4-2
ビルの屋上である。
『恐怖王』と同じ、ローブのような人影の装いの裾が、強めの夜風に揺れていた。
「
「まだ馴染みの浅い言葉だったかな。こちらの言葉では王を意味するようだが」
「……道じゃなくって?」
「そっちじゃない方。ロードはロードでも、えっと、ロードオブザリングの方の……」
「ん? あれも『指輪を返す道』みたいな意味じゃないの?」
「ゆ、優羽陽……」
いつもの通り、私は難しいことは分からない。
それでも目の前の相手が普通の魔物とは異なり……『恐怖王』のような奴だということは理解できる。
知性があって、言葉を話し……何か、嫌な気配を発している。
(『恐怖王』に比べれば、全然弱い。目の前に立っても、私は平気だし……)
少し後ろの祈月を見る。こっちも大丈夫そうだ。
「大したことがない、と思われているかな」
嫡主の口ぶりは穏やかだった。青白い肌と同じく血色のない唇は、しかし笑みすら浮かべているように見える。
「事実、大した力はないのだよ。先日、そちらで討たれた『恐怖王』に比べれば……というより、彼は規格外だったのだ。私すら、彼は恐ろしかった」
ぶるぶると演技っぽく肩を震わせる嫡主。
「我々の世界、魔界においても彼は絶対的な君臨者だった。あらゆる権利は彼が握り、割り振り、我ら嫡主は生きるも死ぬも彼次第……」
「……何が言いたいんですか?」
「感謝をしたいと思っているのだ」
「感謝……?」
信じがたい言葉に、何か含みがないかを疑った。感謝。あの魔界の穴の向こうの存在から、感謝なんてものが向けられることがあるなんて。
「君たち魔法少女の手により恐怖王が除かれて、救われたのはこの世界だけではない。我らの世界も同じなのだ。感謝しているよ」
「そ、それはどうも……?」
まったく想定していない話の展開に、私は要領を得ない返事しかできない。
魔界の向こうから来る相手と、まさか戦う以外の選択肢があるとは思わなかった。困惑は祈月も同じようだったが、先にきちんと対応をできたのは、やっぱり祈月だった。
「……だったら、魔物を送り込むのを止めてくれませんか?」
おお、と思った。たしかに、感謝はしているがそれはそれとして魔物を送り込み続けるぞというのは話がおかしい。
祈月の言葉に、嫡主もゆっくり頷いた。
「その通りだ。君の意見は妥当だよ。青月の魔法少女。私もそうするべきだと思っている」
「えっ、そうなんだ」
「そうだとも。ただ、『恐怖王』を失った我々は統率を欠いていて……」
さらに嫡主が何か話そうとしたその時だ。
『天道だ』
イヤホンに到理くんの声が届いた。
「あ、到理さん……! そっちは大丈夫だったの?」
『事情はあとで説明する。そちらの状況はどうだ?』
「ええと……今、嫡主という人が目の前にいます」
祈月も耳に手を当てて応じた。喋り続けていた嫡主は、押し黙って私たちの様子を伺っている。
『こちらからも魔力反応は確認できている。交戦している訳ではないんだな?』
「うん。なんか……戦わずに済みそうみたいな……」
私が、話の流れから感じたままのことを言うと、到理さんは静かに息を吐いた。
『分かった。一回しか言わないぞ』
そして、こう断言する。
『そいつが言っているのは、全部デタラメだ』
◆ ◆ ◆
『デタラメっ……!?』
「色々あって、魔界のかなり正確な実態について知ることができた」
それは言うまでもなく花織子さんからの情報なのだが、わざわざ名前を出すこともあるまい。
俺は花織子さんから聞いた話をほぼそのまま伝えながら、対魔局の廊下を進む。
「奴らは恐怖とか、嫉妬とか、俺たちの命をそういうものに変換して摂取して生きている。それは俺たちが肉や野菜を食うのと同じような感覚だ」
『うっ、うん……』
「どんな前提があろうと、奴らが根こそぎ俺たちを食おうとしていることには変わらない。ネスを送り込んで、魔物を送り込んでくる。俺たちが負けるまで」
『……はい』
「何か物分かりの良いようなことを言っているのだとしたら、それは二人に、感情を増幅させる力が効かないからというだけだ」
『あ~』
優羽陽は俺の言葉に得心したように頷いた。祈月は恐らく、元々そういった雰囲気を感じ取っていたのだろう。
