4.星と人の境界

4-1

 指令室で、花織子さんと対峙している。

 俺は机の上に立ち、一跳躍で距離を詰められる。一方の花織子さんは拳銃を持っている。先ほどとは違いしっかりと俺に狙いを定めていて、動き出しに引き金を引かれればまず回避はできない。


(取り押さえるなら負傷覚悟だ)


 俺もこの場において大した選択肢を持ち合わせてはいなかった。できることも、すべきことも少ない。

 祈月や優羽陽に比べ、俺の影響力なんて大したものではないのだ。

 突如として力を手に入れた二人の魔法少女。彼女たちに比べれば、俺の力のおよぶ範囲など――



「……ふふ」

「どうしたの、笑って」

「また嫉妬しそうになっていた」

 笑う俺に対し、花織子さんは不服そうだ。

「どうして君はそんなに余裕そうなのかな……」

「さあ」


 俺の中にもその答えはない。

 どれほど嫉妬しようと、祈月への気持ちが上回るのか。あるいは嫉妬の果てに知らされた優羽陽の真実が、その気持ちを押さえているのか。

(単に慣れたのか。あるいは嫉妬で暴走した先で惨敗したことを覚えているからか)


 希望ある想像も、自嘲めいた憶測も、この場ではあまり意味はなかった。

 確かなのは、俺が比較的冷静に、花織子さんと対峙できていることだ。



 冷たい床に転がされたままの局長を、呻くラジュンさんを、俺を見上げるエリさんマエさんを思う。

(こんなことをして、状況にそこまで影響するとは思えない。だが、意味はあるだろう)


「花織子さん」

 俺は魔法少女ではない。対話によってネス憑きを助けることは難しい。

 だが、それが無意味とは限らない。


「話を、しないか」

 何より、俺がそうしたかった。



  ◆   ◆   ◆



「うわっ」

 対魔局のアプリを開いて、私は思わず声を漏らした。

「反応あるよ! 魔物の反応! 通知来てなかったのに……!」


「わたしの方もだ……通知切ってたっけ?」

 祈月は首を傾げていたが、その真偽を確かめる余裕はなかった。

 確かなのは、到理さんの危惧通り、何かが起こっているということだ。


「行こう、祈月」

「うん。どっちに?」

「魔物の方!」



 アスファルトを蹴り、高く跳躍する。

 星の輝く夜の空と、人のいとなみが灯る街の明るさ。

 その狭間は、魔法少女だけの世界だ。



「……天道さん、大丈夫かな」

 建物の屋根を跳び伝いながら、魔力反応のもとへ直進する。

「到理さんならなんでも何とかしちゃうと思うけど」

「うん……でもこんなの、初めてだから」

「そうだけど、ほら、スパイ映画みたいなこともやってたし……なんか何とかしちゃいそうじゃない?」

「うーん……」


 私が明るく言っても、祈月はまだ心配しているようだった。

(たぶん、祈月の方が自然なんだろうな)

 恐怖をなくしてしまった私には感じられないものを、祈月は感じているのだろう。私の代わりに、恐怖をしてくれている。

 それはありがたくもあり、羨ましくもあった。


「……もしかして」

 なので、ついからかってしまう。

「祈月最近、到理さんのこと気になってる?」

「気になってるって、え……えっ!? そ、そんなことないよ!?」


 あわあわと慌てだす祈月。その可愛らしい表情に、勝手に口角がにやついてしまう。

「ええー、怪しいなぁ」

「怪しくないっ! 別に天道さんは、そういうんじゃないし……」

「そういうってどういう~?」

「だから、それは、その……もう、優羽陽……!」



「あははっ! 怒った怒った!」

 祈月の反論を受けると、私はなんだか楽しくなってしまう。

 出会った時から、大人しくて、内面に強いものを秘めている女の子。

 なのにそれを表に出すのが苦手で、だからこそ、引き出されたそれはいっそう強く光って見える。


(祈月には、その内側にあるもの、いつだって出していて欲しいな……)

