第7話 Green memory

 突然、私の横を歩いていたタロちゃんが立ち止まった。


「ん? どうしたの?」


 それに合わせて、私も立ち止まる。


 タロちゃんが、何の感情も乗っていない声で、重大なことを告げる。


『穂香さん、容疑者です』


「えっ? どこっ?」


 思わぬ言葉に驚いて、周りを見回す。


 新型コロナウイルス肺炎とインフルエンザウィルスの時季が重なった為、誰もがマスクをしている。


 みんな、顔が半分以上隠れているから、特定が難しい。


『あの野球帽の男です』


 言われて、視線をそちらへ向ければ、国道を一本挟んだ反対側の歩道に、男が歩いている。


 目元が見えない黒サングラスに、黒い野球帽子とポリウレタン製の黒いマスクを着用している。


「あれが容疑者?」


『はい。身体的特徴から、間違いありません』


「おおっ、さっすが、タロちゃんっ!」


『「タロちゃん」ではありません、「加藤太郎」です』


 タロちゃんには、容疑者の顔はもちろん、年齢、身長、身体的特徴などのデータが入っている。


 それらと照合して、適合したのだろう。


「よし、付けよう」


『はい』


 ここにきて、追跡調査用メモリーカードが初登場だ。


 果たして、どんな性格が現れるのか?


 期待に胸を膨らませながら、緑色のメモリーカードを挿す。


 途端に、無表情だったタロちゃんの顔が、凛々しく引き締まる。


 と同時に、そっと私の腕を取った。


「え?」


『失礼。「恋人のフリ」をした方が、耳打ちなどをしても怪しまれませんので。しばらく、私と腕を組んでもらえますか?』


「ああ、そういうことね。いいよ」


『ありがとうございます』


 私が腕を組むと、緑太郎は柔らかく微笑んだ。


 どことなく、上品で気高い雰囲気がある。


 緑のメモリーカードは、紳士なのか。 


 しかも、私に恋人のフリをしてくれという。 


 青太郎は、私のことなんか完全にアウトオブ眼中の女たらしだったからな。


 今は、今だけは、私だけの太郎なんだ。


 ちょっと……いや、かなり嬉しい。


 だって、イケメンが彼氏役なんて、嬉しくないはずがない。


「恋人……かぁ」


『イヤでした?』


 緑太郎が、機嫌を伺うように聞いてくる。


 私は何故か少し照れ臭くなって、苦笑しながら答える。


「ううん、イヤなんかじゃないよ。むしろ、嬉しいくらい」


『例え「フリ」でも、穂香さんと恋人になれたら嬉しいですよ』


「ホント?」


『ええ、もちろん』


 緑太郎は、本当に恋をしているような表情を浮かべている。


 いやいや、ほだされるな、私。


 これは、ロボット。


 緑太郎は、プログラムされたデータに従って、人間らしい振る舞いをマネしているに過ぎない。


 頭では分かっているのに、緑太郎を見ていると、顔が火照って、胸が高鳴ってしまう。


 初めて「あの人」と腕を組んだ時の、喜びや感動がよみがえる。


 なんで、あの人と重ねてしまうんだろう?


