1-4

 空が紫に汚れていく。

 魔物が姿を表した頭上、魔界への穴が開いている。

 何度も見た光景。何度見ても不快で、不安になる光景。



「たらーぁッ!!」

 そんな空の下、優羽陽は一直線に魔物へとぶつかっていく。

 いつもの光景だ。彼女の動きには恐れがない。


 対する蛇の魔物は、鱗に覆われた固く柔軟な胴体で優羽陽の突撃、そして打撃をいなしつつ、顎を開いて噛みついてくる。

全域制御ヴァーサタイル・リストレイント……見えてるよ!」

 だが、優羽陽はそれを寸前で避け、そのまま払うような拳を繰り出す。交錯の刹那に魔物の口内構造を見切り、もっとも長い牙へ、横から打撃を加えたのだ。

『――ィギアッ!?』

 痛苦滲む声と共に、魔物は首を優羽陽から遠ざけた。優羽陽は少したりとも退く様子なく、逃げる首を見上げながら、蛇の胴体を押さえ込む。



 魔法少女は変身することにより、全ての身体能力が向上する。

 筋力、耐久力、走行速度、五感。

 あらゆる方向性において、その能力を磨き抜いた人間を超える力を持つ。それが魔法少女の前提だ。


 それに加え、優羽陽――太陽の魔法少女は、制御リストレイントという、彼女だけのスキルを持つ。

 端的に言えば、それは『思った通りに身体が動く』能力。原理的に可能であり、また優羽陽が可能であると信じていれば、優羽陽はその通りに動くのだ。


 高速で迫ってくる巨大な魔物の首を回避し、一瞬でその構造を見切り、弱点であろう牙を的確に横から打撃する。

 格闘の達人だってそうできない体運びを、優羽陽は少々の訓練のみで実現できる。



「とらああ……ッ!!」

 優羽陽は大木のような蛇の胴体を、軽く浮かせて地面へ叩きつける。

 その意図は、攻撃ではなく位置の調整。この場でもっとも優先すべきは、ネス憑きに狙われていた男女二名の安全確保だ。

 幸い、ネス憑きから飛び出た魔物は普通の魔物と同様、自身の近辺を手当たり次第に破壊し、基本的に誰かを付け狙うようなことはない。


「アプリは入れているか」

 男性の方に確かめると、慌て気味ながら大声で返事が来た。

「はいっ! 避難所の方向も確かめてます!」

「少し移動したら、警備の者と一緒にそちらに向かってもらう」

「分かりました! ……ヒール、大丈夫? 慌てないでくださいね」

「あ、ありがとうございます……」


 男性の方は女性を気遣いながら先導し、女性の方は魔物の方角をうかがいつつも男性に従っている。

 ここで妙な面倒が起こると――魔法少女の戦いを近くで見たいとアホなことを言い出すとか――手間なのだが、ひとまずそういう心配はなさそうだ。



満月の守護フルムーン・プロテクション!」


 祈月が胸を張るようにして両腕を構え直した。魔界の穴を中心に濁った紫に染まりつつあった空が、深く透き通った夜空の色と拮抗し始める。


 祈月。青月の魔法少女のスキル守護プロテクション

 魔物を弱らせ、遠ざけることに特化した、特殊な魔力を放出する能力だ。その形状、範囲は腕の動かし方によって調整される。

 一点に集中させれば大型の魔物にもダメージを与えられるが、あまり彼女は用いない。大人しく心優しい彼女は、たとえ魔物が相手でも、攻撃するという行為に躊躇があるのだろう。



 要避難者の警備員への引き渡しはスムーズに終わった。だが、俺たちの作戦はまだ終わらない。


「優羽陽の方に行くぞ」

「はい……!」

 祈月は跳ぶようにして来た道を引き返し、俺もそれに続く。


 優羽陽は魔物を押さえつけることに注力していたが、俺たちが合流しようとしていることに気付き、にやりと笑った。

「反転攻勢タイムだね! うおーっ!!」

 蛇の首近くを両腕で掴み込むと、ぐっ、と足元の土に沈み込むほどの力を込めて持ち上げる。かと思えば、その頭から地面へと叩きつけた。

『ギェアーァッッ!!』

 魔物は身悶えしながらも全身をねじり、その顎で優羽陽を狙う。回避し、反撃はしない。すかさず来た尻尾での追撃をさらに跳んでかわしたためだ。


(相変わらず曲芸じみているな)

