1-3
午後三時になった。
作戦時間の折り返しだ。私は人けのない神社の一角で腰を下ろし、スポーツドリンクを飲んでいた。
私たちの作戦において、人の多い場所は祈月を含む二人組が担当する。祈月の魔法少女の
「あの二人、大丈夫かな」
定時の連絡は入れているし、二人とも魔物にすぐさまやられてしまうことはない。それでも心配は感じる。特に今日のように、賑わう場所と静かな場所がはっきりと分かれている時は。
このうら寂しい一角にも、遠くから色々な人の声が聞こえてくる。こうしていると、まるで私だけが世界から切り離されてしまったかのような錯覚を感じる。
(ましてやここは話題のデートスポット……)
到理と、祈月の顔を順番に思い出す。四角四面で真面目な男の人と、物静かで落ち着いた女子高生。とはいっても男女である。
(もし私が知らない内に二人が……な、なんかそういう感じになったら……!)
「……!」
空想は一瞬で途切れた。
視界の端に、紫の光がよぎったからだ。
それは魔界の穴が開いた地点の、周囲の空の色に近い。
曇り空よりも禍々しく、夕空よりも暗澹として、夜空よりも濁った色。
今はまだ、魔法少女しか知覚できない光。
そして、その光は弱々しく、地上で発せられていた。
それはある厄介な事実を意味する。今日これから起こる魔物による騒動は、空に魔界の穴が空いて魔物がやってくる、先日のようなパターンではない。
「『ネス憑き』かぁ……!」
◆ ◆ ◆
「この感じ、『ネス憑き』です……!」
祈月の言葉に、俺は顔をしかめた。
魔物が起こす騒動は、基本的に一種類だ。空に魔界からの穴を開け、ネスをこちらの世界に流し込む。
その穴は魔物によって維持されるので、これを倒すことで穴を閉じる。それが俺たちの、基本的な作戦方針だ。
だが、魔物の発生経緯には二つの種類があった。
第一に、魔界から穴を開けてくるパターン。魔界の方から直接穴を開き、それを維持する巨大な魔物も魔界からやってくる。
この前の作戦もそのパターンだったが、実はこれは御しやすい方だ。ただ門を維持する魔物を殺せば良い。
第二のパターン。それが『ネス憑き』によるものだ。
もっとも弱く基本的な、細胞状の魔物、ネス。
あれは人間に憑き、その人間の感情――今まで最も多く確認されているのが恐怖、その他にも憂鬱、嫉妬、怒りや偏執――を増幅しながら成長する。
そして成長しきったネスは、宿主がその感情を爆発させると、巨大な魔物と化して、宿主の身体から飛び出し、自ら魔界への穴を開く。
こうなった魔物をただ殺すと、宿主になった人間にも深刻な影響が及ぶ。
最悪の場合、死に至る。
だからその前に、魔物を宿主から分離しなければならない。
それが可能なのもまた、魔法少女だけだった。
『到理さん!』
優羽陽からの通話は、ワイヤレスイヤホンで俺と祈月に届いている。
『ネス憑き!』
「気付いている。現在地」
専用のアプリを開き、地図データ上の優羽陽と祈月の現在地点が、実際と相違ないかを確かめる。
探知したといっても、まだ彼女たちはネス憑きの存在を感じただけで、具体的な位置までも絞り込むことはできない。目の前の人間がネス憑きかどうか、目視で判別する必要がある。
よって、ネス憑き相手の作戦は『ネス憑きを素早く見つけ、その周囲から人を避難させ、飛び出してきた魔物の相手をする』という展開になる。
その手段は、足と目だ。
「ルートを指示する」
事前の地形情報に、実際に見て回って得た最新の情報、さらには人流等様々な要素を考慮し、二人が見て回るべきルートをアプリ上に描く。
俺の書き込みは二人のスマホにも共有され、二人はその通りに巡回をする。これが常のやり方だ。
「――――」
俺がルート形成をしている間に、祈月は既に変身の言葉を口にしていた。
彼女が小さな宝石の輝くリボンを髪に結び、ごく小声で彼女が願いを囁けば、その場に光が溢れ出す。
辺りを行き交う人々が、驚きの声を漏らして立ち止まる。あるいは歓声を上げる者もいた。それが魔法少女が変身に際し放つ光であると知っているのだろう。
(……考えなしどもめ)
『魔法少女の変身前の姿』の隠蔽については、手が打ってある。一方で、魔法少女そのものについては、隠蔽は行われなかった。
その姿を人々が知っている方が色々と都合が良いからで、何なら実際に変身する所を、動画サイト上で公開してすらいる。
だが、それでも――『物珍しいものをナマで見られた記念』と言わんばかりに、何の能力も責任もない連中が、変身の光が収まり魔法少女が姿を表すさまへカメラを向ける様は、何度見ても辟易させられる。
変身が終わるや否や、祈月は大きく跳躍した。それでカメラレンズの大部分は振り切られた。落胆するような声が上がる。
『もう少し、変身する場所を選ぶべきでした?』
「気にするな」
見るべきものを見失い避難所への移動を始めた観衆を背に、スマホを操作しながら俺も歩き始めた。
◆ ◆ ◆
『ネス憑き』の発見が魔物の飛び出す前になるか後になるかは五分五分程度であり、今回は良い方の結果が出た。
『見えた見つけたっ! 女の人!』
アプリの地図に『位置確定』のアイコンが点灯している。優羽陽の操作によるものだろう。こうすれば事前に配備していた対魔局と提携した警備会社が本格的に動き始め、近辺の安全確保を開始する。
画面の上では、祈月の位置を示すアイコンもすぐに方向を転換し、池を横切って『位置確定』アイコンへ向かっていた。