 夜景と星空の狭間を滑りながら思う。

(私はいずれ、全部を失っていくかもしれないから)



  ◆   ◆   ◆



「話」

 花織子さんは唇の片端を吊り上げ、不機嫌に笑った。

「私を説得でもしようって言うの? それとも隙作り?」


「俺は、花織子さんが」

 花織子さんの言葉には応えなかった。俺のしたい話を続けるべきだと思った。

「嫉妬なんてするとは思わなかった」


「何を言ったって無駄よ」

「なんというか、俺にとって花織子さんは、もっと強固な人で……」

「ラジュンさんが回復するまで、私は到理くんを釘付けにしていれば良い……」

「揺るがない、安心して全部を任せられる人だと思っていた」

「…………」

「戸籍上の姉ではあるが、多分本当に、姉か、あるいは母親のように……」



「……母親ってほどの歳じゃないでしょ」

 花織子さんは思ったよりもあっさり折れた。

「私は24歳。6歳で子どもは産めない」

「世界で一番若い母親は5歳とかではなかったか?」

「あれは前例も後例もない希少ケースだし、私もそういう話をしたいんじゃないの」

「俺も年齢の話はしていない」


 わずかに花織子さんが口ごもった。言葉を重ねる。

「つまり、そこにいて当たり前な存在というか……前提というか……」

「そんな訳ないじゃない」

「そうだな。そんな訳がない。でも俺は、それくらいに思っていて……だからそれを、申し訳なく思う」


「それで?」

 花織子さんの銃口は揺るがない。

「申し訳ないなら、このまま撃たれてくれる?」

「そうはいかないが……」

 首を振り、しかし俺は続ける。こういう時、優羽陽はどう説得していたかを思い出しながら。



「まずは花織子さんのことを考えたんだ。結局、何へそんなに嫉妬しているのか」

「……君が、私のことを」

「ああ。対魔局の局員がそうであるように、魔法少女を目障りに思う気持ちは、まず分かる。何一つ労苦もなく、あれだけの力を振るう、祈月や優羽陽のことを」

「ふん……」

「花織子さんは『計画』で自分自身そうだし……他にいろんな奴が、いろんな苦しみを負ってる所を見てきたから、それも尚更だろう」

「…………」

「だから、二人を排除しようとした」


 返事はなく、花織子さんはただ冷えた視線を俺に向けていた。

「でも、それだけじゃなく」

 俺は続ける。

「さっき見て思いついたんだが、花織子さんはあの探査システムも疎ましく思ってたんじゃないか?」

「……システムを、私が?」

「ああ」

 頷く。花織子さんの霊能が霊体の探査に特化していることは俺もよく知っていた。

「もっと言うなら、対魔局という組織そのものだ。だから、魔法少女の排除に対魔局を巻き込んで、システムも止めて……その信用性を失墜させる真似をした」



「それを知ってどうするの」

 花織子さんの声色が荒む。

「私の嫉妬を理解して? ……私がこの銃を下ろすと思ってるの?」

「後のことは後のことだ」

 銃口を見ながらも、俺は冷静に話すよう努めた。

 花織子さんも、むやみに引き金を引くような人じゃない。そう信じている。


「ただ、正しく理解したい」

 そして、これは紛れもなく本音だった。

「正しい理解を経なければ、どうにかなることもどうにもならないだろう」


「どうにかなるって? 何が? ……私の感情がどうにかなるって言うの?」

 花織子さんは鼻で笑う。

「その正しさで妬み嫉みが消えるなんて、本当に思ってるの?」


「いや……消えないと思う」

「そうよね。到理くんはよく分かってるはず」

「ああ。俺は今も優羽陽が妬ましい」

 わずかに、固唾を呑んで様相を見守る他の局員を見た。

 だがここで言葉を弄しても仕方あるまい。

「今だって俺は変わらず祈月が好きだし、その隣りにいる優羽陽のことがずっと妬ましい。魔物を倒す力も、祈月も、優羽陽は独占している」


 エリさんは眉をひそめ、マエさんは口を押さえる。

(持っていけ。俺の初恋の相手くらい)