 敵がただ大きいだけの図体を活かして暴れるだけ魔物なら、優羽陽は無敵と言っても良い。

 魔物はすべての攻撃をいなされ、反撃で身体を損傷させられる。さらに後ろに控える祈月が力を奪う。

 疲弊しきった所で、宿主に再度説得を行い、その繋がりを断ち切ってしまえば、あとはとどめを刺すだけだ。


 その間、俺は魔界の穴から降ってくるネスどもを始末する。

 満月の守護によりほとんど力を失っているが、それでも見落としたものが手近な人間に憑依し、新たなネス憑きを作り出さないとは限らない。

 現場で作戦を立案し、要避難者の引き渡しを済ませた後は、ネス駆除が俺の仕事だ。イレギュラーな事態が発生しない限りは――



「うわーっ!?」

 優羽陽が声をあげ、蛇が大きく身をうねらせた。のたうつような動きで、魔物の巨体は柵を越え、池の中に飛び込む。

「ええっ水の中……蛇って泳げるの!? エラ呼吸!?」

「エラはないだろうけど、ヘビは泳ぐと思う……!」


「泳いでいるなら泳ぐんだろう」

 弱々しく震えるネスを銃弾で撃ち抜いてから、優羽陽や祈月と並び、池に飛び込んだ大蛇を見る。太い身をくねらせるたび、水面が波立っていた。


「逃げることはないはずだが……優羽陽、水中戦の訓練は結局積めたのか?」

「まだだよ! 夏になるまでにできれば良いって計画だもん」

「この距離だと銃でも無理だ。……祈月」


 俺が目を向けると、祈月は頷いた。細い腕を前へと伸ばし、手首の辺りで交差する。その白く柔らかな指先は、水中の蛇へと向けられていた。


「……三日月の守護剣クレセント・プロテクサーベル


 向き合った小さな掌の作り出す鋭角から、青白い光が放たれる。それは宣言通りに剣のような鋭さを持って、蛇の魔物を裂き貫いた。


「シャギアアアアァァァッッ!!」


 咆哮と同時に魔物が水面を割って身を起こし、一瞬遅れて大波が立った。すかさず魔物の胴体を狙って引き金を引く。

 放たれる退魔弾は、霊木の煙にて丹念に燻された、聖なる塩で弾頭をコーティングされた弾丸だ。

 現代日本人が、魔法少女の力に拠らず作り出せる、最も優れた霊能兵器である。

 魔物へのダメージは悲しいくらいに薄い。


「シギイイィィィッッ……!」

 が、無意味ではない。

 わずかな痛痒、弾ける爆音、不快な硝煙。これらは、魔物の気を引くだけであれば十分に効果を発揮する。事実、血走った縦長の瞳孔は、こちらを睨んでいた。


 俺の隣から、優羽陽の姿が消えていることなど気にも留めまい。


魔装制御グラブソクス・リストレイント! 池の方に行ったら――駄目だよ!」

 柵から池沿いの樹の枝へ、さらにその樹の頂点へ跳躍していた優羽陽が、持ち上げられた魔物の蛇の首元へと飛びかかった。太い首根を、身体全部でしがみ付く。


「祈月!」

半月の守護聖域ハーフムーン・プロテクチュアリ……!」


 祈月が澄んだ光を広域に放つと、優羽陽はそれを蹴った・・・

 一見すれば宙を蹴っているようにしか見えないが、どうも優羽陽が手足に纏う魔力と祈月が放った魔力同士で、擬似的な物理干渉を発生させているらしい。

 少なくとも優羽陽ができると信じているので・・・・・・・・・・・・・・・、原理はどうあれ、それは実現する。


「ギアァァァァ……!!」


 空中を蹴ることで速度を得た優羽陽に掴まれたまま、魔物の頭も地上へと叩きつけられた。衝撃で全身がのたうち、池の水面が波打つ。

 するりと着地した優羽陽は、魔物の頭の赤い水晶の元へ駆け寄る。

「もっかい話すね! マエさん、この人のこと教えてください!」



 魔法少女の交戦中、対魔局もただそれを見守っているわけではない。あちらでは戦闘以外に必要なことを行う。

 今回の場合は、情報収集だ。相手がネス憑きであれば、ネス憑きの身元と身辺を可能な限り調べ上げる。

