第13話 Update《更新》

「タロちゃん、ちょっと失礼」


『はい』


 重役室じゅうやくしつを出ると、緑のメモリーカードを取り出して、タロちゃんのベルトにし込んだ。


 途端とたんに、私が見たかった柔らかい笑顔を見せてくれる。


『お久し振りです、穂香ほのかさん』


「た、タロちゃん……っ!」


 えられなくなって、緑太郎みどたろうに抱き付き、みっともなくボロボロと泣き出した。


穂香ほのかさんっ? どうしましたか? 何故泣いているのですかっ?』


 緑太郎みどたろうは驚きながらも、私を抱きめてくれた。


 緑太郎みどたろうの体からは、ほんのりと香水のにおいがした。


 嫌味いやみのない、品の良い大人の香りがする。


 私は香水なんておしゃれなものは、産まれてこのかた一度も付けたことがない。


 香水は、鈴木准教授じゅんきょうじゅのセンスかな。


 鈴木准教授じゅんきょうじゅは、変なところにこだわるクセがあるから。


 以前は、付けてなかったはずだけど。


 まさか、アップデートってこの香水のこと?


 緑太郎みどたろうに似合いすぎて、笑いが込み上げてくる。


「ふ、ふふっ」


『泣いたり笑ったり、相変わらず忙しい人ですね。何かあったのですか?』


 動揺どうようしながらも心配そうな声色こわいろで聞いてくる緑太郎みどたろうが愛しくて、答える。


「何もない。何もなかったんだよ、タロちゃん……」


 何もないことが、辛かった。


 ただ、あなたがいなかった。


 それだけが、さびしくて苦しくて切なくて。


 あなたにえたこと。


 それだけで、うれしくて愛しくて恋しくて。


 いろんな感情がグチャグチャになって、私は緑太郎みどたろうにしがみ付いて、子どもみたいに泣いた。


『泣きたい時は、いくらでも泣いて下さい。僕でよければ、いつでもいくらでも胸を貸しますから』


 緑太郎みどたろうは、私をなぐさめるように背中と頭を優しく撫でてくれた。


 私は緑太郎みどたろうの優しさに甘えて、気が済むまで泣いた。




「ごめんね、面倒掛けて」


『いえいえ、構いませんよ。はい、よろしければどうぞ』


「ありがとう」


 散々さんざん泣いた後、トイレで顔を洗ってきた私に、緑太郎みどたろうがハンカチと温かいミルクココアを渡してきた。


 紙コップ入りのココアは、警察署内にある休憩所きゅうけいじょに設置された自動販売機で、緑太郎みどたろうが買ってくれた。


 休憩所きゅうけいじょのベンチに腰掛けて、あったかくて甘いココアをひとくち飲み、ホッとひと息。


 そこで、ふと気が付く。


「タロちゃんって、お金持ってたの?」


『“多少は持っていた方が良い”と、鈴木准教授じゅんきょうじゅが渡してくれました』


「まぁ、それもそうか」


 確かに、何かあった時の為に、持っているに越したことはない。


 最近は、なんでもスマホ決済けっさいで財布を持ち歩かない人もいるけど。


 ああいう人って現金しか使えない時、どうするんだろう?


 タロちゃんは、以前から持っていたのかな? 


 使っているところ、見たことないけど。


 ロボットだから、使う機会もなかったし。


 緑太郎みどたろう微笑ほほえみながら私の横に腰掛け、胸ポケットから黒革くろかわの財布を差し出してくる。


『良かったら、見ますか?』


「見ていいの?」


穂香ほのかさんなら、盗まないでしょ』


「警察なんだから、盗む訳ないでしょ」


 財布はブランド物ではなく、一般的な長財布。


 中身を確認すると、札入れ側には渋沢しぶさわ栄一えいいちさんが1枚。


 津田つだ梅子うめこさんが1枚。


 北里きたさと柴三郎しばさぶろうさんが3枚。


 どれもり目がない、綺麗きれい新札しんさつだ。


 2024年7月に新しいお札へ変わったことは知っていたけど、現物げんぶつは初めて見た。


 まだそれほど新しいお札は出回っていないから、見たことがなかったんだよね。


 そういえば、「新しい札に変わった時は偽札にせさつが出回るから警戒けいかいしろ」と、言われてたっけ。


 あとは小銭こぜに入れに、小銭こぜにがジャラジャラ。


 たぶん、総額そうがく2万円くらい。 


 私だったら、こんなにたくさん持ち歩かない。


 普段の買い物はスマホ決済けっさいだし、財布には数千円しか入れてない。


「へぇ、意外と現実的ながくなんだね」


『鈴木准教授じゅんきょうじゅは“人の真似をするのも悪くない……本当の自分を見つける為には”と、言ってましたよ』


「ふぅん……よく分かんないけど、誰かの名言めいげん格言かくげんかな? 鈴木准教授じゅんきょうじゅって、妙なところにこだわるよね」


『鈴木准教授じゅんきょうじゅですから』


「鈴木准教授じゅんきょうじゅだもんね」


 私は緑太郎みどたろうと顔を見合わせて、声を立てて笑った。


 しばらく笑った後、緑太郎みどたろう真顔まがおになって聞いてくる。


『ところで、行かなくていいんですか?』 


「っと、つい、まったりしちゃった! 今、何時何分っ?」


 慌てて時間を問うと、緑太郎みどたろうが立ち上がり、時報じほうのように正確に答える。


『午前10時33分40秒、1、2……』


「もう、そんな時間っ?」


 私は少し冷めたココアを飲み干して、紙コップをにぎつぶし、ゴミ箱へ投げ入れた。


「さぁて、お仕事開始だ! 行くよ、タロちゃんっ!」


『はい、穂香ほのかさん』


 やっぱり、こうでなくちゃっ!


 走り出そうとして、緑太郎みどたろうは時速4kmでしか移動出来ないことを思い出して、横に並んで歩く。


 人間の平均歩行速度は時速4kmだから普通だけど、急いでいる時には困る。


 次のアップデートでは、走れるようにして欲しい。

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