 祈月の秘密にまで及ばなければ、安い必要経費だ。


「なら……」

「それでも」

 俺は花織子さんの言葉を押しのけた。

「あれから優羽陽のことをもっと知って、祈月のことをもっと知った。花織子さんの言う通りだ。確かに嫉妬は消えちゃくれない」

 今も変わらない。つい先刻胸の中に押し込まれたネスが、俺の脳の嫉妬を煽り続けているのを感じる。

「だが、それによる凶行を躊躇うことはできる」


「良い子の理論ね。それを越えて衝動に走らせるのがネスじゃない」

「それでも俺は、昨晩優羽陽を仕留め損なった」

 俺は笑みを浮かべたが、自嘲めいていたかもしれない。

「あの時も結局、祈月のことを思い出して俺は手を止めた。どんなに駆り立てられていても、ブレーキがあったら一線は越えられないんだ」

「……『恐怖王』の時は誰も抵抗できなかったけれど?」

「話をずらすなよ。俺は今の話をしてるんだ。一般論なんて知ったことか」



 花織子さんが拳銃を握り直した。汗をかいているのだろう。

「そうだとしても、私がブレーキをかけられることを望むと思う?」

「望まないのか」

「『嫡主』と結託して、局を巻き込んで、ここまでのことをして。今さら手を止められるわけがないでしょ」

 その眼は頑なな意志を感じさせる。しかし潤んでいるようにも見えた。

「行くしかないの。行く所まで。行ける所まで」

「優羽陽と祈月はきっと魔物に勝って、ここだって取り返すぞ。今やめるのと、その時を待つのと、そんなに結果が変わるか?」


「その前にあなたを撃てる」

 呟いた花織子さんの手が震える。そして、




「あなたを妬んでた!!」


 叫び。

 それが目の前の花織子さんから俺に向けられたものと、俺は一瞬気付けなかった。


「魔法少女もそう! 対魔局もそう! 私の存在意義を奪った! それは許せない! 耐えられない!」

 聞いたことのない花織子さんの激高は、いつもの落ち着き払ったものとは打って変わって、少女のようだった。


「でもそんなことはいいの……良くないけどっ……!」

 震える声を発する唇は歪み、眼尻から涙が落ちる。

「それはっ、結局全部、環境で……どうしようもないものだから……! 『感生計画』の被験体になったことと同じで……」


 だけど、と悲鳴のような言葉は続いていく。

「でも本当に耐えられないのは……到理くん。あなたよ」

「……俺が?」

「同じ環境にいたはずのあなたは……どんどん変わっていった。好きな人を見つけて、悩んで……成長して」

 涙混じりの笑みを浮かべる花織子さん。息はすっかり上がっていて、苦しげにも見えた。

「私があんな非常識なことを始めたのも、いつかあなたがそれで自滅してくれるんじゃないかと思ったから。ぽろっと漏らしたりしてね。だけど、あなたはどんどん前向きに成長していって……」

(非常識なこと……訓練室のことか)

「どんどんっ……普通の人に近付いていく。私以上に……私を置いて……私とっ、同じ環境にいたのに……」


「それが、一番大きな……花織子さんの、嫉妬なのか?」

「そうよ? 『嫡主』から力を借りて、対魔局を、魔法少女を倒すついでに……到理くんを一番傷つけたかった」

 涙を拭うため、拳銃から片手が離れた。だが、俺は動こうとは思わなかった。

「到理くんの中のネスが暴走して、到理くん自身が魔法少女を傷つけて……それがきっかけになって、最後には対魔局がバラバラになってほしかった」



「そんなに、俺を……」

 夢にも思わなかった。

 花織子さんにまつわる俺の中の一番古い記憶は、『計画』で泣いていた俺を抱きしめてくれた時のものだ。

 あの柔らかさと温かさが、俺にとっての花織子さんの一番大きなところで、まさかこれほどの攻撃的な感情が俺に向けられているとは。


(……だが……今、それを知れたんだ)

