めて、炎の手がこちらへ伸びてくる。
舞い上がる火の粉と、炎をはらんだ熱風で、入り口に立っているだけでも恐ろしい熱さだ。
「誰か、中にいませんかーっ? 清水さ……ごほっ、清水さーんっ!」
煙にむせながら、家の中に向かって何度も叫ぶ。
朱色に燃え盛る炎が全てを覆い、黒く炭化した物陰しか見えない。
もしかしたら、逃げ遅れた清水さんが中にいるかもしれない。
生きているなら、助けたい。
居ても立っても居られず、一歩踏み出す。
直後、腕を掴まれて強い力で引き戻された。
振り向くと、私の後ろに黄太郎が必死の形相で立っていた。
「太郎っ?」
『行くなっ!』
「でも、清水さんがっ!」
『こんなに燃えていたら、生きていないっ!』
「でもっ!」
中へ入ろうとする私を、黄太郎が後ろから強く抱き締める。
『入ったら、アンタも燃えるっ! 俺の相棒は、アンタだけだ! アンタが死んだら、俺は……っ俺はどうしたらいいっ?』
黄太郎が、あまりにも必死で引き止めるので、私は動けなくなった。
首を回して後ろを見ると、黄太郎は悲痛な顔をしていた。
興奮していた頭が、急速に冷えていく。
ため息を吐くと、黄太郎に優しく声を掛ける。
「分かった、もう行かないから」
『本当?』
「うん。絶対に行かないから、離してくれる?」
黄太郎の腕が緩んだので、私は黄太郎から体を離した。
「心配掛けて、ごめんね」
『分かればいい』
向かい合って頭を撫でてやれば、太郎は気まずそうに目をそらした。
まるで、素直になれない子どもみたいだ。
なんだ、黄太郎も可愛いところがあるんじゃない。
「あー、その……さっきは『嫌い』なんて言っちゃって、ごめんなさい、タロちゃん」
頭を下げて謝ると、黄太郎はキョトンとした。
ややあって、拗ねた口ぶりで黄太郎がボソリと言う。
『俺は「タロちゃん」じゃない、「加藤太郎」だ……』
消防車が到着する頃には、家そのものが大きな火柱となっていた。
そして焼け跡から、炭化したひとりの遺体が発見された。
それは、清水さんの変わり果てた姿だった。
現場検証の結果、火事は放火ではなく、事故であったことが判明した。
「遺体に、殺害されたと思われる痕跡はありません。石油ストーブが最も燃えていたことから、火事の原因はストーブから引火したものではないかと思われます」と、鑑識官が分析した。
連続強盗殺人および放火事件は、この件とは無関係だった。
しかし、疑問が残る。
清水さんはいつ、家に帰ってきたのだろう?
もしかすると、清水さんは元々家にいたけど、耳が遠くてチャイムの音が聞こえなかったのかもしれない。
はたまた、私達が他の家々に聞き込みへ行っている間に、帰ってきたのかもしれない。
ずっと見張っていたのに、私達は何も出来なかった。
清水さん家に、誰かが出入りする姿は見られなかった。
それは、黄太郎も同じだ。
私が見逃していたとしても、黄太郎は見逃さなかったハズだ。
容疑者はいつ、どうやって、家から逃げ出したのだろう?
今更、いくら憶測をしても、清水さんは戻ってこない。
故人やご遺族には申し訳ないが、ここから先は、警察がどうこう出来ることはない。
先日、青太郎が優秀なことが分かったので、青いメモリーカードに挿し替えて、質問を投げ掛けてみる。
「ねぇ、青太郎」
『だから、青太郎じゃなくって、加藤太郎ですって』
このやりとりも、最初は面倒臭いと思っていたけど、段々慣れてきた。
「なんで、強盗殺人をするんだと思う?」
『経済が不安定になると、犯罪率が上がります。同時に、自殺者数も増えます。犯罪は、遊ぶ金欲しさから、やるばかりとは限りません。生活苦でやむなく、やらざるも得ない状況に、追い込まれる場合もあります』
「太郎君は、やっぱり賢いね。じゃあ、今容疑者はどこにいると思う?」
『新しい隠れ家にいます』
「じゃあ、その隠れ家は、どこ?」
『分かりません』
「ですよね~」
青太郎は優秀だが、何もかもお見通しというワケではない。
夕方、一通り聞き込みを終えた私は、タロちゃんを連れて署へ戻った。
署内の仮眠室へと入ってドアを閉めるなり、コンセントを探す。
「コンセント、コンセントっと……あった!」
ドアの側に、ひとつ。
2段ベッドの裏に隠れるように、ふたつのコンセントがあった。
「タロちゃん、ベッドの下段に横になって布団を被って」
『「タロちゃん」ではありません、「加藤太郎」です』
「はいはい、いいから、とっとと入って、横になる」
『はい、穂香さん』
タロちゃんは、私の指示通りに下段のベッドに横になって、布団を被った。
私はタロちゃんの電源を落とし、ベッド近くのコンセントにプラグを挿した。
『現在、スリープモードです。これより、充電を開始します。充電完了まで、あと6時間です』
