3-4

 焦燥した様子の若い男が、壮年のバスドライバーに拳銃を突きつけている。

『どうしてバスジャックがタクシーより安くつくと思うんだろうな』

『リベルロ病院に向かえと言っているんだ!』

 ドライバーは空手の達人だ。その気になれば拳銃を持っただけのチンピラなど相手にもならない。だが、他の乗客に危険が及ぶかもしれない……

 目線が右に動く。バス運行会社より課せられた二大原則。『無事故ノー・アクシデント』『無遅延ノー・ディレイ』。

『……着席お願いします、お客様・・・

『何だと……』

『リベルロ病院に連れて行ってやるというんだ』

 ドライバーは、厳かな手つきでサングラスを外す。

『ただし、俺のやり方でな』

『お前のやり方だとぉ?』

『ああ。無事故ノー・アクシデント無遅延ノー・ディレイだ』



  ◆   ◆   ◆



「緊急時の通報機能はないのか」

「ウソでしょ!? 今の超渋いシーン見た感想それ!?」

「優羽陽~お箸止まってるー」


 チョイスされた映画の都合で穏やかな時間とはいかなかったが、さておき賑やかな夕食となった。

 祈月の料理はどれも美味かった。豚汁は何が違うのか普段のみそ汁よりも味わいが深かったし、こんにゃくを使った煮つけはピリッとした辛みが白米と良く合った。

 イワシの蒲焼きは少し甘味が強いように感じたが全体のバランスを見るとなるほど良い塩梅で、片手間に作っているように見えた刻みキャベツのサラダなどは、市販品よりもシャキシャキと歯応えがよく、普段使っているドレッシングの味が一層際立って感じた。