 私は慌てて目を逸らし、緑太郎の脇腹を突付く。


「よ、容疑者を尾行するよ」


『はい、穂香さん』


 容疑者は、大きな国道を挟んだ反対側の歩道にいる。


 かなり離れているからか、容疑者はこちらに気付いていないようだ。


 どんなに離れたところで、緑太郎が対象を見失うはずがない。


 ここ最近、太郎君におんぶにだっこ(何から何まで頼りっぱなし)な気がする。


 人間は、便利なものが出来ると、それに頼り、依存しやすい傾向にある。


 車しかり、スマホしかり。


 画期的で便利なものが作られて、人の暮らしは変化し続けてきた。


 そうして、現代社会は成長し続けている。



 しばらく尾行を続けると、容疑者は閑静な住宅街にあるアパートへ向かって行く。


 ある部屋の玄関の前に立つと、ごく普通に鍵を開けて中へ入った。


 まるで、それがさも当然かのように。


「ここか」


『ですね』


「ここも、ひとり暮らしのお年寄りが住んでいたんだよね」


『ええ。ですが、今頃はもう、生きてはいないでしょうね』


 緑太郎が沈痛な面持ちで、目を伏せた。


 死体と一緒に暮らすって、気持ち悪くはないのだろうか。


 どんな異常なことも、何度も繰り返せば、人は慣れるものらしい。


 殺人も、死体と一緒に暮らすことも。


 容疑者はそんな異常なことを、何度も繰り返している。


 やがて、容疑者にとっては、それが「当たり前」になる。


 私は、慣れたいとは思わない。


 さて、ここからは張り込み捜査用に挿し替えなければ。


 恋人モードが終わるのは、かなり惜しいけど。


「これも仕事」


 自分に言い聞かせて、緑から黄色へ入れ替える。


 途端に私の手を振り解いて、物陰にすばやく隠れた。


 あまりの切り替えの早さに、呆れを通り越して感心するしかない。


「うん、まぁ分かってはいたけどね。自分から『組んでくれ』って言ったクセに、用済みみたいにさっさと振り解くってどうよ?」


『うるさい、黙ってろ』


 態度も悪けりゃ、口も悪い。


「へいへい。私、車取ってくるから。ちょっとだけ、ひとりで張り込み、お願いね」


『分かった』


 こちらをちらりとも見ないで、返事だけ返した。


 やはり、黄太郎は素っ気なくてつまらない。



 私は急いで、愛車の元へ戻った。


 駐車違反の場所に置いたワケではないが、コインパーキングに置きっぱなしにしてきたので、駐車料金が心配だ。


 尾行を始めてから、すでに1時間以上が経過している。 


「これって、必要経費として、請求出来るのかな。出来なかったら、結構痛いんだけど」


 これ以上、駐車料金がかさむようだと、今後は徒歩で、聞き込みに行かなくてはならなくなる。


 だが「お婆ちゃんの原宿」は、徒歩では遠すぎる。


 タロちゃんは、時速4キロと鈍足だし。


 電車で行くなら、タロちゃんの乗車料も掛かるだろう。


「さすがに、物扱いはしてくれないだろうな。箱詰めすればいけるか? あ、でも、運搬が大変か」


 そんなしょうもないことを考えて、思わずひとりで笑ってしまった。


 容疑者の潜伏先近くのコインパーキングまで、車を移動させて駐車した。


 アパートへ戻って来ると、黄太郎の姿が見当たらない。


 場所は、合っているはずなのに。


「あれ? どこ行った?」


 時計を見れば、15分程、黄太郎をひとりにしていたのだと気が付く。


 その間に、黄太郎の身に何か起こったのかもしれない。


 心臓を掴まれたように、胸の奥がぎゅっと痛んだ。


 黄太郎が消えた。


 これは、非常事態だ。


 とにかく、黄太郎のことが心配で、容疑者のことなんて、頭からすっ飛んでいた。


「もう! どこ行ったのよっ、黄太郎のヤツッ!」


 常に私と行動を共にすることを強いられているので、黄太郎は携帯電話を持っていない。


 取り乱した私は、東京工科大学へ電話を掛ける。


 コール音が、もどかしい。


「早く出てよっ!」


 5回目のコール音が鳴った頃、ようやく相手が出た。


『はい、こちら――』


「太郎君が、いなくなったっ!」


『はい?』


 相手が呆気に取られているのも構わず、私は畳み掛けるように言う。


「ちょっと目を離した隙に、太郎君がいなくなっちゃったのっ! 私が、太郎君をひとりにしたばっかりにっ! もし、太郎君に、何かあったらどうしようっ?」


『落ち着いて下さい、田中さん。「加藤太郎君」なら、無事ですから』


「え?」


『あれ? お忘れですか? 「加藤太郎君」には、GPS機能が付いているんです。こちらからはちゃんと、無事も位置も確認出来ますよ』


「あ、そっか」


 吉田さんに言い聞かされて、私はぽかんとなる。


 そういえば、すっかり忘れていた。


 向こうからは、私が黄太郎とどこにいて、何をしているか、全て筒抜けだったことを。


 思い出して、急に恥ずかしくなる。


 私、黄太郎と、何話してたっけ?


 人に聞かれたら恥ずかしいこととか、してなかったっけ?


『田中さん?』


「ああ、ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてました。えーっと、確かあなたは、吉田さんでしたよね?」


