第8話 Red memory

※主人公とロボット刑事で、交互に視点が入れ替わります。

少し読みにくいかもしれません。

暴力表現と流血描写がありますので、ご注意下さい。




 どうにか視線を上げると、容疑者の足が見えた。


 その向こうに、容疑者と対峙している黄太郎の姿が見える。


 アイツ、黄太郎も壊す気かっ?


「太郎君! 逃げてっ!」


 私は腕を伸ばし、容疑者の右足首を掴んで、叫んだ。


「まだ生きてやがったのかっ、てめぇっ!」


 犯人が忌々しそうに私の手を振り払い、その足で私を踏み付けた。


 ただでさえ痛む傷口を踏み付けられて、さらに強い激痛が走った。


「死ねっ! 死ねっ! 早く死ねっ!」


『やめろ! 穂香さんに、手を出すなっ!』


 容疑者の怒りに満ちた声と、黄太郎の悲痛な叫びが聞こえた。


 いよいよ、死ぬ……そう思った時。


「きゃー! ひ、人殺しーっ!」


 どこからともなく、耳をつんざく女の悲鳴。


 それに次いで、あちこちから窓やドアが開く音。


 何事かと、近隣住民達が飛び出して来る。


 閑静な住宅地が、一気に騒がしくなった。


「ちっ!」


 容疑者は舌打ちをすると、どこかへ向けて走り出す。


「ま、待て……っ!」 


 手を伸ばすが、届くはずがない。


 その手を、黄太郎が握った。


『穂香さんっ! 大丈夫ですかっ?』


「……私のことは、いい、から……容疑者を、追って……っ!」


『アンタを置いて行くことなんて、出来るかっ!』


 黄太郎は私を抱き起こして、大きく首を横に振った。


「……そっか。黄太郎じゃ、ムリだよねぇ……」


 私は自分のポケットを探って、6枚のメモリーカードを取り出した。


 血がベッタリ付いた手で触ったから、全部真っ赤になってしまった。


「あぁ……みんな、おんなじに見えるや……」


 血まみれになったメモリーカードを、服の血が付いてない部分で拭う。


 ようやく、色の確認が出来た。


 犯人追跡用のメモリーカードは、赤だったはず。


 挿し替えれば、きっと容疑者に追い付ける。


「タロ……これに、挿し替えて……」


 震える手で、赤いメモリーカードを選び出し、黄太郎に託す。


 しかし、黄太郎はメモリーカードを受け取ってくれない。


『それを挿したら、俺はアンタを見捨てて、容疑者を追わなくてはならなくなるっ!』


「いいから……」


『イヤだっ!』


 もう、本当に手が掛かるヤツだなぁ。


 否定し続ける黄太郎にイラ立ちを覚え、問答無用で黄色いメモリーカードを引き抜く。


 代わりに、赤いメモリーカードを挿し込んだ。


 次の瞬間、太郎君は怒りの表情へ変わり、あっさりと私の体から手を離した。


 地面に投げ出された私は、横たわったまま、容疑者が逃げて行った方向を指差す。


 そして、渾身の力を振り絞って命令する。


「行け! 太郎っ!」


『うぉおおおおおぉぉおおおおぉぉおおっ!』


 赤いメモリーカードを挿すと、太郎の全身が赤い光に包まれた。


 先程とはうって変わって、私のことなんて目もくれず、赤い閃光となって駆け抜けていった。


「そう。それで、良い……」


 私はひとり、小さく笑った。


 あとは、赤太郎に任せておけば、きっと容疑者を確保してくれると信じている。


 アスファルトの上を、匍匐前進ほふくぜんしんで進み、落としたスマホに向かって行く。


 どうにかスマホに口を近付け、うつ伏せのまま、スマホの通話口に話し掛ける。


「……ねぇ、安藤、いる……?」


『田中? お前、何やってんだよ?』


「待たせて、ごめんね……今、ちょっと、立て込んでて……」


 安藤は律儀に、まだ繋いだままでいてくれた。


 ずいぶん、時間が経った気がしていたけど。


 たぶん、実際は数分しか経っていない。


 心配を掛けたくなくて、なんでもないフリをする。


 けど、苦痛に耐え切れず、息が上がる。


「今……加藤君が、容疑者を、追ってる。場所……は」


『おい、大丈夫か? 何か、ずいぶん苦しそうじゃねぇか』


「あはは……やっぱ、分かる? 実は……容疑者、追おうと、ちょ……と、走った、くらぃで……息、上がっちゃ……てさ……」


 精一杯のウソを吐くと、お節介焼きの安藤が、電話の向こうで苦笑する。