少し気が早いかと思ったが、通信を入れたのは正解だったようだ。
「話に応じる必要はない。皆を守るために全部ぶっ倒せ。局長のお墨付きだ」
『オッケオッケ! ぶっ倒すね!』
『了解です。ぶっ倒します』
「よし。通信終わり」
(今の祈月の『ぶっ倒します』、相当レアだったよな……)
少しだけ勿体ない心地になりつつも、俺は兵器庫にたどり着いた。
昨晩の優羽陽との交戦のせいで消耗は激しいが、まだまだ使える品は残っている。アーマージャケットを着込み、拳銃は口径がワンサイズ大きいもの。口径に合った退魔弾。手榴弾。発煙筒。ナイフ。
そんな準備をしながら、花織子さんが俺たちからネスを取り除いたあとの話を思い返す。
『私が対魔局をコントロールして、二人を寮で休ませる手筈が整ったら……後詰めで魔物が来ることになってた』
花織子さんは俺と目を合わせてくれなかったが、口調ははっきりと迷いなく、嘘を吐いているようにも思えなかった。
『つまり、嫡主は魔物を準備している。しかも、魔法少女を絶対に倒すための』
『その嫡主さんは、どんくらい考えた動くタイプなん?』
取り急ぎ口からテープだけ剥がした局長が口を出す。花織子さんは難しい顔をした。
『かなり……慎重だと思います。今日の流れは、ほぼ全部嫡主の案です。その……最初は私が、何か理由をつけて二人の魔法少女を寮に招待する、という流れを想定していた所に、色々注文がついてこうなった感じなので……』
『確かにそれはマジっぽいなぁ』
気まずそうにする花織子さんに対し、局長はまったくいつものペースを崩していなかった。拘束されていることを忘れているのではないかとすら思えた。
『到理くん、まだ動ける?』
『問題ないです』
『ん。じゃあいつも通り、二人を助けに行ってあげて』
『はい』
元よりそのつもりだった俺は、足早に指令室を後にする。
花織子さんは何か言おうとしたが、結局具体的な言葉にならなかったようで、
『……いってらっしゃい』
『行ってきます』
いつもの朝のやり取りだけを交わした。
一通りの準備を済ませ、車庫へと向かう。
(大型ライフルなんかも惹かれたが……機動力重視だ)
どれだけものものしい装備をしても、魔物への主戦力は魔法少女なのだ。俺は背後から状況を見つつ、要所でちょっかいを出す。
(いつも通りにやればいい)
バイクにまたがった直後、イヤホンから局長の声が飛び込んできた。
『魔界の穴、開くよ~……うぇっ!?』
「何です?」
『一気に三個来た! 全部から魔物とネスが出てきおる!』
「……それは、また」
数秒前までの俺の手ぬるい思考に、つい苦笑してしまう。
「いつも通りには行かないな」
◆ ◆ ◆
私たちの攻撃を後方に避け、嫡主はくつくつと笑った。
「対魔局からの入れ知恵かな? やれやれ……我が使徒は完全に失敗したか」
「
手足を魔力の光が覆う。そこに、祈月が光の板を差し出してくれる。
「行って!」
淡い光を踏み台に跳躍する。空中で更に光の板を蹴飛ばして、加速。
「ぶっ倒す!」
相手が人型であっても、躊躇は薄い。同じ人間を傷つけることに関して、道義に外れることの恐怖が私にはないからだ。
一撃、その胸を殴り抜く軌道で拳を振りかぶり――
ギイィ……ン!
金属をぶつけ合わせたような、甲高い音と共に、それは制止された。
「……!」
「驚いているな」
魔力を纏った私の拳は、嫡主の直前、紫に澱んだ障壁で止められていた。
「『恐怖王』はこんなことをしなかっただろう?」
「く……っ」
「『恐怖王』が小細工を弄さなかったのは、彼が絶対的に強かったからだ。我々はそうではないし、そうではない我々だからこそ、いくらでも小細工を弄する」
「ぐ……ぅらッ!!」
思い切り力を込めて、その障壁を突き破った。だがその瞬間には、嫡主はやはり後退し、屋上フェンスの上に着地している。
「たああ――ッ!!」
一直線に距離を詰める。応じるように嫡主が左手を差し出すと、そこから発生した障壁にまたしても私の拳は止められる……のみならず。
「たとえばこんな具合だ」
もう片手を頭上に掲げた。そこに障壁と同じような色の円が生まれ、そして同様の色の球が上方へと放たれる。
(ネスっ……じゃないな!)