「あの、どうですか?」

 祈月がおずおずと訊いてくる。

「完全にわたしのやり方で作ったので、味、変なところがあるかもしれませんけど……」

「いや」

 俺は食い気味に首を振る。

「変な所はない。どれも美味い」

「良かった……そう言っていただけて嬉しいです」


 祈月は安堵の笑みを浮かべ、それに見とれそうになった俺は、しかし思わず目をそむけてしまう。

 視界の端に、先ほどまでこそこそと片付けていた訓練室の扉があったからだ。あの部屋で証拠隠滅に勤しんでいた俺に、この食事もその笑みも過ぎたものに思えた。



 食事の時間はほどなく終わった。優羽陽は映画に熱中していたので遅くなったが、なんだかんだで残したりはせず、映画が穏やかなシーンの内にしっかりと手を合わせた。

「食洗器とか、ないですよね? 食器も洗っちゃいますね」

「手伝おう」

 食後は俺も映画を見るつもりだったが、さすがに祈月一人にそんなことをさせる訳にはいかない。すると優羽陽も画面から顔を離した。

「あっ、私も手伝う? 片付けできる所を見せつけるよ!」

「なんでそんなにやる気満々なの……何人も並んでやることないよ。わたし一人でも十分だと思うんだけど」


「一応は俺の家なのに、何もかもしてもらっては悪い」

 これは本心だ。祈月と一緒の時間を過ごしたいという欲もあったが、それよりは純粋に手伝わなければならないという義務感の方が強かった。

 彼女は控えめに頷く。

「天道さん、手伝っていただいて良いですか? 優羽陽は映画見て待っててね」

「もー。またすぐアクション始まると思うし、それから呼んでもダメだからね」



 重ねた食器を、分担して洗い場へ持っていく。祈月の使っていたコップを手にした時は不品行な緊張を覚えたが、何も不審なところなく振る舞えた……はずだ。

 食器洗いは、祈月が洗い、俺は洗い終えた食器を拭いて乾燥棚に立てるという配分になった。食堂から、映画の音や優羽陽の歓声がわずかに聞こえてくる。


「何から何までやらせて、すまないな。ありがとう」

「ええー」

 俺が漏らすと、祈月は苦笑を返した。

「別に、普通ですよ。その、花織子さん? も同じようにしてるんじゃないですか」

「いや、それは……それもそうか」

「わたしみたいに今日たまたまやった人より、毎日当たり前みたいに支えてくれてる人にこそ、ありがとうって言うべきですよ。ちゃんと伝えてます?」

「む……」

「やっぱり。優羽陽のお母さんもそういうこと、愚痴ってますもん」

 実際、返す言葉がない。花織子さんがそういったことをするのは当然だと思っていて、すなわちそういった感謝を伝えたことは、数えるほどもなかった。


「……それに、わたしなんか」

 祈月の声音が落ちる。

「お礼を言われるようなこと、なんにもないです。何も」

「そんなことは……」

「今日だって、久しぶりに優羽陽がわたしのご飯、食べてるところ見たいな、って思ったのが一番の理由ですし」

 祈月の指は冷たい水に濡れて赤らみ、俺のよく知る儚い白さを失っていた。

「星良のところに通ってるのも、優羽陽のためです」



 薄暗い横顔に、星良の家からの帰路で聞いた、祈月の言葉を思い出す。

『分かりますよね。私の気持ちを知っていれば、これにどんな意味があるのかは』

 その時は何のことだか分からず、直後に優羽陽のメールが来て、有耶無耶になってしまった。

 だが、寮内を調べているうちに考えて……何となく察しはついた。

 祈月が優羽陽のことが好きで、優羽陽の能力のことを知っていて、星良への励ましに後ろめたさを感じていることを踏まえれば、そう難しい話でもない。



「優羽陽を守るために、星良に復帰して欲しいんだな」

 食器を洗う音と映画の音で優羽陽本人に聞こえる恐れはなかっただろうが、それでも声量をずいぶん抑えた。

「もう、優羽陽が記憶や感情を失ったりせず済むように」


「……ええ」

 祈月の食器を洗う手が止まることはない。それでも、その表情は痛ましく歪む。

「天道さんは、そういう『最後の手段』があることは悪いことじゃないって言いましたけど……」

「ああ。確かに言った」

「わたしはそれを……優羽陽が自分の記憶と心を削ることを、『最後の手段』にだってしてほしくない。わたしの……好きな、優羽陽が。わたしの知らないうちに、いなくならないでほしいんです。もう二度と」


「分かるよ」

「……ごめんなさい、慰めさせるようなことを言って」

「いや、そんなつもりはない」

 本当に、慰めのつもりはなかった。俺も、もし俺の知らぬ間に祈月が自分の大切なものを犠牲にしてしまっていたら……想像の中のことでも、それは辛かった。

(ましてや優羽陽の場合、事実としてそれが一度発生している……)


「わたしは、傷ついた星良をもう一度、表に引きずり出そうとしている。優羽陽の盾にするために」

 水道の水が、ほとんど食器を洗い終えた祈月の手へ落ち続けている。

「なのに、みんなそれを褒めてくれるんですよ。でも、本当のことは言えない」

「優羽陽の能力の秘密にも直結することだからな」


「だから天道さんが、優羽陽の秘密に気付いた時、良かった、って思ったんです。きっと天道さんになら、本当のことを話せる……」

 その横顔に浮かんでいる笑みは、やはり見たことのないものだった。今まで祈月と話した記憶の中にも、あの写真の中にも。

 それはきっと、後ろめたさによるものだっただろう。あるいは、自虐。

「そうすれば、褒められるようなことじゃないのに褒められる……そういうことのしんどさも楽になるかと思った……思ってたんですけど。だめですね」

「……祈月」

「天道さんに余計なこと言って、慰めさせただけだ。駄目だな、わたしは」



 抱きしめたい、と思った。

 好きだからという下心によるものではない……とは、言えない。多少と言わず、俺の欲望が先走っていることは否定できない。

 だがそれ以上に、言葉によらない肯定をしたかった。そう思った時連想したのが、花織子さんに抱きしめてもらった記憶だったのだ。

 幼い頃、『感生計画かんせいけいかく』の手ひどい仕打ちに泣いていた俺を、あの人は黙って抱きしめてくれた。あの暖かさ。俺の苦しみを容認してくれた優しさを不意に思い出し、それを祈月にも与えたい、と思ったからだ。


 それでも、俺は何もできなかった。

 その華奢な肩に、触れることはできない。

 自らの欲を、ひたむきな恋と苦悩の狭間に苦しむ彼女へ向ける覚悟なんてない。



 だから、代わりに水道を止めた。

「あ」

「後は俺がやっておく。手が冷えるだろう」

「すみません……」

 やはり、申し訳なさそうな顔。俺は首を振る。

「俺に大したことはできない。だが……」

 俺が見ていたいのは、祈月のそんな表情ではない。

「味方だ。祈月の」

「……天道、さん」

「いくらでも慰めさせてくれ。それで祈月が楽になるなら」


 祈月は俺を見上げ、頭を下げる。

「ありがとう、ございます」

 囁くような声量でそう言うと、手を拭いて、祈月は食堂へと戻っていく。

 一人残った俺が食器を片づけていると、ぎゃいぎゃいと優羽陽の騒ぐ声に続き、かすかな祈月の笑い声が聞こえ、俺はほっと息を吐いた。


 局長からのメールが着信したのは、その時だ。



  ◆   ◆   ◆



 一時停止したバス運転手の憤怒の形相の前で、俺たち三人へ届いたメールを読み直す。


「明朝、大規模な魔物の襲来が予想される……」

「それに備え、各自今日は寮で寝泊まりすること……えっ、そんなことあるんだ!」

 優羽陽の言葉通り、今までにないケースだった。もちろん、そういった事態へ対応できるように準備されている寮でもあるのだが……


「えー、じゃあ今日ここでお泊りってこと? お風呂はあるの?」

「浴槽と、あとシャワーは何個かあったけど……」

「でも着替えはないよね。あ、でも外泊者用のがあるのかな……到理さん?」


 俺はメールを読みながら、いくつかのことを思案していた。

「少し待て」

 整理が必要だ。こつこつ、とテーブルを叩き、メモ帳を手にしペンを走らせる。

 立て続けに来る、突然にして前例のない指令。

 メールに終始する局長からの連絡。

 姿を消した花織子さん。

 特異なネス。



「……二人とも」

 俺はメモ帳を置いて立ち上がる。

「とりあえず指令には従おう。だが少しばかり疑問もある。俺はこれからそれを確かめに行く」

「大丈夫……?」

「少し話をしに行くだけだ。二人は家に連絡をしたら、引き続き映画でも見て、早めに休んでくれ」

「分かりました。部屋は適当に決めてしまいますね」

「頼む。……頼むぞ」


 椅子を引いて立ち上がり、二人を見ると、俺は手早く支度をして、対魔局へと向かうことにする。




 対魔局ロビーの時刻は、20時半を示していた。

(優羽陽を仕留めようとしてからまだ24時間も経っていないのか……)