『何だ、単なる息切れかよ。だから、普段から言ってるだろ? 日頃のトレーニングは、欠かすなって』


「……うん、今度、から、やる……」


『そういって、いつもサボってんのは、誰だよ?』


 お前は、私の母ちゃんか。


 いつもの何気ないやりとりが楽しい。


 でも、もうそろそろ限界。


「っ……安藤……」


『何だよ?』


「あと……頼……」


『え?』


 言い切る前に、意識が途切れた。 





【加藤太郎君視点】


『貴様ぁあああぁ! 逃がすかぁああああああぁぁっ!』


 僕は、ワゴンで逃げる容疑者を追っている。


 今の僕の身体能力は、通常の五十倍。


 ただし、身体能力が飛躍的に向上する制限時間は、たったの十分。


 それ以上は、体が耐えられずに、over heat(オーバーヒ-ト=エンジンやモーターが、異常過熱すること)してしまうからだ。


 自慢の脚力を駆使して豪速で走り、大きく跳躍して、ワゴンの上に飛び乗った。


 ワゴンの天井が、ベコンッ! と大きな音を立てて凹む。


 その天井を力技で引っぺがし、犯人の襟首を掴んだ。


「うわぁあっ?」


『犯人確保ぉおおおおおおぉぉっ!』


 僕が叫ぶと同時に、ワゴンはガードレールに激突して大破した。


 衝撃で気を失った犯人をワゴンから引きずり出し、手錠を掛けた。


 犯人確保してまもなく、制限時間が終了。


 時間を過ぎると、身体能力はメモリーカードを挿していない時と同じ状態へ戻る。


 あとには、感情的な性格のみが残る仕様になっている。


 ついに、犯人を確保した。


 これで、穂香さんが喜んでくれる。


 きっと、いつもみたいに、穂香さんに頭を撫でて褒めてもらえる。


 僕は確保した犯人を肩の上に担ぎ上げて、穂香さんがいた場所へ戻る。


 さっき穂香さんがいた場所には、人だかりが出来ていた。


『穂香さん?』


 人を掻き分けて、中へ入っていく。


 人だかりの中心には、うつぶせに倒れた穂香さんがいた。


 穂香さんの意識はなかった。


 アスファルトの上には、大量の血が流れていた。


『穂香さんっ!』


「お前さん、この人の知り合いか?」


 穂香さんの止血をしていた初老の男が、僕に声を掛けてきた。


『はい』


「さっき、救急車は呼んどいたよ。でも、この出血じゃ、助かるかどうか……」


『そんなっ!』


 僕は必死になって、穂香さんを抱き起して呼び掛ける。


『穂香さん! しっかりして下さいっ! 穂香さんっ!』





【田中穂香視点】


『――ん、穂香さんっ!』


 ぼんやりとした視界の中で、太郎君の姿だけがはっきりと見えた。


 やっぱり、イケメンは違うね。


 ひとりだけ、別格だ。


「……た……ろ」


『穂香さんっ!』


 名前を呼んでやると、赤太郎も私の名を呼んだ。


「穂香さん」か。


 やっぱり、良いなぁ。


『穂香さんっ! 聞いて下さい、穂香さんっ! 僕、犯人捕まえましたよっ!』


 嬉々として報告してくる赤太郎がなんだか可愛く見えて、思わず笑ってしまう。


 赤太郎は、子供っぽい性格なのかな。


 初確保だもんね、そりゃ嬉しいに決まってる。


 いつもみたいに、頭をわしゃわしゃ撫でて褒めてやりたい。


 でも、今は出来そうにない。


「おー……スゴいじゃん……やったね……たろ……」


『ええ。これからも一緒に、犯人を捕まえましょうね! だから、死なないで下さい! 穂香さんっ!』


 もし赤太郎が人間だったら、きっと号泣してたんだろう。


 そのくらい、赤太郎は必死に訴えてくる。


 でも、赤太郎は涙を流せない。


 ロボットだから、機械だから、涙を流す機能なんてないんだろう。


 赤太郎が、泣けなくて良かった。


 赤太郎が泣いたら、絶対私までもらい泣きしちゃうと思うから。


 私だって、死にたくないよ、赤太郎。


 でも、きっともう死ぬ。


 私は、ほとんど音にならないくらい小さな声で、息も絶え絶えに言う。


「……『加藤太郎君』……今まで……ありがと……」


『え?』


 あれ? もしかして、最期の言葉、聞こえなかったかな。


 赤太郎の顔をずっと見ていたいのに、まぶたが重くて開けていられない。