スリープモードに入ったタロちゃんは、眠っているかのように見える。
「ホント綺麗な顔してるなぁ、惚れちゃいそー……」
無意識に、言葉を発していた。
それに気が付いて、自分の顔が急に熱くなる。
「え? 何? 今の? なしなし! 今のなしっ!」
誰もいないのに、私は激しく首を横に振って言い訳していた。
太郎の充電が始まったのを確認すると、私は慌てて仮眠室を出た。
「はぁ~……どうしちゃったんだろ、私」
左薬指で輝く、結婚指輪を見つめる。
あの人ひと筋! だったハズなんだけどなぁ。
なんで、よりにもよって、無機物なんかに……。
それ以上は、恥ずかしくて言葉にならない。
赤くなった顔を、両手でパンパンと叩いて、大きくため息を吐いた。
刑事課へ戻ると、井上が某有名店のハンバーガーを食べていた。
美味しそうなその匂いに反応して、私の腹が盛大に鳴った。
その音で、私の存在に気付いたらしい。
「田中君! お疲れ様!」
「井上も、お疲れ~」
「お腹が空いてるのかい?」
「まぁね」
井上は、私の机の上を指差した。
そこには、例によってお年寄りから貢がれた菓子が、山積みになっている。
今日の分だけでも、結構なもんだ。
昨日の分も、まだ残っている。
「さっき見たら、お弁当もあったよ。それ、食べたら?」
「そうね」
ビニール袋の中から幕の内弁当を探し出し、給湯室にある電子レンジで弁当を温めた。
適度に温まった弁当を持って戻ると、井上がまんじゅうを食べていた。
「やぁ、お帰り。これ、もらったよ!」
「悪くなっても、もったいないから、好きなだけ食べていいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて、もうひとつ頂こうかな!」
「いいよ、どんどん食べて」
私は自分の席に着くと、ビニール袋を隣の安藤の机へ押し退けて、弁当を食べ始める。
「ところで、田中君の相棒だけどさ」
「ん? 加藤君が、どうしたの?」
「こんなにたくさんお菓子を買って、どうするつもりなんだろうね?」
「……う゛っ」
井上に問われて、言葉に詰まった。
公務員は本来、業務上の利害関係者などから、金品を受け取ってはいけないという決まりがある。
受け取ってしまうと、
そういえば、すっかり忘れていた。
タロちゃんには、GPS(グローバルポジショニングシステム=位置情報)とか録画機能などが内蔵されている。
私と太郎君の言動は、常に監視をされているんだった。
ということは、太郎君が貢がれていたことも知っているワケで。
気が付いたら、血の気が引いた。
私は早々に弁当を平らげると、東京工科大学へ電話をする。
「もしもし」
『はい、東京工科大学工学部機械工学科ロボット工学研究室です』
電話に出たのは、若い男だった。
恐らく、先日、バッテリーを運んできてくれた人だろう。
名前は確か、吉田さんとかいったハズだ。
あのムダにテンションの高い、鈴木准教授じゃなかったことに、安心する。
「先日は、どーも。刑事課の田中です」
『ああ、田中巡査でしたか。こちらこそ、どうも。「加藤太郎君」に、何か不具合でも?』
「いえ、それは問題ないですよ。有能過ぎるくらいで」
『それは、何よりです』
自分達が作り上げたロボットが、褒められたことが嬉しいのだろう。
吉田さんは、照れ臭そうに笑った。
『それで、何かご用でしょうか?』
私は恐る恐る、吉田さんに確認する。
「ええっと、その。私とタロ……『加藤太郎君』の行動って、常に監視されているんでしたよね?」
『監視というと、響きが悪いですが。24時間体制で、観察させて頂いています』
「やっぱ、そうですよね~」
『それが、何か?』
「あのぉ、その、巣鴨で聞き込みをした際に……」
ごにょごにょと、言葉を濁す。
すると、吉田さんは私が何を言いたいか、察してくれたらしい。
『ひょっとして「加藤太郎君」に貢がれたお菓子のことを、言っているんですか?』
「やっぱり、これって、贈賄収賄(不正な目的で、金品を受け取る罪)とか贈賄罪(不正な金品を贈ったり、請求した罪)になるんですかね?」
私が言葉を濁すと、吉田さんは明るく笑った。
『いやぁ、だって、お年寄りが好意でくれたお菓子でしょう? そのくらいなら、問題ないと思いますよ』
「ああ、それなら良かった」
私はそれを聞いて、ほっとした。
本来ならば、お断りすべきなんだろうけど。
お年寄りのご好意を、
見られていたことには変わりないが、貢がれたことについてのお
私のアホな行動も見られていたかと思うと、顔から火が出そうだ。
今後は、言動に気をつけなければ。
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