 聞き返すと、吉田さんが嬉しそうに声を弾ませる。


『覚えていて頂けて、嬉しいです、田中さん!』


「それで、その、太郎君のことですけど……」


『「加藤太郎君」は今、犯人を尾行しているようですね』


「え? 尾行? 黄色のメモリーカードって、張り込み用でしたよね? 尾行も出来るんですか?」


『メモリーカードを挿していなくても、別のメモリーカードを挿していても、ある程度のことは出来るようになっています』


「挿してなくても? 良く出来てますねぇ」


 私が感心すると、吉田さんは照れ臭そうに笑った。


『プロトタイプとはいえ、こだわって作っていますから』


「へぇ、スゴいですね。それで、太郎君は今どこにいるんですか?」


『田中さんがいる場所から、東方向へ400メートルってとこですね』


「あ、なんだ、そんな近くにいたんですね」


『出来れば、早く合流してあげて下さい。「加藤太郎君」は、ひとりじゃ何も出来ないんで』


「ひとりじゃ、何も出来ないのは、私の方だよ」


 私が自嘲気味に呟くと、吉田さんは聞こえなかったのか、聞き返してくる。


『え? 何か言いました?』


「いえ、こっちの話。ありがとうございました、吉田さん。また何かあったら、電話しますね」


『はい。いつでも困ったことがあったら、ご連絡下さい。では』


 吉田さんとの通話を終えた。


 恐らく、容疑者は、私が目を離したスキに、また出掛けたのだろう。 


 幸い、このアパートが潜伏先であることは、分かっている。


 だったら、そのうち戻ってくるだろう。


 私は容疑者の潜伏先から、少し離れた別棟のアパートの影に潜んだ。


 ここからなら、犯人の出入りがひと目で分かる。


 閑静な住宅街だから、人通りも少ない。


 何もせずに、ただ立っているだけだと肌寒い。


 もう、10月も下旬。


 10月下旬と言えば、「二十四節気せっき」では「霜降そうこう


「霜降」は、文字通り「霜が降りてくる頃」という意味。


 そういえば、太郎君と相棒になってから、ひとりになるのは初めてかもしれない。


 初めのうちは、ロボットの刑事なんて、冗談じゃないって思っていたけど。


 慣れてみれば、手放せなくなっていた。


 今の私は、太郎君がいないと何も出来ない。


 もはや、太郎君がいない状況なんて、考えられない。


 太郎君が横にいないと、落ち着かない。


 依存症に、近い状態かもしれない。


「早く帰って来ないかな」


 容疑者を確保して、手柄を立てたいという気持ちはある。


 でも今は、太郎君が気掛かりで仕方がない。


 寒さに堪えながら、張り込みを続けていると。


 細い路地から、トラネコが出てきた。


「あ、ネコちゃんだ、可愛い~っ。ちっちっちっ、こっちおいで~」


 おいでおいでしてみるけど、トラネコは、素っ気なく立ち去ってしまった。


 う~ん、残念。


 エサもおもちゃも持ってないし、普通は寄って来てくれないよね。


 それにしても、ネコって、なんであんなに可愛いんだろう。


 可愛さ極振りだよね、ネコって。


 ネコの存在そのものが、可愛いだけで構成されていると思う。


 あのネコは、首輪をしていなかった。


 さくらねこ(去勢手術を受けた証拠として、耳を桜の花びらのようにV字カットされた野良猫)ちゃんだったから、地域ネコ(地域住民達に共同管理されている野良猫)だろう。


 そこで、ふと気付いた。


 今、容疑者の潜伏先を知っているのは、私と黄太郎だけだ。


 他の捜査員達とも情報を共有して、応援を要請した方が良いだろう。


 私はスマホを取り出し、ひとまず、安藤に電話を掛ける。


 掛けたタイミングが良かったのか、すぐに電話は繋がった。


『おう、田中。どうした?』


「どうもこうも、聞いてよ。加藤君のお蔭で、容疑者の潜伏先が分かったんだよっ」


 私が声を弾ませながら言うと、安藤は半信半疑といった様子だ。


『マジか?』


「マジマジ! 場所は……」


 言い掛けた時、誰かが勢いよく、私の背中に体当たりをかましてきた。


 電話に意識がいってて、後ろから誰かが来たことに気付かなかった。


 突然、背中の一点だけが、熱した鉄を押し当てられたかのように、猛烈に熱くなった。


 痛いと熱いが、同時に襲ってくる。


 熱い場所からズボッと、何かが引き抜かれる感覚。


 抜けた場所から液体が溢れ出して、体が濡れていく。


 ポタポタと、液体が滴り落ちる音が聞こえる。


 見えないけど、たぶん刃物で刺された。


 自覚したら、強烈な激痛が襲ってきた。


 刺したのは、容疑者だろう。


 容疑者は、もう既に何人も殺している連続強盗殺人犯。


 今さら、私ひとり殺すくらい、なんてことない。


 力が抜けた手から、スマホが滑り落ちる。


 スマホは、硬いアスファルトに叩き付けられて、やけに大きな音を立てた。


 膝が笑い出して(膝に力が入らなくなり、ガクガクと震え出して)、立っていられなくなる。


 重力に圧し潰されるように、地面に倒れた。


『どうした? 田中? おい、田中っ!』


 安藤の取り乱した声が、少し遠くに落ちたスマホから聞こえてくる。


 手を伸ばしても、手が届く距離じゃない。


 ごめん、安藤、今出られない。


『穂香さんっ! 穂香さんっ!』


 太郎君の悲痛な叫びが、近付いて来る。


 ああ、良かった。


 黄太郎は、無事で。


 でも私はもう、ダメみたい。


 知らなかったなぁ……。


 刺されるって、こんなに痛いんだね。


 あの人も、きっと同じくらい痛かったに違いない。


 このまま死んだら、死因もあの人とお揃いになる。


 こんなお揃い、ちっとも嬉しくないけど。


 死んだら、また会えるかな。

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