第3話 Yellow memory
太陽が西の空へ傾き、オレンジ色の光が世界を照らし始めた頃。
都内某所にあるアパートの周りには、数人の刑事達が張り込みを始めた。
このアパートの二〇一号室に、容疑者が住んでいるらしい。
私とタロちゃんが乗った車は、アパートから少し離れた駐車場に停車している。
近付きすぎて、容疑者に警戒されては困る。
本当は向かいのアパートか何かで、張り込みをさせてもらいたかったらしいんだけど。
近くに都合の良い部屋が、空いてなかったそうだ。
さて、今度は張り込み捜査でどれだけ成果が出せるか、試される時だ。
メモリーカードを挿せば、使えるヤツだと分かったので、かなり期待している。
「ええっと……張り込みは、黄色か」
取り扱い説明書で確認しながら、黄色いメモリーカードを取り出す。
二度目ともなれば、さほど手こずらずに、メモリーカートを挿せた。
挿した瞬間、タロちゃんの眼光が鋭くなった。
一言も喋らず、蟻の子一匹逃すまいと、アパートを見つめている。
昼間のようにタロちゃんが喋らないので、つまらない。
ヒマを持て余した私は、タロちゃんに問い掛ける。
「そういや、ずっと気になってたんだけどさ。タロちゃんって、ロボットなのになんでメガネ掛けてるの?」
『俺はタロちゃんじゃない、加藤太郎君です。このメガネは、サーチ機能と暗視機能を備えたゴーグルです。今集中しているので、黙ってもらえますか』
タロちゃんは対象から目を離さず、ぶっきらぼうに言い返してきた。
青いメモリーカードを挿していた時とは、エラい違いだ。
青の時は、あんなに友好的だったのに。
今は、硬い表情でだんまりを決め込んでいる。
メモリーカードひとつで、性格がずいぶん変わるもんだ。
一人称も、「僕」じゃなくて「俺」になっているし。
たぶん、性格の変化も、准教授の遊び心に違いない。
全部、友好的な性格にして欲しかった。
残りの赤と緑と黒は、どんな性格なんだろう?
試してみたいところだが、今は遊んでいる状況じゃない。
下手にちょっかいを出そうもんなら、また怒られるに決まっている。
しかし、張り込みほどヒマな仕事もない。
容疑者が現れなければ、いつまでも待ちぼうけを食らうハメになる。
見張りはタロちゃんに任せるとして、私はヒマ潰しに、ミニパソコンで巣鴨の聞き込みの内容を確認しよう。
と、その最中、腹が空腹を訴えた。
そういえば、今日はバタバタしていて、おやつを食べていない。
「タロちゃん、塩大福もらうからね」
『俺の名前は加藤太郎君です。食べたければ、勝手に食べて下さい』
「はいはい、太郎君」
『さっきから、うるさい。黙っていられないんですか?』
「ふーんだ、すんませんねーっだ」
タロちゃんのツンツンした態度に腹を立てながら、後部座席に投げ込んでおいた塩大福を取った。
大福にまぶされた餅取り粉を、パソコンや車内に落とさないように気を付けながら、口へ運ぶ。
巣鴨名物の塩大福は、普通の大福よりも甘くなくて、程よい塩気が絶妙だ。
甘い物好きとしては物足りないが、これはこれで美味い。
「おっと、塩大福を堪能している場合じゃなかった。仕事仕事」
粉まみれの手を車外で拭って、ミニパソコンの画面に集中した。
太陽が地平線の彼方へ姿を隠し、闇夜に月がはっきりと確認出来るようになった頃。
遠くから、消防車と救急車のサイレンが響いてきた。
張り込み班全員が、反射的にサイレンの方角へ顔を向ける。
私は車から飛び出し、空を見上げた。
夜だというのにある一部だけが、やけに赤々と明るい。
火の粉を巻き上げながら、漆黒の煙が空へ伸びていた。
「やられたっ!」
『消火活動が行われているアパートの一室には、――さん七三歳が一人で住んでいたということです。現在、――さんとは連絡が取れず、行方を捜しています。連続強盗殺人放火事件が関与しているとの方向で、警察が調べを進めています……』
私は張り込んでいた車の中で、そのニュースをスマホで見た。
どんなに警察の人海戦術(じんかいせんじゅつ=大勢の人を使った作戦)を使っても、後手後手(ごてごて=問題が起こってから対処するやり方)になってしまう。
犯罪が未然に防げない。
容疑者は分かっているのに、捕まえられない。
翌朝。
アパートの大家を訪ねた捜査員から、容疑者は何日も帰って来ていないことを、知らされた。
アパートへ戻れば捕まることくらい、誰だって分かることだ。
警察が張り込んでいることくらい、すぐ予想出来る。
犯人は今頃、居場所を転々として、逃げ回っていることだろう。
結局、私達がいくら張り込んでも、無駄だったのだ。
私達張り込み班は、眠い目を擦りながら署へ戻った。
黄色いメモリーカードを一晩中挿し続けて、電池切れになったタロちゃんも、充電してやらなくてはいけない。
私にも、仮眠が必要だ。
しかし困ったぞ、タロちゃんをどうやって動かそう?