 魔法少女が説得するには何が必要かを……どんな言葉をかければ、ネス憑きの暴走する感情を抑制し、魔物を切り離すことができるかを明らかにするために。



『こちら対魔局司令部です。優羽陽ちゃん、分かったことを伝えるね!』

 応じたマエさんの語調はハッキリしていた。これはもう、何をどうすれば良いか判明しているパターンだ。


『まずそちらの人は、若槻わかつき夏季なつきさん。28歳。抱えてるトラブルは、恋愛関係です』

「やっぱりそうですよね? 男女関係で、さっき避難してもらった男の人と……」

『逆なの、優羽陽ちゃん』


「え……逆?」

 きょとんとした表情をする優羽陽。

「つまり、夏季さんがその男の人を振って……?」

『そうじゃなくて、女の人の方なの。この話もその人から聞いてね……』



「あの……」

 祈月のか細い声が、遠慮がちに割って入った。

「ネス憑きの人が付き合ってたの……女の人の方なんですよね?」

「えっ!?」

『あっ、はい、そうです! 避難していただいたお二人のうち女性の方、江口えぐち舞乃まいのさんとおっしゃるんですが、その方と長く同棲していて、少し前に舞乃さんが出ていったという話です!』


 なるほど、と得心する。確かに優羽陽は、夏季というネス憑きの女性が男性とトラブルがあり、女性を傷つけようとしていると決めつけていた。

(逆だったのは付き合っていた相手、か)

 祈月も、どこかほっとした、安堵の表情を浮かべていた。

 自分の意見が的外れでなく安心したのだろう。彼女はいつも、自分が邪魔にならないよう気を配っている。


「えっ、だって」

 だが、肝心の優羽陽は未だにその話を飲み込めていなかった。

「夏季さんは女の人で……その舞乃さんも女の人なんですよね? どっちかが実は男性だった、みたいな……?」

『そういうのじゃなくて、間違いなく女性同士です!』

「女の人同士で付き合って……!? そんなこと本当に……」


「優羽陽!」

 今度は俺が強めに言葉を挟んだ。優羽陽に倒された魔物の身体が、再び動き始めつつあったからだ。

「事実を見ろ! ともかくそのネス憑きはそうなんだ。それ自体は、今どき珍しいことでもない」

「っ……う、うん! えっとじゃあ、どうすれば……」

「異性同士だった時と同じに考えれば良い。恋愛の相手が同性なだけで、他は特に変わらないはずだ!」


 かく言う俺も、同性愛というものがあることは研修でしか認識していなかった。自分の言葉が正しいかは分からない。

 だが敢えて、自信を持って優羽陽に言葉をかける。それが優羽陽の自信を支え、説得を成功させ、結果的にネス憑きの宿主を救うことになるだろう。


 優羽陽は一つ呼吸する。その後の言葉に、迷いはなかった。

「……夏季さん! もう一度話そう! 私の声、聞こえるよね!」

「ギイ、イィ……」

「さっきはごめん! 私、あなたのこと全然分かってなくて……だけどね……!」



「祈月」

 リボルバー拳銃に弾丸を込め直しながら、そっと声をかける。彼女はなぜか驚いたように目瞬まばたいた。

「一応構えておくべきだ。あの調子なら大丈夫だとは思うが……」

「……は、はい」


 祈月はどこか思わしげな表情だった。そういえば、俺が声をかける前から俺を見ていた気がする。……自惚れだろうか?

 何かあったか尋ねたい気もしたが、今は前方の魔物に注目すべき時だった。たとえ俺が気が狂いそうになるほど祈月のことを好きでも、公私を混同することはない。


(……しかし、祈月は宿主の『相手』が女性だということ、マエさんに言われる前から気付いていたのか?)


 連想するようにささやかな疑問が浮かんだが、

「いよっし……!」

 優羽陽の声と、魔物の痛々しい悲鳴――宿主を失った魔物が上げる特有の声に意識を持っていかれ、疑問はそのまま霧消した。

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