視野を確保するために嫡主から離れると、球体は二、三秒浮揚した後、私のもとへ落ちてきた。
「
背後から祈月の声。薄い光の板がその進路を阻むと、球体は跳ねるような動きで空中へと戻る。
自分の頬が緩むのを感じた。
「なんっ……かすごい……魔法少女バトル! って感じじゃない!?」
「またのんきなこと言ってっ……!」
「魔法少女って、この恰好だけ見て星良が言い出したやつだったから、こういう感じになるとだいぶ感慨深いよ!」
話しながら、祈月に止められた球体を殴り抜く。私が接触する直前に何か動きを見せたが、正面から攻撃すれば何の問題ない。
そして改めて、フェンスから屋上へ降りてきた嫡主を視野の中心に捉える。
「さ、次は何!?」
「ふむ……さすがに『恐怖王』を破った恐れ知らずということか」
嫡主は腕を組み、私を見て目を細めていた。
「だが、そろそろ期待に応えられる……ここで一つ、魔界についての知識を君に教えよう」
「そんなものっ……!」
到理さんに話を聞くなと言われた以上、それに付き合う理由はない。私は再び殴りかかり、やはり障壁に止められる。
「魔界の穴を抜けることができるのは『意志あるもの』だけとされている。ネスにすら最低限の意志がある」
「くっ……ぐぐ……
「なので、こちらから信号を送ったりといったこともできないのだ。ネスによる伝令も……ぬ?」
「……
叫ぶと同時、拳から光が溢れた。ガキン、バキンと音を立てて障壁が一息に砕け、
「ガファッ!?」
嫡主の胴へ打撃が届いた。彼女は吹き飛び、フェンスに激突する。
「ぐ、おお……今のはっ、何をっ……ゴフッ」
「バトルだったら新技も生えるッ!」
腕を構え直す私だったが、そこには骨折したかのような強い痛みがあった。明らかに強力な……今までの経験では有り得ない攻撃力が出たと思ったが、そのぶんの反動も受けていたようだ。
(多分……私の身体がケガするほどの動きをするやつ……!)
(昨日記憶が抜けてるタイミングで、よっぽど魔力を使っちゃったっぽいな……)
「優羽陽っ……大丈夫?」
「イケるイケる!」
とはいえ、祈月の心配に対する返事は空元気ではない。
今の一撃を嫡主は防げなかった。攻撃は通用する。このまま続ければ良いだけだ。
私の魔力と、嫡主の余力の競争。根拠はないが、あまり負ける気はしない。
そう思っている最中だった。
『魔界の穴、開くよ~……うぇっ!? 一気に三個来た! 全部から魔物とネスが出てきおる!』
イヤホンからの局長の言葉と同時、空が澱んだ。祈月が見上げる。
「……ここからも見えるね。ちょうどここを中心に、同じくらい離れた三箇所……」
「ゲホッ、ゲホ……そういう、ゲホッ、ことだ」
嫡主は震えながらも立ち上がり、私たちを見てなんとか笑った。
「時間稼ぎだ。お前たちと話をしたのも、ゴホッ、一芸見せてやったのも、すべて……この定刻を……グフ、ゲハッ」
とりあえずこっちは放って置いて良さそうなので、局長からの通信に集中する。
『今の君らから見て東、西、北に穴がある! そこまではいい?』
「大丈夫です。続けてください」
私は分からなかったが、祈月が分かるようなので任せることにする。
『どこもそこそこ街なんやけど、一番いかんのは西! 住宅街やし……エリさんもそこが一番まずいって言うとるから!』
「どういうふうに動けば良い?」
『優羽陽ちゃんが西に行って! 祈月ちゃんが東! 北は局で対応してみる。ラジュンくん、ちんちん痛いの治った?』
「ちんっ……!?」
「なっえ……何があったんですか!?」
『いやちょっと到理くんが……大丈夫? ラジュンくんちんちん元気になったん?』
『連呼することはないでしょう!?』
(あ、到理さんだ)
横から割り込んできた天道さんの声に、少し安堵する。
『あっ、到理くん。もー、いくら大変だったからってちん……』
『それは良いですから!! ……俺は北の穴に向かいます! 俺一人ではキツいでしょうので支援頼みます!』
『うん。そっちダダさんもおるから。なんとかなるやろ。よろしくね』
「あの、嫡主はどうしますか?」
『あー……』
祈月が尋ねると局長は少し考えたが、ほどなく答えを出した。
『できれば倒して。でも逃げるなら放置でええよ。魔力、だいぶなくなっとるし』