電池が残っているうちは、自分でコンセントまで歩いてもらえばいいが。
今のタロちゃんは、人の形をした鉄の塊。
とりあえず車で署の駐車場までは運んだものの、これからどうしたらいいんだろう?
考えてみて欲しい。
2メートル近い人型の鉄の塊を運ぶことは、そう容易なことではない。
たぶん……いや絶対に、人間より重い。
しかも、超高性能機器。
うっかり落として壊した日には、大変なことになる。
私の給料、何か月分になるんだろう?
いや、何年分?
きっと、とんでもなく高いに違いない。
仕方ないので、教えてもらった東京工科大学の電話番号へ連絡を入れることにした。
6回ほどコール音が鳴った後、男が電話に出た。
『はい、こちら東京工科大学工学部機械工学科、ロボット工学研究室です』
「お忙しいところを恐れ入ります。私、田中と申しまして、タロ……いえ、『加藤太郎君』の件で――」
『何っ? もう壊したのかっ?』
言いかけた私の言葉をさえぎるように、中年男の声が荒れる。
しかも、耳が痛くなるほどの大音量だ。
「い、いえ。単なる電池切れです。署の駐車場までは車で運んだんですけど、こっからどうしたら良いかと……」
『そうかっ! では、うちのをひとり、寄越すから、一時間半ほど待っていてくれっ!』
相手は一方的に、早口でまくし立てて、電話を切ってしまった。
あのテンションの高さから察するに、昨日会った鈴木准教授だろう。
1時間半か。
それだけ時間があれば、一旦、家に帰ってシャワー浴びるくらいの余裕がある。
勤務時間内でも、張り込み捜査明けなんだから、そのくらい許されるでしょ。
そうと決まれば、即行動。
私はさっそく、自分のアパートへ向けて車を走らせた。
帰宅後、すぐにシャワーを浴び、着替えて、メイクを済ませ、車で署前へ急ぐ。
なんとか、1時間半掛からずに、署前の駐車場まで戻ってこれた。
間に合った……よね?
周りを見回しても、それらしい人はいないから、たぶん間に合ったんだと思う。
約束の時間より少し経ってから、
署前で停車したオートバイから降り、ヘルメットを脱いだ若い男が話し掛けてくる。
「すみません、あなたが、田中さんですか?」
「はい、私が田中です。お手数をお掛けして、すみません」
「大変お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」
私も車から降りて、お互いペコペコとお辞儀した。
准教授とは違い、ずいぶんと腰が低い人だ。
まだ二十歳くらいだから、大学生だろう。
見た目は、ヒョロヒョロで、パッとしない(地味で冴えない)感じ。
背はどちらかというと低めで、猫背なせいでさらに小さく見えた。
「初めまして、東京工科大学工学部機械工学科の
「ご丁寧にどうも、刑事課の田中穂香巡査です」
吉田さんは喋りながら、荷台に積んできたらしいバッテリーとコードを、タロちゃんに繋いだ。
バッテリーに繋がれると、眠っているように静かだったタロちゃんが、目を閉じたまま口を開く。
『現在、スリープモードです。これより、充電を開始します。充電完了まで、あと七時間です』
「次は電池があるうちに、コンセントまで連れてって充電してあげて下さいね。一般的な家庭用コンセントで、充電が可能ですので」
「あ、普通にコンセントで充電出来るんですね」
しかし、ロボット1台充電するのに、どれだけの電力が必要なのか。
うちで充電したら、あとで物凄い電気使用量を請求されるかもしれない。
電気代は、請求出来るのだろうか。
もうひとつのバッテリーを、私に差し出す。
「あと、こちらは予備のバッテリです。困った時は、こちらをお使い下さい」
「色々手数掛けてしまって、すみません」
「いえいえ、僕らにとっては我が子同然。このくらい、どうってことないですよ」
吉田さんは、眠るように目を閉じたタロちゃんの頭を、撫でながら続ける。
「どうですか? 一緒に組んでみて」
吉田さんに問われて、私は答えに詰まった。
「説明書が分厚くて分かりずらい」とか「いちいちメモリーカードの入れ替えが面倒臭い」とか、いくつもの苦情が頭に浮かんだ。
が、それを開発者に言うのは、ちょっと気が引ける。
少し考えて、無難な答えを導き出した。
「ええと、その……付き合い始めて間もないから、まだどうとも……」
「何かと、手が掛かって面倒臭いでしょう?」
吉田さんが苦笑しながら言ったので、私も釣られるように苦笑する。
「まぁ、そうですね」
「
吉田さんが深々と頭を下げたので、私も慌てて頭を下げる。
「私の方こそ、これからたくさんご迷惑をお掛けすると思いますので、よろしくお願いします」
