第9話 Human and robot
【加藤太郎君視点】
手術中のランプが、赤く灯っている。
どこまでも白い病院の廊下には、僕ひとりがベンチに座っている。
診療受付時間中は、外来の患者が多くてうるさいのだが。
夕方の病院は、意外と静かだ。
時折、医療器具やカルテを持った看護師が、通り過ぎるくらいだ。
何故か、看護師達は僕を見ると、必ず、顔をしかめていた。
僕の何がおかしいのか。
看護師達にどんな目で見られようと、別に構わない。
手術室の扉が閉ざされてから、既に一時間以上が経過している。
そんなに、大変な手術なのだろうか。
たった一回、背中を刺されただけなのに。
人間は、
何故、人間はすぐ死んでしまうのだろう。
ロボットだったら、破損した|device《デバイス(本体内部に実装された電気的な部品や接続された周辺機器)を取り替えれば済むだけなのに。
最悪、大破しても、
だが、人間はそうはいかない。
人間は一度死んだら、終わり。
作り直すことは、出来ない。
何故、僕はロボットなんだろう。
僕が人間だったら、いくらでも血を分けて上げられたのに。
傷付いた部位を、いくらでも取り替えて上げられたのに。
僕はロボットだから、人間の穂香さんに、何もして上げられない。
穂香さんはロボットになれないし、僕も人間にはなれない。
仮に、僕の中にある穂香さんの既存データから、穂香さんのロボットを作ったとしても、それは穂香さんではない。
穂香さんの形をした、別のロボットだ。
何故、穂香さんは人間なんだろう。
何故、僕は人間じゃないんだろう。
約2時間後、手術中のランプが消えた。
それを見た瞬間、思わず立ち上がる。
医者と看護士、そしてストレッチャー(移動式医療用ベッド)に寝かされた穂香さんが、扉から出てくる。
『穂香さんっ!』
僕は、看護士達が運ぶストレッチャーに駆け寄る。
呼吸器と輸血用パックを付けられた、穂香さんの顔色は白い。
まるで、死んでいるようだ。
でも、こうやって処置されているということは、生きているということだ。
『穂香さんっ!』
穂香さんは、僕の呼び掛けに応えない。
代わりに、看護師が僕を見ると、顔をしかめて問い掛けてくる。
「患者さんのご家族の方ですか?」
『いえ、同僚です。穂香さんは?』
「出血が多く、傷も深かったのですが、もう大丈夫ですよ。容態は安定しています」
『良かった……』
冷静な看護士の受け答えに、僕は安堵した。
穂香さんは病室へ運ばれ、看護師達の手によって、ベッドへ移された。
粗方設置が終わると、看護師達は病室を後にした。
部屋には、心電図とその周辺機器、呼吸器、点滴がところ狭しと置かれた。
そしてそれは、全て穂香さんに繋がっている。
僕はベッドの脇に置かれた、パイプ椅子に腰掛けた。
初めて見る静かな寝顔に、何故だか胸がざわついた。
穂香さんは、ひとりでも騒がしいくらい、
何も言わなくても、顔を見れば何を考えているか、すぐ判別出来た。
全部、顔に出るタイプなのだろう。
静かな顔は、とても美しかった。
僕の顔は作られた造形だけれど、穂香さんには年齢相応の自然な美しさがあった。
その顔を、僕はずっと見つめていた。
そうして、どのくらいの時間が経ったのだろう。
穂香さんの同僚達が、病室に駆け付けた。
「太郎ちゃんっ! 穂香ちゃんの容態は、どうなのっ?」
「加藤君! 田中君は、生きているかいっ?」
「おいおい、お前ら、病院なんだから大声を出すなよ」
皆、穂香さんと仲が良い、気さく(さっぱりとしていて、親しみやすい)な同僚達だ。
『出血が多く、傷も深かったのですが、もう大丈夫ですよ。容態は安定しています』
看護士が言ったことを、トレース(そっくりそのままなぞる)して伝えた。
心配の色が濃かった彼らの顔から、安堵の笑みが零れる。
「あらやだ、そうなのぉ? もぉ、心配して損したわぁ」
「それは良かったっ!」
「だから、大声出すなって」
穂香さんは、愛されている。
僕は穂香さんの相棒であることが、とても誇らしく思えた。
安藤巡査が笑顔で、僕の肩を叩く。
「良かったな、加藤。さっきは、お前の方が死にそうな顔してて、心配したぞ」
『僕が、そんな顔を?』