「い……いいんですか? 放って置いて」
『良くないけど。一般人に被害出す度で言えば魔物の方がでっかいから。どうせ反応は追えるし、なんか変な動きしたったらすぐに伝えるね』
横目で嫡主を見る。彼女は息も絶え絶えという様相だったが、それでも立ち上がって身構えていた。
「分かりました」
私は短く言うと、すぐに足元を蹴る。
距離が詰まるのは一息だ。そこから先ほどのように拳を撃ち込む。やはり障壁が防ぐ。やはり先ほどと同じように、それを突き破……
(らない)
「ぐはっ!?」
嫡主は障壁を維持したまま何かしようとしてきたが、私の攻撃の方がそれよりも早い……特別なことをした訳ではない。正面の殴打を障壁で防がせてから、その反動も利用して障壁のない横から蹴り抜いただけである。
(小細工小細工って言ったって、基本的な運動で負けなきゃね)
よろめいた身体を掴み、フェンスへ押し付ける。倒し方は魔物と同じだ。こうやって動けないようにして、拳を抉り込み続ける。
「っぐううぅぅう……!!」
触れた所から彼らの魔力は失われ続ける。星良や祈月ならもうちょっとそれっぽく倒せるのだが、あいにく私はこうするしかない。
「それじゃ、お疲れ様……っうわ!?」
あと数秒という所で、嫡主の身体が大きく後ろに倒れ込んだ。とっさに身を引くと、彼女はそのまま落下していく。見ればフェンスのその部分には、大きな穴が開いていた。
(今の攻撃受けながらそんなことしてたんだ……気付かなかったな)
一応下を覗き込んだが、嫡主の姿は見えなかった。となれば、深追いは禁物だ。
背後で
「じゃあ分担作業、行こうか! 私あっちで合ってる?」
「逆だよ。そっちは東」
「逆!」
なんとなくで選んだ行き先を180度変更し、どこか不安そうな祈月に笑いかける。
「頑張ろう! 私、ちゃっちゃとやっつけて合流しちゃうからさ!」
「……うん。気をつけてね」
「祈月も!」
祈月と互いに背を向けて、ビルの屋上から跳躍する。
短い間隔に連続で、というのならともかく、同時に穴が開くなんて、思い返す限り初めてのことだ。こうして一人で戦うのも、おそらく『恐怖王』以来。
(……でも、大した問題じゃない)
一緒じゃなくとも、背後には対魔局の皆がいて、祈月がいて、到理さんがいる。
足りない所は助けてもらって、私は全力で敵を倒せば良い。
物事はどこまでもシンプルだった。
空に開いた穴の下、魔物が暴れているのが見える。
それは巨大な虎のように見えた。高さは二階建ての一軒家サイズ……そこそこ大きい。咆哮しながら、目につく家屋を破壊している。
(でも、避難はできてるね)
眼下に、着の身着のままながら逃げる人々がいた。対魔局のマニュアル通り、車のたぐいは使わずに、そこかしこから声が上がっていたが、それでも秩序立って。
「……慌てず騒がずね!」
私は声を上げた。みんなが空を見上げて、明るい声を上げる。
「今から私がやっつけちゃいますから!」
太陽の魔法少女だ! ちゃちゃっとやってくれ! 期待してるぞ!
多くの声に手を振って返し、手近な電線の上に立つ。
「よーし、それじゃいっちょ……」
刹那。
轟音と共に地上から放たれた光条が、私の身を呑み込んだ。
◆ ◆ ◆
「ゴホ……ゴッホ……グ、ゥ……」
嫉妬の嫡主は瀕死である。
自称するように彼女の力は『恐怖王』に遠く及ばず、太陽の魔法少女から受けた打撃は間違いなく有効打だった。
「グ、フ……クク……」
だが、笑っている。
嫡主はまだ、自らの勝利を疑ってはいなかった。
「……少し……少し、考えれば……分かりそうなものだがね。誰が最も、太陽の魔法少女を嫉妬しているか」
それは、彼女が誰よりも早く魔界から侵攻を行った理由でもあった。
目処が立っていたのだ。『恐怖王』をも滅ぼした魔法少女を殲滅しうる、最強の手駒について。
「あるいは、視野に入らないのかもな? 光り輝く太陽には、夜の儚い星のことなど……」
嫡主は手駒の隣に腰を下ろす。
「なあ。『凶星の魔法少女』」
滅紫の線が走る、黒色の衣装の娘。
かつて流星の名を冠した魔法少女。
名を、幸坂星良と言った。
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