「分からないことがありましたら、いつでもご連絡下さい」
吉田さんが名刺を差し出してきたので、私も慌ててポケットを探る。
「あ、名刺切らしてたんでした。すみません」
私が謝ると、吉田さんは残念そうな顔をした。
「じゃあ、次回会う時に下さい。コレクションにしますから」
「え? 名刺を、コレクションにしているんですか?」
私がドン引きしながら言うと、吉田さんはニコニコ笑いながら答える。
「だって、警察官の名刺なんて、そうそうもらえないじゃないですか」
「ああ、そういうことでしたか。分かりました、次お会い出来る時には、作っておきます」
「絶対ですよ? 約束ですからね!」
「分かりました」
約束を交わすと、吉田さんはオートバイで走り去って行った。
確かに、警察官の公用名刺(職員名刺)は、ある意味レア。
警察官の名刺は悪用される恐れがあるので、特別な事情がない限り、一般人には渡さない決まりになっている。
特別な事情ってのは、捜査関係や警察活動に協力している場合のこと。
ただし、地域課の警察官(交番のおまわりさん)は、地域住民との触れ合いを深める為に、巡回連絡用の名刺を渡すことはある。
吉田さんを見送った後、運転席のシートを大きく倒して、横になった。
さて、タロちゃんも充電中だし、こちらも一休みしますか。
タロちゃんのせいで、色々頭を使って疲れた。
なんとなく、助手席で充電中のタロちゃんに視線を向ける。
「ほとんどの日本人が好感を持つ好青年」というだけあって、見とれるほどのイケメン。
どことなく、婚約者に似ている。
私の婚約者は、交番勤務の警察官……だった。
両家に認められて婚約し、お揃いの結婚指輪も買った。
入籍も結婚式も間近に迫った、ある日。
交番が何者かに襲撃され、婚約者は刺殺された。
犯人は婚約者から奪った拳銃を、通行人に向けて発砲。
ひとり死亡、ふたり重症、3名軽傷。
犯行動機は「誰でも良いから、本物の銃で人を殺してみたかった」
そんな理由で殺された人は、遺された遺族は、たまったものではない。
私の左手には今も、あの人と将来を誓い合った結婚指輪がはまっている。
婚約者は、親切なおまわりさんとして、地域住民に愛されていた。
優しくて、笑顔が素敵な人だった。
タロちゃんとは全然似てないのに、なんで似てるなんて思うんだろう。
そんなことを考えながら目を閉じると、まもなく睡魔が訪れた。
スマホが、鳴っている。
起床時間を設定しておいたアラーム音じゃない、電話の着信音だ。
それに気付くと、飛び起きて電話に出た。
「はい! もしもしっ? おはようございますっ!」
『おう、田中、おはよう。お前、今、どこにいる?』
「どこって、署の駐車場だけど」
『そうか。じゃあ、捜査会議で決まったことだけ伝えるぞ。「捜査員は引き続き、聞き込み捜査をしろ」だとよ』
「はーい、了解。わざわざ教えてくれて、ありがとう、安藤」
『どういたしまして。そっちも、頑張れよ。じゃあな』
電話の相手は、安藤だった。
安藤は、朝の捜査会議に出席したのだろう。
私がいないことに気付いて、電話をくれたんだ。
本当にアイツは、気が利く。
大きく伸びをしてから、携帯電話で時刻を確認すると、昼近かった。
張り込みを終えて、署へ戻って来てから5時間ほど経っていた。
今まで張り込み捜査なんてしたことがなかった私には、睡眠時間が5時間なんて少なすぎる。
肝心のタロちゃんも充電中で、あと2時間近くは掛かる。
あと2時間は寝れる。
タロちゃんの充電が完了するまで休もうと、再びシートの上で横になった。
しかしまもなく、無線機から不快な雑音に混じって、本部長の声が聞こえ始める。
『――は、連続強盗殺人犯の行方を――インターネット喫茶の捜索へ向かえ。以上』
どうやら容疑者は、インターネットカフェで寝泊りしていたらしい。
最近のインターネットカフェは、ドリンクバーはもちろん、食事を出すところもある。
シャワーが設置されていたり、アメニティグッズ(使い捨ての洗面用品)も充実しているらしい。
ビジネスホテルや、カプセルホテルを利用するより、遥かに安い。
もっといえば、インターネットカフェに住むことも可能。
実際、寝泊まりに利用している「ネットカフェ難民」も存在する。
容疑者にとっては、絶好の隠れ家ではないか。
私は寝心地の悪い運転席で、固まった体をほぐして軽く伸びをする。
「さぁて、お仕事お仕事っ!」
シートを起こして、アクセルを踏み込んだ。
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