1-2

 太綱ふとつな神社。

 作業用の綱が切れることのないよう太くあるように、という願いが始まりとなり、それはやがて人同士の繋がりが太くあるようにという願いに転化され、いつしか縁結びの神社になったという。

 それが最近放送されているドラマ『庭師のトッケン』の重要なシーンのロケ地になったとかで、若いカップルにデートスポットとして注目され始めた。



「ズルズルーッ!」

 俺が概要を読み上げた所で、優羽陽が勢いよく蕎麦をすすり上げた。

「聞いているのか」

「聞いてるけど、大体その辺り祈月に聞いたもん。ドラマ、ファンなんだよ」

「ファンっていうか、見てるだけで……」

「撮影の裏話とか教えてくれたじゃん!」

「そっ、それも番組見ただけで……もう優羽陽っ……!」

 祈月はぱしぱしと優羽陽を叩くが、なだめるように優羽陽から頭を撫でられ、頬を赤くして小さくなっている。

 優羽陽が祈月をからかう時、たまに見られる光景だった。整った眉が八の字に寄せられ、頬は林檎のように赤く、いつもの制服とは違う爽やかな私服の下でもなお分かるほっそりした体つきは、いっそう華奢に見える。


(可愛過ぎる……)

 俺は何気ない表情を保ちながら、しっかりとその姿を凝視する。心の片隅で優羽陽に感謝することも忘れない。

 訓練などに際して一対一になった時より、優羽陽が隣にいた方が、祈月は様々な表情をした。



 神社近くの少し高級な蕎麦屋でのランチタイムは、優羽陽のリクエストだった。他にめぼしいスポットがなかったと言い換えても良い。

 時刻は正午。ここで俺たちは昼食を済ませ、作戦内容の確認を行う段取りになっていた。


「避難所の設営はもう完了していて、アプリでも警報は出している」

「……でも、お客さんは普通にいますよね?」

 祈月の言う通りだった。店内は様々な年齢の男女に溢れ、入り口には短いながらも列もできている。

「マエさんからの情報だと、観光客も多少は少なくなっているらしいが……」

「普通に賑わってます。間が悪かったですね」

 今週の話もすごく良かったし……と祈月は漏らす。


「ズズ……」

 食後に蕎麦湯を啜っていた優羽陽が、口元から器を離して頷いた。

「みんな私たちの……対魔局のことを信じてくれてるんだから、頑張らなきゃねっ」

「対魔局というよりは、魔法少女のことを、だがな」


 魔法少女のことは知っていても対魔局を知らなかった先日の残存者は、特別に無知だった訳ではない。あれくらいが世間一般の認識である。


 しかしそれでも、優羽陽は笑う。

「でも、私たち……その魔法少女は、対魔局の作戦を信じてるんだから! ほら到理さん、ブリーフィングしよ?」

 その言葉に、祈月もこくりと頷く。その黒髪が揺れる様を見て、それから優羽陽に顔を向け、俺はタブレットをテーブルに置いた。

 表情を殺した顔の裏に、多大な緊張と高揚を押し隠しながら。



  ◆   ◆   ◆



 今日の作戦には、普段とは明確に違う点が一つあった。


 俺たち三人を一人と二人に分けて、魔物の出現が予測される地域を巡回し、その兆候を探す。

 そして、一人で巡回するのは必ず俺か優羽陽のどちらかだ。魔物から奇襲を受けた時、祈月の能力では即座に対応するのが難しかったからである。

 ここまではいつも通りだ。


 普段、俺と優羽陽のが祈月と行動するかは、現場の俺たちが判断する。

 だが今回は、ここが違った。

 今回ははっきりと、俺と祈月でペアを組むべきだ、と提案されたのだ。



「……本当に、男の人と女の人ばっかり」


 祈月の漏らした言葉がその理由だった。

