第2話 Blue memory

「タロちゃん、ついて来て」


『僕はタロちゃんではありません、加藤太郎です』


「はいはい、カトちゃん」


『カトちゃんでもありません、加藤太郎です』


 律儀に訂正してくるタロちゃんが、おかしくて仕方がない。


 私は署の駐車場に止めてあった、愛車の運転席に乗り込む。


 しかし、タロちゃんは車の横に突っ立ったまま、一向に乗ろうとしない。


 あ、そうか。


 指示しなくちゃ、車も乗れないのか。


 一旦、車から降りて、助手席側へ回る。


「太郎君、ドアを開けて、シートに座って」


『はい』


 タロちゃんは言われた通り、ドアを開けて助手席に座った。


「シートベルトを締めて」


 どうやら理解出来なかったらしく、私を見つめたまま動かない。


「『シートベルト』って単語くらい、覚えさせておいて欲しかったなぁ」


 私はため息をひとつ吐くと、助手席のシートベルトを締めた。


 助手席のドアを閉め、改めて運転席へ着いて、車を発進させた。


「こりゃ、先が思いやられるわ」


「お婆ちゃんの原宿」と名高い「巣鴨地蔵通り商店街」近くにあるコインパーキングへ駐車させる。


 運転席から降りると、助手席のドアを開けて、タロちゃんのシートベルトを外してやる。


 このくらい、子供だって自分で出来る。


 全く、手がかかって仕方がない。


 さて、いよいよ例のメモリーカードの出番だ。


 説明書によると、どうやらメモリーカードはベルトのバックルの上から、縦方向に挿すものらしい。


 聞き込み捜査は、青か。


 ジュラルミンケースを開いて、青いメモリーカードを取り出す。


 これ、何色が何用なのか、使い慣れるまで覚えられなそう。


 あとで、名前シールを作って一枚ずつ貼ろう。


「太郎君、ちょっと失礼」


 メモリーカードを挿す為に、タロちゃんの上着の前ボタンを外す。


 タロちゃんの腹には、某特撮ヒーローが着けていそうな、ド派手なバックルが着いていた。


「あ~もう……少年心を失わない大人は、これだからっ!」


 私は深々とため息を吐いて、挿込口を探す。


「え~っと、挿込口は……これか。よっと」


 メモリーカードを挿し込んでも、特撮ヒーローのように変身したり、派手な音が鳴ったりはしなかった。


 だが、メモリーカードを挿した途端、タロちゃんの表情が変わった。


 さっきまで無表情だったのに、急に人間らしい表情になる。


 その変わりように、私は驚きを隠せなかった。


「おおっ! 何かカッコイイぞ、タロちゃん!」


『ありがとうございます、穂香さん。それから僕の名前はタロちゃんじゃなくって、加藤太郎です。何回訂正させれば、気が済むんですか』


 タロちゃんは颯爽さっそうと立ち上がり、流暢りゅうちょうに喋った。


 笑みを浮かべながら、名前を訂正するのも忘れない。


 私は思わず苦笑する。


「さっきまで、木偶の坊だったクセに、急に生意気になったな」


『そういう仕様ですので。では、捜査を始めましょうか』


「巣鴨地蔵通り商店街」は、全長約八百メートルに及ぶ大規模な商店街。


 この商店街の真ん中あたりにあるのが「とげぬき地蔵尊 高岩寺」


 本尊は「延命地蔵」と呼ばれ、病の平癒や延命に霊験あらたか(れいげんあらたか=神様からのご利益がハッキリと現れる)とされる地蔵菩薩。


 参拝客は、ご高齢の女性が多い。


 この為、ご高齢の参拝客や観光客をターゲットとした甘味処や菓子店が軒を連ねている。


 さっそくタロちゃんは、通りすがりの小さな背中に、にこやかに話しかける。


『すみません、そこを行かれるご婦人。少々お時間を頂いてもよろしいですか?』


「なんだい、あたしゃ――ウホッ! いい男……」


 声を掛けられた七十代くらいの女性は、面倒臭そうに振り向いた。


 しかし、タロちゃんの顔を見るなり、うっとりとタロちゃんを見つめて頬を緩めた。


 効果は抜群だ!