「おう。でも、今は大丈夫そうだな。安心したぜ」
僕はロボットだから、「感情」なんてものはない。
「死にそうな顔」は、今挿しているメモリーカードに「設定された性格」によるもの。
赤いメモリーカードは、一時的に身体能力が飛躍する。
しかし、制限時間が過ぎると身体能力は元に戻り、感情的な性格のみが残る。
この機能は、僕の機体に多大な負荷が掛かる為、連続使用は出来ない。
再び、この機能を使うには、
「あ、そうだ、加藤、これ」
『はい? なんですか?』
安藤巡査が、僕に紙袋を差し出してくる。
渡された紙袋の中身を見ると、グレーのスウェットの上下が入っていた。
僕のデータが正しければ、これは留置所に収容された容疑者が着用する、警察の貸与品。
「お前、一回、顔洗って着替えて来い。そんな恰好で、病院にいたら、白い目で見られるぞ」
「そうそう。せっかくのイケメンが、台無しよぉ」
僕の体は穂香さんが流した血で、赤く染まっていた。
かなり時間が経っているので、血は乾き切って赤黒く変色していた。
医師や看護師から、顔をしかめられていた理由が、ようやく分かった。
『あ、はい。そうします』
僕はトイレへ行って、体に着いた血を洗い流し、渡されたスウェットに着替えた。
スウェットのズボンは、腰ヒモが抜かれている。
ヒモが抜かれている理由は、容疑者の自殺防止の為だ。
穂香さんの病室へ戻ると、星埜巡査がニッコリと笑う。
「太郎ちゃん、戻って来たわね。さて、穂香ちゃんの無事も確認出来たし、そろそろ帰るとしましょうか」
「ええっ? もう帰るのかいっ? さっき来たばかりなのにっ!」
残念そうな顔をする井上巡査を、安藤巡査が
「お前なぁ、遊びに来たんじゃねぇんだぞ?」
「じゃ、太郎ちゃん、穂香ちゃんのこと、お願いね?」
「では、さようなら、加藤君っ!」
「じゃあな、加藤」
『はい、皆さん、ありがとうございました』
騒がしくも優しい同僚達が、手を振りながら帰って行った。
彼らが帰ると、病室は静まり返った。
彼らの声でかき消されていた、心電計が発する電子音と呼吸器の音が、病室内に響く。
これが、穂香さんが生きている証。
こんな電子音ではなく、穂香さんの声が聞きたい。
優しくて、温かみのある穂香さんの声が聞きたい。
『穂香さん、早く起きて下さい……』
僕は何も出来ずに、穂香さんが眠るベッドの側で、立ち尽くした。
【田中穂香視点】
事件から、一週間後。
「もぉ~っ、恥ずかしいから、下ろして、タロちゃんっ!」
『何言ってるんですか、まだ歩けないんでしょう? 大人しくして下さい』
「それにしたって、お姫様抱っこはないでしょっ? せめて、車椅子にしてっ!」
私はどうやら、タロちゃんに助けられたらしい。
職場復帰はまだ先だけど、体は少しずつ回復しつつある。
刺された後、正直死ぬと思っていたから、遺言みたいな言葉を言ってしまった。
今思い出すと、こっ恥ずかしい。
発言を、撤回したい。
あの一件から、タロちゃんが、いやに過保護だ。
死に掛けたから、しょうがないのかもしんないけど。
私が寝ている間に、さまざまなことが判明したらしい。
「で、容疑者は、どうなったって?」
『現在、
「犯行動機は?」
『星埜巡査の取り調べによると、金目当ての犯行だったようです。ご高齢者の女性を狙ったのは、弱くて殺しやすかったから。殺人も放火も、罪の意識はまるでなかったそうです』
それを聞いて、私は嫌悪感を覚えた。
「うわっ、サイテー野郎ね」
『ええ。穂香さんを殺そうとした、最低野郎です』
タロちゃんが憎々しげに言ったので、私は小さく吹き出した。
『何です?』
「いや、タロちゃんも、そんな顔出来るんだなって思って」
『そんな顔って、どんな顔ですか?』
タロちゃんから不機嫌そうな口調で聞き返されて、私は笑いながら答える。
「人殺しそうな顔っ」
『僕は、人殺しなんてしませんよ』
拗ねたような顔をしたので、私はおかしくて笑ってしまった。
しばし笑った後、話の続きを促す。
「あー、笑った笑った。で? 容疑者は、なんで、わざわざ遠方から『おサルのカゴ屋』のワゴンに乗って来たの?」
『ワゴンは、ただの移動手段です。地元だと顔を知られているので、人口の多い東京へ来たそうです』
