第10話 Black memory

 退院後、私は東京工科大学へ向かっていた。


 豊島区から八王子区までの距離は、約50キロメートル。


 下道したみち(一般道)で、約2時間。


 有料高速道路を使っても、1時間以上。


 私は、自動車の運転が好きなので、さほど苦ではないけど。


 高速料金とガソリン代と移動時間を考えると、気軽に行ける距離じゃない。


 日頃のお礼とお詫びを兼ねて、公傷休暇こうしょうきゅうか(公務員が業務上の怪我で休暇すること)中に、訪ねてみることにした。



 メモリーカードを挿していないタロちゃんと共に、ロボット研究室へ足を運んだ。


「皆さん、お疲れ様です。刑事課の田中です」


「ようこそ、田中さん。わざわざ遠方からお越し頂き、ありがとうございます」


 吉田さんが優しく、私を迎えてくれた。


 さっそく、持参した「巣鴨地蔵通り商店街」のお土産を、吉田さんに差し出す。


「はい、これ。『加藤太郎君』に貢がれたってことは、そちらに貢がれたってことでしょ?」


「そんな、お気遣いなく。ちょうどいいから、みんなで休憩にしましょう。よろしければ、田中さんもご一緒に」


「あ、じゃあ、遠慮なく」


 こうして、研究室の研究員達と一緒に、おやつを食べることになった。


 研究員達は、私を見るなり「あなたが、あの田中さんですかっ!」と、嬉しそうに握手を求めてきた。


 どうやら、ここでは有名人らしい。


 ロボット刑事の相棒なんて、私以外いないからね。


 お菓子を食べながら、吉田さんと楽しくお喋りする。


「私が寝ていた間、太郎君のメンテナンスをして下さっていたそうで、ありがとうございました」


「いえいえ、とんでもない。そちらこそ、大変でしたね。まさか、刺される瞬間を目撃することになろうとは、思いませんでしたよ」


「私も思いませんでしたし、めちゃくちゃ痛かったですよ」


「死の間際は、研究員全員で見ていましたよ。映画のラストシーンみたいで、感動のあまり、みんな号泣してしまいました」


「いや、死んでないし! あの時は、本当に死ぬと思ったから。恥ずかしいんで、早く忘れて下さいっ!」


「忘れるなんて、とんでもない。とても素晴らしかったんで、動画編集して永久保存版にします」


「それは、勘弁して下さいっ! 今すぐそれを叩き壊せ! いや、下さいっ!」


 あのこっぱずかしいシーンを、研究員全員に視聴されていたとは……。


 研究員達もこちらを見て、何か含みを持った感じでニヤニヤ笑っている。


 恥ずかしすぎて、顔から火が出るとは、こういう状況を言うのだろう。


 本当に火を噴きそうなくらい体が熱くて、汗が止まらなかった。


 ひと段落してから、ふと思い出し、胸ポケットから名刺を取り出す。


「そうだ。遅くなっちゃいましたけど、これ」


「こ、これはっ、警察官の名刺!」


「はい、私の名刺です」


「ありがとうございます! 大切にしますっ!」


 名刺を手渡すと、吉田さんは感激した様子で受け取ってくれた。


 以前会った時に、吉田さんから名刺を要求されたんだけど、ちょうど切らしていた。


 吉田さんと別れた後、すぐに名刺を発注した。


 ロボット研究室は、警察活動に協力してくれている民間機関に当たるから、公用名刺(警察の正式な名刺)を渡しても問題ない。


 喜んでくれて良かった。


「太郎君が言っていた『技術的特異点シンギュラリティ』って、なんですか?」


「簡単に言うと、人工知能が人間の能力や人類の知能を超えることです。また、それによってもたらされる世界の大きな変化、といった概念を指しています」


「人工知能が、人間を超える?」


「はい、そうなんです。アメリカのAI研究の世界的権威である、レイ・カーツワイル氏は『2045年に、シンギュラリティが到来する』と予測しています」


「シンギュラリティが到来したら、どうなるんですか?」


「AI自身がAIを開発する未来が訪れると、考えられています」


「そうなったら、人間はどうなるんですか?」


「極端な例を挙げるなら、全人類はAIに滅ぼされる可能性があります」


「えっ? SF(サイエンス・フィクション=空想科学)映画みたいにっ?」


 私の頭の中では、大量のロボットが、人類を殲滅せんめつ(皆殺し)していくSF映画の映像が流れていた。


 吉田さんが、興奮気味の良い笑顔を浮かべて大きく頷く。


「憧れますよね、ああいうの。実際にAIは、『人類は滅亡すべし』と結論付けていますし」


「あ、憧れますかぁ?」


 そんな恐ろしいことを、夢見る少年のようなキラキラした目で言うな。


 吉田さんは、うっとりとした表情で語り出す。


「人間が想像出来ることは、創造出来るんです。SF映画のように、人類はAIによって滅ぼされ、AIも機能停止し、やがて朽ち果てて廃墟と化した地球には、動植物が繁栄するのです。人類は、AIによって滅ぼされるべきなんです」


「失礼を承知で言いますが、吉田さんは、ちょっと頭おかしいですよ」


 ドン引きしながら言うと、吉田さんは真面目な表情に一変する。


「田中さんも、スーパーコンピュータ『富岳ふがく』はご存じですよね?」


「まぁ、一応。『超絶凄い計算機』ってことくらいは」


「スパコンは、完成した時点で人知を超えている……つまり、『富岳』は、既にシンギュラリティに達していると、考えられませんか?」


「そう考えると、末恐ろしいものを感じますね」


 私は話を切り替えようと、2枚のメモリーカードを取り出して、机の上に並べる。

「白いメモリーカードって、どう使えば良いんですか?」


「そういえば、全然使ってませんよね。なんでですか?」


「使ってみれば、分かりますよ」


 横に座っていたタロちゃんに、白いメモリーカードを挿し込む。


 白いメモリーカードは、挿しても表情に変化はない。


 続いて、ミニパソコンを取り出し、キーボードで文章を打ち込む。


 すると、白太郎が無表情のまま棒読みで喋り出す。


『好キデス、愛シテイマス、僕ト結婚シテ下サイ』 


「どう?」


「言わされてる感がハンパなくて、全然、心に響きませんね」


「でしょ? 正直、使い道がなくて」


「なるほど、改善の余地が多大にありますね。ひとまず、こちらでお預かりします」


 そう言って、吉田さんは白いメモリーカードをメモリーカード用ケースにしまった。


 机の上に残った、黒いメモリーカードを指差す。


「この黒いメモリーカードって、なんですか?」


「なんですか? これ?」


 吉田さんは、黒いメモリーカードを、不思議そうに見つめている。


「吉田さんも知らないんですか? 説明書にも、何も書いていないんですよ」


「これは、僕も知りませんね」


「これ、なんですかね?」


「なんでしょう?」


 他の研究員達も、誰も知らないと言う。


 タロちゃんに挿してみれば分かるかもしれないけど、謎の機能で暴走されても困る。


 結局、黒いメモリーカードは用途不明のままだ。

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