 太綱神社と隣接する公園は、男女の恋愛ドラマで話題となっているスポットであり、必然、カップルで溢れかえっている。


『少なくとも今、男が一人で来るような場所ではないと思う』

 対魔局の中でも屈指の霊能力者であり、情報隠蔽の術を取り扱う局員、ダダさんはそう話した。

『妙な理由で目をつけられて、作戦に支障が出るリスクを増やす必要はないでしょ。地形面の問題もないし、今回、甘美夜さんとペアを組むのは天道さんで確定だね』


 ダダさんは淡々とした人だ。俺の祈月への気持ちなんか知らないし、知っていてもそれを慮るような人ではない。

 つまり今、デートスポットで祈月の隣を歩くという史上最高の状況を甘受できているのは、純粋な幸運の賜物であった。

 この作戦概要を聞かされた晩、あいにく特定の神仏を信仰していない俺は、思いつく限りあらゆる手を尽くして万物の神に感謝を捧げたものである。

 今日も賽銭箱に入れるための真新しい一万円札を懐に忍ばせているところだ。



「わたし、浮いてないですかね」

 祈月は不安げに自分の姿を見下ろした。

「やっぱり、大人っぽい人が多いような気がして……私もできる限り、子供っぽくない恰好をしたつもりなんですけど」

 ドレープの効いたトップスに、すらりとした長めのスカート。普段の祈月が持つ、穏やかで控えめな雰囲気からすると、確かに背伸びしているようには感じるが。


「似合っている」

 俺は冷静に、しっかりと言った。

 綺麗だ、美しい、いつもより大人っぽい、ギャップを感じて良い、この公園の中の誰よりも可愛い、ずっと俺の視界に入っていて欲しい、好き過ぎる――胸中に溢れ返る言葉をしっかりと抑え込み、短く告げる。

「浮いてなどいない」


「ありがとうございます」

 祈月は俺を見て、控えめに笑った。ふわりと春の風が流れるようだった。


「実は、このカットソー……昨日買ったんです。優羽陽と買い物に行って」

「そうだったのか」

「スカートは元々持ってたんですけど、これに合う、もう少し大人っぽい服が欲しいかなって」


 祈月がスカートを軽くつまむと、裾で隠れていた可愛らしいソックスの上に素足が不意に見え、心臓が爆発しそうになった。祈月は気にせず話を続けるので、俺もどうにか調子を合わせる。


「優羽陽には、気にし過ぎだって笑われたんですけど」

「…………確、かに……優羽陽は気にしなさそうだな」

「あの子、彩度の強い赤とか黄色とか、普通に着ちゃうんですよ。わたしは白黒ベージュばっかりなのに」

「別に、優羽陽の真似をする必要はないだろう。それに、俺も似たようなものだ。黒、グレー、深めの青……」

「でも今日は爽やかですよ? デニムも似合ってて……」


 ぎくりとする。今日の服装は花織子さんに用意してもらったものだ……と素直に言うことが恰好つかないことは、俺もかろうじて理解できていた。


「……まあ、俺も今日のために、な」

「わ。ならわたしたち、気にしい仲間ですね」


 驚き、そして嬉しそうな祈月の笑みを向けられ、俺は膝からズルズルと崩折れそうになったのをなんとか耐えた。

 そして花織子さんに重ねて胸中で感謝する。服も訓練室も、花織子さんが用意してくれなければ、俺はさぞ醜態を晒していたことだろう。



 俺たちは他のカップルに並び、神社と公園を作戦通りに歩いて進んだ。

 祈月は控えめで、俺も話し下手だから、格段に盛り上がるということはなかった。しかし祈月はドラマで使われたスポットをあちこちで見かけては楽しそうに写真を撮っていたし、俺はそんな祈月と同じ場所の空気を吸えるだけで幸福だった。


