1-5

「さっきはありがとう、到理さん」


 魔物を倒した後、撤収のための車で、不意に優羽陽が声をかけてきた。

 祈月はいない。今日のように人の多い場所での作戦後は、ネスを確実に駆除するため、魔界の穴が閉じた後も、しばらく満月の守護フルムーン・プロテクションを展開することにしている。


「感謝されることはいくつか思いつくが……」

「夏季さんと話してる時のこと。ほら、性別のことでさ」

「あれか」


 優羽陽がうーんと伸びをした。狭い車内で器用なことだ。


「頭では分かってるつもりだったんだけどね~。学校でもそういう話、何度か聞いてたし」

「優羽陽。高校のクラスに生徒は何人いる?」

「え? うちは34人だったかな……?」

「統計の上では、その中に少なくとも一人は、異性ではなく同性が好きな奴がいるらしい」

「あ……あーあー! 確かにそんな話してた! そういうことかあ」


 優羽陽の迷いのなさは、視野の狭さと裏表なのだと思う。

 祈月が注意深い代わりに慎重になり過ぎるきらいがあるのと同じだ。


「やっぱり私、頭固いんだな。そういうこと、知識としては知ってても、咄嗟の時にちゃんと出て来ないっていうか」

「今日はまさしくだったな」

「そう! そうなんだよ。そうなんです」


 手を組み、俺の顔を覗き込んでくる優羽陽。

 組まれた手を見ると青月の魔法少女としての祈月を思い出す。ピンと活力のある優羽陽の手指に比べると、祈月の指はもっと繊細だった。


「だから今日は助かりました。到理さん、ビシッと言ってくれて。ありがとね」

「気にするな。魔物との戦いもネス憑きへの説得もお前たちにしかできない以上、少しでも負担を軽くしないとな」

「ホントに助かってるよ~。今日だって到理さんいなかったらやばかった、絶対」

「お前たち二人も大概極端なんだ。そういう意味では流星の魔法少女・・・・・・・はバランスが取れてて助かったんだが……」

星良せらねー」


 優羽陽は相槌を打ち、わずかに沈黙する。話の流れとはいえ、俺も軽率に出すべきでない名前を出して、静かに反省していた。



「ま!」


 が、そういう空気も長くは続かせないのが優羽陽だ。ばしんと俺の背を叩き、馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。


「引き続き頼みますよ、到理パイセンパイ!」

「誰がパイセンパイだ。お前も改善しろ」

「でも改善したらセンパイの仕事なくなっちゃうからな~」

「そりゃいい。そうしたら俺は本部で戦闘を見物しながら、お前が説得を上手くやるかしくじるかの賭けでも開いてよう」

「ひどっ! 怒るよ!」

「賭けにならないからか?」

「もっとひどい! ラジュンさんに叱られろ!」


『絶対に上手くやるから賭けにならない』という線はないのかよ、と苦笑しつつ、優羽陽のペシペシした連打を甘んじて受け入れる。

 冗談めかして話しはしたが、俺としても、優羽陽が賢くなって俺の助けがいらなくなるなら歓迎だし、それでも賭けの胴元なんてせず戦場に出るつもりだった。現場の手に余裕があったって困ることはない。



(……あるいは、最悪の事態に対する盾にでもなれれば、か)


 かつては優羽陽や祈月と共に戦い、一ヶ月前、『恐怖王』に砕かれた流星の魔法少女――幸坂こうさか星良せらのことを、俺は茫洋と思い出していた。



  ◆   ◆   ◆



 作戦を終えて対魔局へ帰投したら、現場に出た俺たちは入念な検査を受ける。

 身体も当然として、主となるのは霊能検査だ。現代日本の霊能技術では魔物にろくなダメージを与えられないが、検査行為に関してだけは、どうにかテクノロジーが追随できていた。

 霊力の乱れや極端な欠乏はないか。それに対応した身体や精神に関する異変はないか。そういった所をきっちりと診断・記録される。

 ありがたいとは思う反面、技術部も功績を作るために大変だな、という気持ちの方が強かった。



 検査を終えれば、戦闘要員の仕事はそれで終わり。この前とは違い、今日は戦闘までにウロウロと動き回ったので、訓練も行わない。

 シャワーを浴びた俺は、対魔局の展望室にいた。

 壁の一つと天井の半分ほどがガラス張りになっている、椅子がいくつかあるだけの、ほの暗く小ぢんまりした空間。検査を終えた俺たちは、ここで落ち合ってから解散することにしていた。

(……それも星良が決めたんだったな)


 幸坂星良。

 前のめりな優羽陽と遠慮がちな祈月の中間に立つ、バランス感覚と視野の広さに優れた少女だった。

 この取り決めだって、今思えば三人の魔法少女と俺がきちんと打ち解けるための策だったのだろうと思う。

(今日は妙に思い出すな。久々に会いに行くべきだろうか)