『最近、このような人をご覧になられませんでしたか?』


「ええ? どれどれ?」


 タロちゃんが差し出した指名手配写真を見るべく、熟女は老眼鏡を取り出した。


「うーん……見たことあるような、ないような」


 これじゃ、例え隣にいたとしても、気付けなさそう。


 それでもタロちゃんは笑みを絶やすことなく、視線を熟女に合わせて、柔らかい口調で言う。


『最近は、あなたのような、か弱い女性を狙う犯罪が多発しているのです。くれぐれも、お気を付け下さいね』


「もし、あたしが犯罪に巻き込まれたら、あんた助けてくれる?」


『もちろんです。あなたを守る為に、僕は存在しているのですから』


 タロちゃんは熟女の手をそっと取って、優しく微笑みかけた。


 熟女は、まるで恥らう少女のような表情を浮かべ、ビニール袋を差し出す。


「あら~、嬉しい。ああ、そうだっ。さっきそこで、塩大福買ったのよ。あのね、ここの塩大福はね、美味しいって有名なんだからっ。お役に立てなかったお詫びに、これあげるわ」


 タロちゃんはそれを受け取り、満面の笑みを向ける。


『これはこれは。お心遣い頂き、ありがとうございます。貴重な時間を割いて頂きまして、すみません。また機会がありましたら、お会いしましょう』


「はいはい、またね」


 熟女は顔の筋肉をユルユルにして、手を振りながら去っていた。


 見ているこっちが恥ずかしいくらい、タロちゃんは口説きのプロだった。


 若いイケメンに優しく声を掛けられたら、ご高齢の女性なんてイチコロよ。


 私はニヤニヤ笑いながら、茶化すようにタロちゃんの肩を叩く。


 こうして並んでみると、タロちゃんは私よりも二十センチほど背が高い。


 タロちゃんの身長は、だいたい一八五センチくらいかな。


「やるね、タロちゃん」


『タロちゃんじゃなくて、加藤太郎ですってば。まぁ、これも仕事ですから』


「それ、言っちゃうんだ?」


『僕は、その為に作られました』


「まぁね」


 タロちゃんがあまりに人間らしく振舞うので、つい普通の人間と話すように喋っていた。


 ロボットであることを、すっかり忘れていた。


『さて、聞き込みを続けますよ、穂香さん』


「は~い」


 いつの間にか、指示を出す立場が逆転してしまっていた。


 私はそれをちょっと不服に思いながらも、タロちゃんの後をついて行く。


 タロちゃんは、あちらこちらで、通りすがりのご高齢の女性に声を掛けていく。


 同時に、せんべいやらまんじゅうやらを貢がれている。


 貢物が、そこらへんで売っている菓子というあたりが、お年寄りっぽい。


 十人目と別れたところで、タロちゃんが私の側へ来て耳打ちする。


『穂香さん、ちょっと』


「ん? 何?」


 タロちゃんは何故か、細い裏通りへと入って行った。


 チョイチョイと手招きするので、不思議に思いながらもタロちゃんの後についていく。


 何故か私を隠すように、タロちゃんは表通りに背を向けた。


「どうしたの? 何かあった?」


 タロちゃんの意図が分からず、私は首を傾げた。


 タロちゃんは「静かに」というように、唇の前に人差し指を立て、小声で話し始める。


『ご婦人方の目に触れると、気を悪くされるかもしれませんから』


 と、前置きをして、菓子が入ったビニール袋を私に差し出す。


『よろしければ、お召し上がり下さい』


「あ、そっか。タロちゃんは、食べられないのか。じゃあ、もらうよ、ありがとう」


 タロちゃんから手渡されたビニール袋を、私は嬉々として受け取った。


 タロちゃんは、苦笑して肩をすくめる。


『未来の世界のネコ型ロボットのように、食べた物をエネルギー変換出来る原子炉があればいいんですがね。残念ながら、僕にはそういう機能はありませんので』


「動力は、電気だっけ?」


『七時間フル充電で、二四時間稼動が可能です』


 それは、待機モードでの場合。


 メモリーカードを挿せば、電力をガンガン食う仕様になっている。


 タロちゃんは声を掛けた女性全員から貢がれていたので、私の両腕にはビニール袋がびっしりブラ下げられた。


 ひとつひとつの重さは大したことないけど、量が増えれば重さも増える。


 さすがに、これを持ったままって訳にはいかない。


「タロちゃん、ちょっと私、これ置いてくるから。聞き込み続けてて」


『了解です。あと、タロちゃんじゃなくって、加藤太郎ですってば』


「へいへい」


 その場にタロちゃんを残して、私は一旦車へ戻った。


 後部座席に荷物を置くと、タロちゃんの姿を探す。


 タロちゃんは長身なので、すぐ見つかった。


 その腕には、またビニール袋が下がっている。


 しばらく、おやつを買わずに済みそうだ。


 足が早い(賞味期限が近い)ものばっかりなのが、難点だけど。


 そうこうしていると、私の腹時計が十二時を告げた。


 私の腹の音を聞いたタロちゃんが、小さく笑う。


『お腹空いたんですか?』


「私は人間だからね。一旦戻るよ、太郎君」


『はい、穂香さん』


 聞き込みを中断して、タロちゃんと共に車へ戻った。


 その時、驚くべきことが起こった。


 なんと、タロちゃんが指示なく助手席に座り、シートベルトを締めたのだ!