「ダダさんの見立ては正しかったな」

「え?」

 その時、俺たちは休憩のためベンチに並んで座っていた。

「男一人の客はほとんど見かけなかった。大体が男女カップル、女同士の友人グループ、あとは女性ひとりも何人か、といった所か」

「あっ……そ、そうだったんですか」

「年齢層は様々だったが、概ね二十代から三十代前半。だが中高生くらいの男女も少しはいたな。お年寄りも何人か見かけたが、あれは多分現地民で……」


 言葉を切る。隣の祈月が少し俯いていた。


「……どうかしたか?」

「いえっ、その……ただ、天道さんは真面目に人のこと、見てらしたんだな、って……」

 あまり言葉の意味を飲み込めなかった。祈月は続ける。

「わたし、これが仕事だって分かってて……優羽陽にも真面目にやりなって言ったのに、はしゃいじゃってて。お恥ずかしいです……」

「なるほど」


 消え入りそうな声の祈月に胸を高鳴らせつつも、俺はしっかりと言う。


「魔法少女なら、魔物の存在は光や音という形で知覚できるんだったな」

「はい……」

「はしゃぐと、それが鈍るということがあるのか?」

「い、いえ。それはほとんど変わらないはずです」


 おずおずと俺を見上げるその目は、黒目がちで艶っぽい。俺は心乱されぬよう、もっともらしく目を閉じる。


「本来するべきことを疎かにして、楽しみを優先するようなことは、許されない」

「……はい」

「ただ、そうでないなら、俺は別に良いと思う」

 それは世辞や慰めのつもりではなかった。元より俺は、そんなことは口にしない。

「楽しい、面白いということは、熱中や積極性を誘い、より高い成果に繋がる」

「わ、天道さん……」

「祈月の責任感であれば、脇道にそれることもないだろう。だったら、楽しんだほうが良い。きっとそれが良い結果に繋がる」



 しばらく、俺たちの間を沈黙が流れる。

 周囲が賑やかなものだから、却ってその沈黙は深刻に感じられた。


「……あのっ」

 何かズレたことを言ったか、と冷え冷えした不安を覚え始めた頃、祈月が口を開いた。

「分かりました。折角なんだし、楽しんでみます、私」


 ほっと安心したのもつかの間のこと。彼女の一言で、俺はかつてない衝撃を受ける。

「ありがとうございます……ううん、あ、ありがとね、到理さんっ……!」


 到理さん。

 ……『ありがとね、到理さん?』

(タメ口の上に……下の名前で……!?)


 硬直し、録音機のボタンすら押せなかった俺の様子を、祈月は隣からじっと見ていたが、


「……~~っ、す、すみません!」

 ひときわ高い声を上げて、ばっとベンチから立ち上がってしまった。

「変でしたよねいきなり! わっ、わたし何やって、ほんと……」

「あ、いや……」


 優羽陽だってそんな調子だし、別に構わない、むしろ嬉しい、幸せHAPPYだ……という類のことを俺が口にする前に、彼女は少し早口で続けた。


「ドラマ……ドラマのまんまだったんです!」

「……?」

「ベンチに座って、悩んでた枝穂ちゃん、あ、主人公の子が、男の人に、慰められるんですよ。楽しむのは悪いことじゃない、それが良い結果を出すって。その……天道さんが言ったみたいな感じで!」


 珍しいく祈月の早口を消化しきれない脳の片隅で、ああ、苗字呼びに戻ってしまった、とぼんやり思う。


「だからっ……天道さん、同じ『トッケン』の、ドラマのファンかと勝手に思って、だからしほちゃんみたいに返したらなんだか盛り上がるかなって……そこ、初めて他人に丁寧語じゃなくなる大事なシーンで、だからその……うぅ~っ……!」


 俺は祈月の言葉の端々から、辛うじて事態を理解する。

「……俺との話がドラマっぽくなったので、俺がドラマを知っていると思い、それに乗っかった返しをしてみてしまった?」

「はい……本当、ごめんなさい。何やってるんだろわたし。天道さんは真剣に相談に乗ってくれたのに……」


 頬と口元を手で押し隠す祈月だが、その赤面は隠しきれていない。

 その姿のあまりの愛くるしさに、俺は動揺を悟られぬよう息を吐いた。


「……そんなに気にしないで良い。それも祈月にとっては『楽しむ』の内なんだろう」

「すみません……」

「はっきりさせておくと、俺はそのドラマを見ていない」

「そうですよね。……あっ、でもじゃあ、改めて」


 頬に赤みを残したまま、祈月は笑みを俺に向ける。


「……励ましてくれて、ありがとうございます。引き続き、楽しみながら……今日の作戦も、頑張ります」

「…………」

「ドラマじゃなくて、私の言葉で、改めてです。ふふっ」


 その貴重な赤面交じりの笑みを脳に刻み込みながら、もし人生の幸せの頂点がここだ、と言われても、別に驚きはしないな、などと思った。



 その日のうちに、本当にその瞬間が人生の頂点になりかねない事態に襲われることになるなど、この時の俺は想像だにしていない。

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