 どうせ何も得るもののない、感傷行為に過ぎないのだろうが……



「天道さん」


 透明感ある声に呼びかけられ、思案はぴたりと打ち切られた。祈月一人が展望室に入ってきた。シャワーの後の黒い髪は、まだ少し濡れ乱れていて常にも増して艶っぽく、烏の濡羽色という比喩表現を実感で理解させられる。

 祈月は椅子を一つ空けて俺の隣に座った。甘い匂いと、ほのかな湿気を伴う温かな気配。


(おッ、おお、おおぉ……)

 少しでも気を緩めれば、狂乱しかねなかった――もちろん、いつもこんな状況に追い込まれているわけではない。

 普段は隣に、優羽陽がいる。彼女があれこれ賑やかしくしていれば、俺も祈月に夢中になっている場合ではなくなるのだが。


「……祈月、一人なのか?」

「はい。優羽陽、何か技術部の方に頼まれごとをされていたみたいで……」

「一仕事終えた後にか。まったく技術部め……」

「戦ったあとじゃないと駄目な内容なんですって。そんなに時間はかからないみたいですけど」


 そうか、と返し、会話は止まった。

 薄ぼんやりとした照明の展望室。日の沈んだ空に、数えられる程度の星が瞬いている。

 地球から視認できるいわゆる星というのは、はるか彼方の恒星だということは理解している。だがその控えめな光からは、星良でも優羽陽でもなく、祈月を連想させられた。



 祈月と二人で話すこと、それ自体はそこまで珍しくはないが……

(……やはり……展望室で祈月と二人きりになるのは……初めてだ!!)

 記憶野を掘り返し尽くし、俺はそう結論づける。

 シャワーを浴びたばかりの祈月と、展望室で二人きり。その上今日は、私服だ。彼女の控えめな愛らしさを失わないまま、少し大人びた恰好で。

(何だ、なんっ……何……なんと……なんってことだ…………!!)

 さりげない動作で俺は顔に手をやる。表情筋が不本意な挙動を取っていないか不安でならなかった。



 沈黙はしばし続いた。

 別に俺は永遠にそうでも良かった。祈月の微かな香りと気配で頭蓋の内側を満杯にしたい気分だった。

 しかし、別に無理に黙っていることもない。少し気持ちが落ち着くと、今日のことで訊きたいことがいくらか出てきた。



「「今日……」」


 祈月を振り向きながら口を開くと、声が重なった。

「あっ……」

 同じように俺へ顔を向けていた祈月の、その黒目がちな眼は驚きに丸くなり、それから恥じ入るように口元に手を運び、視線を横に落とした。

 時間にして数秒。あまりにも可憐な所作に、俺は脳がねじ切れるかと錯覚した。


「すみません、先、どうぞ……天道さん」

「……ああ」


 荒ぶる心拍を押さえ込むように深呼吸をし、話し始める。



「今日、どうだった」

「どう、というのは……」

「太綱神社。見て回っただろう、一緒に。……見ているドラマの、なんというか。聖地、だったんだろう?」

「聖地……そうですね、聖地でした」


 はにかむ祈月。


「楽しかったです。ああいうの、予定がないと足を運ぶまではなかなか、ですから。ちょっと、恥ずかしいこともありましたけど……」

「ベンチのな」

「ええ、ベンチのです。……言わないでください。思い出してまた恥ずかしくなってきちゃった」


(また祈月のタメ口だ……!)

 胸中で歓呼する俺。当然、今の会話は録音中だ。寮に帰った後の編集が楽しみだった。


「池沿いの道はドラマのままでドキドキしましたし、あとあの、南京錠」

 作戦中に立ち寄ったスポットの一つだ。恋人同士のイニシャルを記した南京錠をフェンスにかけると、その関係が長く続くのだという。

「ドラマの中では、結局二人は錠をかけられなかったんですけど……本当にたくさんの錠がかかってて、なんだか……良かったです」

「良かったのか」

「はい」


 祈月は胸に手を当て、目を閉じる。フェンスにいくつもの南京錠がかけられている光景を思い出しているようだった。


「あんなにたくさん、願いがある……好きな人とずっと一緒にいたい、っていう色々な人の気持ちが目に見えるみたいで、素敵だなって」

「気持ちが目に見える……か」

「あっ……い、今のはドラマのセリフではないですっ! これは……私が感じただけで」

「いや。瑞々しい、良い感性だと思う」

「みずっ……考えてみたら、そっちの方が恥ずかしいですかね? 恥ずかしい気がするな……やっぱりドラマの台詞だったことに、なんて……あはは」


 身を縮こまらせる祈月。慌ただしく髪の水気を拭う指先が、薄暗さの中でやけに目立っていた。

 白黒の小鳥が戯れ合うようなその様は、しかし次第に収まっていってしまう。



「今日の、二人は……どうだったんでしょうか」

「何がだ」

「…………錠、かけたかったんでしょうか」


 下ろした手を組み、指を交互に重ねる。何かに祈るようだった。


「別れてしまったけど、本当は……二人で錠をかけたかったんでしょうか」

そっち女カップルの方か)