 そのことを最大の幸運と思うべきだろう。

 優羽陽の説得を思い出す。正しく相手を知って、ようやく相手を止める言葉をかけられる。

(俺は魔法少女じゃない……口から出る言葉に魔力なんてないし、ネスを滅ぼすこともできないだろう)

 だが、そうでなくとも、彼女の凶行を止めることはできる。

(できると信じたい)



 静かに、深く呼吸をする。俺に動きがあったと見たか、花織子さんは拳銃を握り直した。その照準は、もうすっかりブレ続けているのに。


「……俺が……成長したのは、花織子さんのおかげだ」

 話しながら思い出すのは、祈月の言葉だ。『毎日当たり前みたいに支えてくれてる人にこそ、ありがとうって言うべきですよ』。

「今だって、花織子さんはいつだって俺を思いやって……支えてくれただろう」

「……拳銃を向けてる相手に言う言葉?」

「今この瞬間だってそうだ」



 わずかに息を吸う。覚悟を決める。

「だって、訓練室のことをボカしただろ」

「……っ……」

「アラームのこともそうだ。俺を本当に傷つけたいなら……」

 花織子さんは息を呑んだ。まさか、という顔だ。

「俺が祈月を好きな余り、勝手に音声をコレクションして、勝手に撮った写真を貼りまくった部屋にこもっていることを、まさにこの場で明かしてやればよかったじゃないか」


「えっ!?」

「……何? 何の話?」

 口ごもる花織子さんの横でマエさんとエリさんが明らかに動揺するが、俺は意に介さない。

 口止めなら後でできる。説得は今しかできない。それだけのことだ。


「それは、別に……本筋じゃなかったから……」

「だとしても気遣って避ける理由にもならないだろう。今この瞬間すら、俺を思いやってくれていた」

「知らないし……っ」

「じゃあ、無意識の内にってわけだ」



 俺は一歩あゆみ寄った。花織子さんは引き金を引かない。だからそのまま、頭を下げる。

「ありがとう」

「…………」

「感謝してる。俺の生活を支えてくれたことも、俺の心を思いやってくれたことも……いつか抱きしめてくれたことも、全部」

「……っ、何よ、そんなの……」



 彼女は一歩後ずさって。


「ずるい……」

 その指を、引き金から離した。



  ◆   ◆   ◆



 空が、紫に澱んでいる。


滅紫けしむらさき』という名前の色が近いらしい。

 この『滅』は、いわゆる『滅び』の意味ではなく、色あせたとか、そういう意味であるようだが。

 私にとっては、滅びの紫だった。だって私は、『恐怖王』を知っている。


(もし私が、あの時恐怖を捨て去らなければ、きっとこの世界は滅びていた)

 際限もなければ理屈もない、無限に広がり、人々を飲み込む恐怖。

 それに心を破壊し尽くされていたのだ。星良のように、きっと全ての人々がそうなっていた。

(私は、それを止めたい。……それだけでいい・・・・・・・



 私は祈月と並び、魔界の穴の下に到達した。

 そこに、人らしき影が立っていた。空と同じ、澱んだ紫の人影。

 青白い肌に、暗い眼。それは『恐怖王』を彷彿とさせたが、少し違った。容姿は女性めいていて、

「……魔法少女か」

 その声もまた、辛うじて女性のものに思えた。


「はじめまして。太陽の魔法少女……青月の魔法少女」

 彼女は、恭しく頭を下げる。

「私は『嫉妬の嫡主ロード』という。この場に置いては『嫡主ロード』とだけお呼びしてほしい」

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