「状況は」
『誰かと話してる! 男の人……いや、カップルかな?』
『見えました。ネス憑きと話してる男性の後ろに、女の人がいます』
行き交う人々の脇をすり抜け、歩道の外を走る。俺の視界にも優羽陽の発見したネス憑きと、それと話す男、そして女が見えた。
また人間関係のトラブルか。
『魔物そろそろ出てくると思う! 話しちゃうね!』
ネス憑きの女はラフな部屋着なのに対し、対する男女はだいぶ小綺麗な身なりだ。その間に、一層華やかなオレンジ色が飛び込む。
『ストップーーー!!』
漣優羽陽――太陽の魔法少女。
ネス憑きとなった宿主から魔物を分離するには、宿主の感情を抑制する必要がある。
宿主は何らかの感情によって暴走している状態であり、基本的には他の人間が何を言っても聞く耳を持たない。
ただ例外的に、魔法少女が……その言葉が、ネス憑きの感情に働きかけ、感情を沈静化することができる。
魔物が飛び出る前であれ後であれ、これによってネスは宿主の身体から離れ、退治しても宿主に影響の出ない状態になるわけだ。
もちろん、魔法少女の言葉なら何でも良い訳ではなく、ネス憑きの感情を抑制するのに適切な内容である必要はある。優羽陽が『話しちゃう』と言ったのはこれだ。
ネス憑きとの戦いは、対話から始まる。
『……誰よ…………』
イヤホンから、低い女の声が聞こえた。ネス憑きのものだ。
『太陽の魔法少女です!!』
優羽陽は迷いなく返す。
『魔法少女はみんなの味方。あなたのことも、助けに来ました!』
『助けるって言うなら、どいて……邪魔しないで』
『それは、すみません。でも、あなたの後悔する姿を見たくないんです!』
『後悔……?』
『そうです。あなたは絶対後悔します。魔物の力を借りて願いを叶えたって、嬉しくなんかならないんです!』
『……願いを、叶える……』
ネス憑きは優羽陽の言葉に意識を惹かれている……良い兆候だ。
こういったネス憑きに対する説得行為は、優羽陽の得意の一つ。まっすぐと迷いのない言葉、はっきりとした声色は、暴走する相手にもよく届く。
(状況もシンプルだ)
ここが流行りのデートスポットだということはよく分かっている。
ネス憑きに迫られている男とその背後の女は、まずカップルだろう。であればネス憑きは、男の関係者。
男女間のトラブル。俗な言い方をすれば痴話喧嘩というやつだ。それが失恋か浮気かは分からないが……
(優羽陽。お前ならやれる)
誰よりも明るく、前向きで、力強く。
英雄視すらされても、なお晴れやかに笑う彼女ならば。
『魔物は人を傷つけるしかできない! 誰かを傷つけて、好きな人を取り返せたように見えても、それは何の解決にもなりません!』
『うっ、うう…………!』
『そんなの、ダメだって分かってるはずです! そんなことで好きな人が戻ってくることもないって……!』
「あと一押しだ」
俺は無意識に呟く。優羽陽がわずかにこちらを見て、頷いたように見えた。
『この男の人とちゃんと話し合ってください』
そして優羽陽は正面からネス憑きの女を見て、はっきりと言葉にする。
『乱暴で、あっちの女の人を傷つけるより、その方がずっとあなたのためです!!』
しばし、沈黙。
水の流れる音。少し離れた所から、喧騒が聞こえてくる。
『……違う、優羽陽!』
声を上げたのは祈月だった。
『そうじゃなくて――!!』
だが、祈月の言葉は途中で途切れた。ギィイイ――という、悲鳴にも似た爆発音。濁った紫の風が巻き上がり、ネス憑きの身体が浮かび、それを中心に魔物の姿が形成されていく。
『あれーえぇー!?』
紫の魔力は、純然たる質量となって優羽陽を弾き飛ばす。それはネス憑きに迫られていた男女にも及び、
『
寸でのところで防がれた。池沿いの柵に立つ青月の魔法少女――祈月が、広げた両腕から放たれる澄んだ光により、二人を守っている。
「魔物が目覚めた」
俺は再び、二人の元へ走り出す。
「交戦は避けられない。武装使用許可を」
『武装使用許可! お願いします、到理くん!』
対魔局オペレーターのマエさんの言葉と同時、懐の拳銃を抜いた。
池の柵上を走り、最も安全な場所……すなわち、祈月の形成する聖域の内側へと跳躍する。
「きゃあっ!?」
俺の闖入に、守られていた方の女性が声を上げた。丁寧に髪を巻いた、柔らかな雰囲気の人だった。
「対魔局の者だ。こちらの誘導を聞いてもらう。……そっちの男性の方も!」
「は、はいっ!」
ばたばたと走ってくる男は、黒縁の眼鏡とスーツじみた固い恰好で、いかにも真面目で垢抜けない様相だ。
浮気も失恋もしっくり来ないな、と束の間思ったが、もはやそれは二の次だった。
紫の風の中、魔物が首をもたげている。
巨大な蛇の形を取り、頭に赤い結晶があった――宿主はそこだ。
「びっくりしたぁ……! 絶対うまく話せたと思ってんだけど!」
「検証は後だ」
吹き飛ばされた優羽陽はピンピンしたまま戻ってきて、俺より前に立つ。
「優羽陽は魔物を押さえる。俺と祈月で市民二人を安全域へ誘導。その後祈月と優羽陽で魔物を弱らせ、再度分離を試みる。行けるか」
「行ける!」
「大丈夫です」
二つの返事に頷き、蛇の魔物を見上げる。
『ウ、ウ……アアア……アアァァアアア――!』
作戦開始。
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