 ここに来るまでに局長へ連絡を試みていたが、応答はなかった。今朝ぶりに、局長室へ向かう。


 不審な点が多すぎた。

 局長はフットワークが軽く、気を回す人だ。もちろんそれが全て良い結果を生み出すわけではないが、それでも局長はそうしてきたし、だから前例のないオーダーをメールだけで祈月や優羽陽に送りつけるのはらしくなかった。

(直に会えないにしても、せめて電話だ。それができないほど忙しいというなら、なおさらその事情を説明するような人だ)


 局長室は施錠され、不在を示すプレートがかかっていた。

(……取り越し苦労なら構わない)

 俺はそのまま、指令室へ向かう。普段から局員はそこに詰めている。


 優羽陽いわく、通常のネスに憑かれるよりも圧倒的に早く暴走へ至った俺からは『恐怖王』の力に似た気配があったのだという。

(『恐怖王』のような、知性があって特別な力を持つ魔物……魔界の存在がいるのはほぼ確実だ。もしそいつが動いているのだとしたら)

 局長には、『恐怖王』の力も影響を及ぼさなかった。逆説的に、局長の身柄を真っ先に押さえるのは、戦略上当然だと言えるだろう。


(そう、戦略上だ。戦略上……)

 今まで、魔物を放ち、ネスを人間に憑かせて増幅させて魔物として、といったことばかりしてきた連中が、いきなりそんな戦略的な動きを取ってくるか?

(分からない。分からないが)

 逆に、もしそうだとしたら……もし戦略的に対魔局を攻略しようとしたら、どうなる?

(花織子さんを味方に引き入れ、優羽陽を俺と戦わせることで戦力を削り……祈月と優羽陽の所在を確定させ、なおかつ油断している。そういう状況を作るんじゃないか?)



 指令室の扉の前で立ち止まり、一呼吸。足を踏み入れる。

「……あれ?」

 そこにはいつも通り、女性の局員が二人いた。鋭角的な印象のエリさんと、いつも柔らかなマエさん。マエさんがふんわりと笑う。

「どうかしたの? 到理くん」

「いえ……今日も遅いですね」

「色々やることがあるからね」

 エリさんはこちらをちらりとだけ見て、手元のパソコンで何か作業をしている。いつも通りの光景だ。


「実は、局長を探していて」

「局長?」

「はい。連絡が取れないんです。何か知りませんか?」

「到理くんもか~」

 マエさんは困ったような表情をして、俺を手招きする。

「私もね、気になってることがあって……ちょっと見てくれる?」

「はい」


 俺は頷き、マエさんの元へ向かい、



「……!」

「っ」



 その途中で振り向いて、デスクの陰から音もなく迫ってきていたラジュンさんからの攻撃を受け止めた。

 受け止められただけだ。腕にはサポーターをつけていたから、振り下ろされた警棒による打撃のダメージは大したことはなかった。だがその後がまずかった。


「ぐっ!?」

 熱い感覚と同時、受け止めた腕が俺の意志に反して跳ねる。

(電磁警棒……!)

「はあぁッ!!」

 気合を発しながら、ラジュンさんはさらに警棒を振り上げる。

 元より体格差があり、武術的な身体運びの心得はすべて彼に教わった身だ。不意打ちからでは対処しきれない。したたかに肩を打たれ、よろめいた所を掴まれ、後ろ手に拘束されてしまった。


「一体っ、何を……!」

 壁に押し付けられ、両手首をバンドで拘束される。マエさんはそれを見ているだけだし、エリさんは見向きもしない。

「大人しくしていろ、到理」

 ラジュンさんは低く告げると、拘束した俺の身を乱暴に引き、手近の椅子へ乱暴に押し放った。

「……!」

 近くのデスクの下に転がされている局長と目が合った。彼女は俺と同じくバンドで手足を拘束された上に、口をダクトテープを塞がれている。


「ごめんね、到理くん」

 いつもと変わらぬ、穏やかな口調のマエさん。

「ちょっとの辛抱だから……到理くんがもう一度、仲間になってくれるまでの辛抱」

「もう一度、仲間になるだって……?」


「ええ」

 俺が入ってきた方とは、別の扉が開いた。

 そこから、予想通りの人物が姿を現す。

「……花織子さん」

「あんまり驚かないんだ」


 彼女はやはり、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていて、だがその背後にはいくつもの球が浮かんでいる。

 ネスだ。人を狂わす原初の魔物。


「もう一度、思い出させてあげるね。到理くん……あなたの必要感情ネセサリー。あなたの嫉妬を」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る