 どうやら、学習機能が作動したらしい。


「おお~っ。エライぞ、太郎!」


『ありがとうございます』


 犬を褒めるように、頭をワシワシと撫でまくる。


 タロちゃんは、嬉しそうにはにかんだ。


 私も何だか照れ臭くなって、一緒に笑ってしまった。


 メモリーカードを挿すと、こんな表情も出来るのか。


 そこで、ふいに思い出す。


「おっと、忘れるところだった」


 メモリーカードを挿しっぱなしにしていると、早々に電池がなくなってしまう。


 私は慌てて、メモリーカードを引き抜く。


 メモリーカードを抜いた直後、タロちゃんは無表情の待機モードに戻った。


 ちょっと寂しい。


 私はビニール袋の中から、助六寿司を取り出した。


 実は、お菓子以外にも、太巻き寿司やおいなりさん、おにぎりなんかも貢がれていた。


 箸やお茶のペットボトルまで入っている、親切っぷり。


 今後は、タロちゃんがいれば、食べ物には困らないかもしれない。


 太巻き寿司を頬張りながら、ミニパソコンを起動させる。


 タロちゃんが聞き込みで得た情報を、整頓しなければ。


 タロちゃんからデータを転送して、言語化された会話文から有力な情報だけを選び出す。


 これがなかなか、面倒な作業だ。


 とにかく、ご年配の女性は話が長い。


 近所の犬がどうしたの、芸能人の誰それがどうしたのと、事件とは無縁の話がダラダラ続く。


 だが、中には重要な手がかりもあるかもしれない。


 考えてみればタロちゃんは、このしょうもない会話を、私の代わりに笑顔で熱心に聞いてくれている。


 タロちゃんは機械だから、感情というものがない。


 つまり、何時間ムダ話を聞かされても、聞き疲れるということはないってワケだ。


 パソコンの画面を見つめすぎて、目がショボついてきた頃。


 無線機が雑音交じりの中、喋り始めた。


『有力な情報が入った。全捜査員は署へ戻れ。繰り返す、有力な情報が入った、全捜査員は一旦署へ戻れ』


 無線が流れる中、アクセルを踏み込み、指示通り署へ戻った。


 大量のビニール袋を抱えて帰ってきた私を見て、誰もがぎょっとした。


 私より先に戻っていた井上が、目を丸くして声を掛けてくる。


「どうしたんだい? それ」


「ああ、これお土産。好きなの、持ってっていいよ」


「お土産って、聞き込みに行ったんじゃないのかい?」


「いやぁまぁ、そうなんだけどね。加藤君が、ちょっと……」


 曖昧に言葉を濁すと、井上は私の後ろに立っているタロちゃんを見て、何かを察して笑い出す。


「ああ、新人君が色々買っちゃったのかぁ。初めての捜査だと、なんか妙に張り切っちゃって、テンション上がるもんね。分かるよ、僕もそうだったから」


 どうやら、良いように解釈されたらしい。


 井上が、天然で助かった。


 私はビニール袋を自分の机へ置く為、刑事課へ足を向ける。


 本会議室とは、反対の方向。


 井上は手を振って、会議室へ向かう。


「では、僕はお先に」


「はーい」


 次いで、安藤とキララさんも署に戻ってきた。