「ワゴンは、どうやって隠してたの?」
『ボディカバー(車全体を覆う袋)を、かぶせて隠していたです』
「そっか。カバーをかぶしちゃえば、分かんないもんね」
『上京してしばらくは、インターネットカフェに住んでいたようです。金が尽きた頃に、ワゴンと制服で宅配業者を装い、強盗殺人をするようになったと』
「犯行が上手くいったから味をしめて、同じ手口で犯行を重ね、住み家を転々としていたのね。じゃあ、放火は?」
『証拠隠滅の為です』
知れば知るほど、身勝手すぎる犯行動機で、ウンザリするばかりだ。
「それで? 容疑者はどうなるって?」
『裁判が始まれば、死刑確実と言われています』
「でしょうね。結局、何人殺したんだって?」
『十三人です』
「そりゃ、当然か」
身勝手な人間に傷付けられて、涙を流す被害者は見たくない。
ひとりでも多くの人を救う為、私達警察官がいるんだ。
私は深々とため息を吐くと、質問を重ねる。
「犯人は捕まったから、被害者は出ないんだよね? もう事件は終わったんだよね?」
『ええ、そうですよ』
「良かった」
タロちゃんも私を見て、にっこりと笑った。
イケメンには、笑顔が似合う。
私にはもったいないくらいの、有能で完璧なロボット刑事。
ロボット刑事の活躍によって、事件を解決出来た。
そこで、思い出した。
「あ、そうだ。事件解決したってことはさ……相棒も、解消ってことなの?」
タロちゃんと離れるのは、とても寂しい。
でも、タロちゃんはプロトタイプのロボットで、今回の事件が試運転だって聞いている。
事件が終われば、タロちゃんはロボット工学研究室へ戻される。
研究室へ戻ったら、記憶装置を回収されて、デジタルデータ解析後に捜査情報は削除される。
捜査は、警察の機密情報である為、削除する規約になっていた。
私と過ごした日々も削除されて、なかったことになる。
やっぱり、「加藤太郎君」は機械なんだと、改めて理解する。
私は寂しさを隠して、明るく取りつくろう。
「『加藤太郎君』今まで、ありがとう」
『そのセリフは、もう聞きたくありません』
急に冷たい口調で言い返してきたので、私は呆気に取られる。
「は?」
『そのセリフ、気絶する直前にも言ったでしょう? 一度聞けば、充分ですっ!』
「聞こえてたの? あれ」
ほとんど、息で喋っていたようなもんだったのに、良く聞き取れたもんだ。
私が感心していると、タロちゃんはムッとした口調で言う。
『音声では聞き取れませんでしたが、口の動きからデータ解析して確認しました』
「スゴいね、さっすが、タロちゃんっ」
『褒められても、嬉しくありません。あの時と同じ言葉を言うなんて、最低です』
「何、怒ってんの? せっかくのイケメンが、台無しだぞぅ?」
キララさんのマネをして、タロちゃんの頬を突付いてからかうと、
『あなたは、死ぬところだったんですよっ? いえ、一度心臓が止まったんで、一度死んだんです。唯一無二の相棒を失うなんて、そんなの耐えられませんっ!』
そうか……そんなに私のことを、大事に思ってくれていたのか。
思わず感動していると、タロちゃんはさっきとは打って変わって、淡々と語り出す。
『僕が「
「え? それって、どういうこと……?」
シンギュラリティ?
なんだか、難しい言葉が出てきて意味が分からなかった。
『早い話が、試用期間の無期限延長です』
「無期限延長っ?」
それを聞いて、私は嬉しくて胸が温かくなった。
「え? それ、マジ?」
『マジです』
「じゃあ、これからも、一緒にいられるの?」
『ええ、もちろん。これからも、ずっと一緒ですよ、穂香さん』
「やったーっ!」
私はタロちゃんの首に抱き付いて、思い切り笑った。
嬉しくて嬉しくて、胸から幸せが全身の隅々まで満ちていくみたい。
改めて、タロちゃんが好きだと自覚する。
タロちゃんがロボットだって、分かっている。
無機物だって、分かっている。
それでも、いい。
これが私の、相棒のロボット刑事にフォールインラブしたけど、相手は無機物だから永遠にアウトオブ眼中だよねって話。
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