『穂香さん?』


 最期に聞く声が、あなたで良かった。


 あなたが『穂香さん』って呼んでくれるのが、嬉しかった。


 ねぇ、私、あなたが好きだよ。


 よりにもよって、好きになった相手がロボットだなんて不毛だね。


 絶対、永遠に片想い確定じゃん。


 無機物相手でも、浮気になるのかな。


 天国についたら、あの人に謝らなくちゃ。




【加藤太郎君視点】


「……」


『え?』


 穂香さんは、小さく口を動かした。


 でも、何を言ったか、聞き取れなかった。


 穂香さんは満足そうに笑うと、目を閉じた。


『穂香さん?』


 僕は内蔵されたセンサで、穂香さんのvitalバイタル signsサイン(生きている証。脈拍・心拍数・呼吸数・血圧・体温等のこと)を調べる。


 全ての数値が、見る見るうちに下がっていく。


 やがて、心拍数がゼロを示した。


 穂香さんが、死んだ。


 何故、穂香さんが死ななくてはならないんですか?


 殺人鬼は生きているのに、穂香さんが死ぬって、どういうことですか?


 なんで、そんなに幸せそうに笑っているんですか?


 言いましたよね?


 僕の相棒は、あなただけだって。


 あなたが死んだら、僕はどうしたらいいんですか?


 准教授に頼んで、記憶を消去してもらえば良いんですか?


 あなたのことを全て忘れて、他の誰かと相棒を組めば良いんですか?


 簡単に出来ますよ、初期化してしまえば良いんですから。


 僕は、ただの機械ですからね。


 でも、そんなのはイヤなんです。


 穂香さんと過ごした日々を、なかったことにしたくないんです。


 僕はあなたと、いつまでも相棒でいたいんです!


『絶対に、諦めません!』


 僕は自分の中から電極を引き出し、穂香さんの胸元をはだける。


 止血している初老の男に、声を掛ける。


『離れて下さいっ!』


「お、おう」


 初老の男が離れたのを見計らって、穂香さんに電気ショックを与える。


 電流が流れると、穂香さんの身体が大きく跳ねた。


 何度か試すも、穂香さんの心拍は戻らない。


 しばらくすると、パトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。


 その音を聞いて、すぐに電極を戻した。


 僕が機械であることは、本来機密事項。


 一部の地域住民達に目撃されてしまったが、ここは緊急措置として見なかったことに欲しい。


 救急車から救急隊員達が飛び出してきて、穂香さんの容態を調べ始める。


『穂香さんを、助けて下さい!』


「最善は尽くします」


 救急隊員は、穂香さんをストレッチャー(患者を寝かせたままで運ぶ車輪のついた医療用ベッド)に乗せて、救急車で救急搬送していった。


 穂香さんが倒れていた場所に、5枚のメモリーカードが散らばっていた。


 全てのメモリーカードを拾い上げ、自分のポケットへ仕舞った。


 少し遅れて到着したパトカーからは、安藤大介巡査が降りてきた。


「加藤!」


『安藤巡査』


「一体、どうなってんだ、こりゃあ?」


 多くの野次馬と血だまりを見て、安藤巡査は驚いていた。


 僕は、気を失った犯人を、安藤巡査の前に差し出す。


『犯人は確保しました。ですが、犯人を追い詰める際に、穂香さんが犯人に刺されてしまいまして。穂香さんは、先程、救急搬送されました』


「はぁ……そんなこったろうと思ったぜ」


 安藤巡査は、やれやれとばかりに、大きくため息を吐いた。


「どうも、様子がおかしいと思ったんだよ。刺されたんなら、『刺された』って素直に言やいいものを……」


『安藤巡査に心配させないように、気を遣ったんじゃないですか?』


「まぁ、田中らしいっちゃ、らしいけどよ。そんで、加藤」


『はい?』


「お前、田中についててやれ。ここは、俺らがやる」


 安藤巡査が、ぶっきらぼうに言った。


 その気遣いが、有り難い。


 お人好しの穂香さんの友人というだけあって、世話好きな優しい人らしい。


『ありがとうございます』


 僕は安藤巡査に礼を言って、穂香さんが搬送された病院へ向かった。

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