 安藤が、呆れた様子でビニール袋を指差す。


「田中、お前、そんなにたくさん、何買ってきたんだよ?」


「私じゃないよ、加藤君がさ~」


「もしかして、太郎ちゃんってばイケメンだから、女の子に貢がれちゃったんじゃないの~?」


「うっ」


 さすがはオトシ(自供させる名人)のキララさん、察しが良い。


「あらやだ、図星~?」


 キララさんは、体をくねらせながら、楽しげに笑った。


「いやぁ~、貢がれたのは女の子じゃなくって、巣鴨のお婆ちゃん達なんだけどね」


 私が白状すると、真面目な安藤が眉間にシワを寄せる。


「貢がれたって。それは、警察官としてどうなんだ?」


「何よぅ、大介ちゃんは、頭が堅いわねぇ。女の好意を無下むげ(放っておいて見向きもしない)にするなんて、女に恥かかすつもり?」


「しかしだな」


「うふふっ。でも、アンタのそういうとこ、嫌いじゃないわン♪」


 キララさんは、笑いながら安藤に擦り寄って、安藤の尻を掴んだ。


「尻を揉むなっ!」


「いいじゃないの~、減るもんじゃなしぃ~」


「減る! 俺の中の何かが減るっ!」


 安藤が逃げるように、さっさと会議室へ向かってしまった。


 その尻を、キララさんが追い掛けて行く。


「ああんっ、大介ちゃ~ん、待ちなさいよ~っ」


 いつも通りのやり取りに、私は苦笑するしかない。


 キララさんはオネエだけど、ゲイ(同性愛者)ではない。


 本人が言うには、「ファッションオネエ(女装とオネエ言葉が趣味の男性)」で「心と体は男のままでいたい人」らしい。


「オネエ=ゲイ」は、安易な偏見へんけん(自分勝手な思い込み)。


 だからアレは、ただのたわむれ(本気ではなく、遊び半分)で、安藤をからかっているだけだそうだ。


 会議室の席が八割ほど埋まった頃、捜査会議は始まった。


「先程無線で連絡した通り、有力な情報を手に入れた。というのも、容疑者が住んでいるアパートを発見した。そこで捜査員を、聞き込み班と張り込み班に分けようと思う。その割り振りは――」


 いつもなら聞き込み班の私が、張り込み班に振り分けられたと聞いた時には、耳を疑った。


 じっとしていることが苦手な私は、あちこち歩き回る方が性に合っている。


 捜査員達がぞろぞろと会議室を出て行く中、私は刑事課の課長に問い掛ける。


「なんで、私が張り込みなんですか?」


「知らんが、上からの要請だ。行って来い」


 ノライヌでも追っ払うように「しっしっ」と、課長が手を振った。


 絶対、タロちゃんのせいだ。


 恐らく、タロちゃんにさまざまな捜査させて、データを取りたいのだろう。


「まだ試運転の段階」と、准教授も言っていたし。


 課長は「知らんが、上からの要請」と言っていたけど、タロちゃんの存在は、機密事項なのだろうか?


「仕方ない。行くよ、タロちゃんっ!」


『僕はタロちゃんではありません、加藤太郎です』


「はいはいっ、加藤太郎様っ!」

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