 別れた、という言葉からようやく話の肝要を特定できた俺は、スマホをバッグから取り出す。


「錠をかけるという行為が、恋愛関係が長く続いて欲しい、ということを暗示しているのであれば、そうであるはずだ」

「……天道さん、女の人同士のそういう関係って、不思議に思わないんですか?」

「今どき、そういうものがあることは理解している。自治体単位でそういったものに公的に対応するというニュースもよく聞くしな」

「そっか……何だか少しだけ、意外です。天道さん、古風だから。言葉とか」

「堅苦しいのは同年代との交友機会がなかったからだ。……それと」


 手元の端末で、対魔局のファイルサーバーを開く。


「分かるぞ」

「何がですか?」

「ネス憑きの若槻夏季と、狙われていた江口舞乃との詳しい関係性だろう。本人からの聴取情報であれば、俺の権限で閲覧可能だ」



 ネス憑きの憑依・行動パターンの研究のため、対魔局はネス憑きやその重要な関係者からの情報収集を詳細に行っている。

 無論、個人情報の提供ということになるため本人たちの任意によるものになるが、魔物の脅威は首都圏であればよく知られており、そのために必要とあれば、皆そこそこ協力的になるものだ。


 そしてそのことに彼女たちが今まで興味を持たなかったのも、無理はない。

 少なくとも『恐怖王』が倒れるまで、ネス憑きにまつわる事情はもっとシンプルだった。以前のネス憑きたちは皆、内心の様々な『恐怖』を煽られて体内で魔物を育て、その対象を排除すべく動いたものだ。

 今日のように人間関係の摩擦が原因になるケースは、まだ少ない。


(……考えてみれば、伝えてはいなかったな)

 内規に触れたりしないかと念のため記憶を洗うが、このことを魔法少女に話すことについて、特に禁じられたりはしていなかったはずだ。



 が、祈月にとってその事実は、あまりに想定外だったようだ。慎重に確かめるような声色で、俺に問う。

「本……当、ですか?」

「ああ。付き合い始めて別れて、今日に至るまで。全部分かっている」

 目だけを祈月に向けると、彼女は目を丸くして俺を……いや、俺の手の中の端末を、食い入るように見ていた。



『両女性は大学で知り合い、交際歴は9年』

『先日病に倒れた江口舞乃の母親が、孫を見たがった』

『両女性の破談そのものは、話し合いによる円満なものであった』

『江口舞乃と共にいた男性は、見合いの相手だった』


 画面を見下ろせば、おそらく祈月が求める情報が、当然のように映っている。

 対する祈月は、まるで禁断の知識が唐突に目の前に現れたかのような、驚きと興奮、そして困惑の入り混じった表情をしていた。そのギャップに、俺は妙に緊張させられる。


 おそらく、だからそんなことを聞いてしまったのだろう。


「……理由を」

 あるいは、今日一日で祈月との距離が縮み、欲が顔を覗かせたのだろうか?

「確認しておきたい。個人情報だからな」


 祈月がそんなことを気にする訳を知りたいという欲。

 祈月のことをもっと知りたいという強欲。



「理由……ですか。そのひとたちのことについて、訊きたい理由……」

「興味本位で、というわけでもないだろう。祈月なら」

「付き合い始めて別れて、ってさっき言いましたよね?」

「ああ、判明している」

「……それを、わたしが知りたい理由……」


 思案するように俯いた祈月を、俺は固唾を呑んで見つめる。

(……訊くべきでもなかったか?)

 少しの沈黙を経て、垂れた前髪の向こうで薄い唇が開いた瞬間、背筋の辺りがぞくりとした。


「わたし、天道さんのことを信じています」

 それは、やや唐突な言葉にも思えた。

「だから理由も話します。でもこのこと、誰にも話さないでください」

「優羽陽にもか?」

「優羽陽にも、絶対にです」


 心臓が高鳴る。

 優越感だ。あんなに仲が良い優羽陽にすら知らせられない、祈月の秘密が俺に明かされようとしていることへの。

 きっとそのせいで、直前に感じたイヤな予感なんて忘れ去ってしまって、功を急くように頷いた。




  ――誰にだって秘密がある。




「…………わたしも」


 深く俯いた祈月の声は、今にも消え入りそうなくらいに細かった。

 それでも、その言葉を聞き取ることだけはできた。


「そう……だからです」

「……え?」


 祈月は顔を上げる。

 今までに見たことがないくらいに頬を赤くして、唇は困り果てたように曲がっていて。


「わたしも、そうだからです」


 しかしその眼差しは、いっそ挑みかかるように、まっすぐ俺を見ていた。


「友情ではなく、恋愛感情という意味で――」



『優羽陽。高校のクラスに生徒は何人いる?』

 数時間前、優羽陽に言った自分の言葉が刹那に去来する。

『統計の上では、その中に少なくとも一人は、異性ではなく同性が好きな奴がいるらしい』




「優羽陽のことが好きだからです」




 俺はこの時初めて、愛の告白というものを見た。

 狂おしく恋しい少女から、自分以外の相手へ向けられた、秘密の告白を。

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