0-2
魔界の穴を中心に、青空が汚されている。
ぐずぐずとした紫色は、まるで濁った感情を表しているかのようで、見るたび目をそむけたくなる。
それともわたしがそう感じるから、この
『もしもし! こちら対魔局司令部!』
不意に入ってきた無線音声が、わたしの思案をかき消した。
ラジュンさん……わたしたちの乗るワゴン車の運転手が、すぐに応じる。
「こちら魔法少女班ラジュン。現地急行中」
『
「確認する」
そう言って、ラジュンさんは車のスピードを抑えることなくちらりとわたしたちを見た。
「もちろん」
わたしの隣から、それに笑いながら応じる声。
「
「うん」
わたしを覗き込む顔を見返し、頷く。
「行けるよ。優羽陽が行くなら、わたしだって」
「漣、
『了解! 先行局員にも伝えますので! 通信以上!』
外の景色の速度が滑らかに落ちていく中、無線通信は切れた。
広くもない車内で、隣の優羽陽はぐいぐいと柔軟を始める。
車が停まる。
「気をつけて」
ラジュンさんの言葉に会釈を返し、わたしたちは並んで空を見上げた。
人けのない街並み。車のない大通り。
その向こう、紫の空の中心に、暗い円が開いていて、ネスがぽつぽつと現れているのが見えた。
魔界に通じる穴だ。あれを閉じるのが、わたしたち……魔法少女の務め。
「じゃ、行こう!」
優羽陽の手に、つやめくリボンが翻る。きらりと小粒の宝石が光るそれで、ライトブラウンの髪を束ね、ポニーテールに括り上げて
「――皆を守れますように!」
願いの言葉を口にすれば――光が、溢れ出す。
◆ ◆ ◆
「これが……魔法少女の力、なんですか?」
澱んだ紫ではなく、澄んだ紺の空の下に入り、俺が保護した残存者の彼女はきょろきょろと辺りを見渡した。
「空が綺麗になるだけ……?」
(魔法少女の
頭の中でぱっと説明の言葉が浮かぶが、口には出さない。そんなことを言っても分からないだろう。話す時は、重要なことだけを端的にだ。
「この綺麗な空を、魔物どもは嫌う」
「じゃあ、私を追いかけていた魔物も……?」
「ネスだな。あれも基本的にはこの色の空の下には入ってこないし、存在したとしても……」
曲がり角の影で、ネスが小さくなり、じっとしていた。しっかりと踏み潰す。
「力をほとんど失い、大半は自然消滅する。たまに生き残るやつもいるが、極まれだ」
「じゃあ、こうやって空を染め返すのが魔法少女なんですか?」
「いや。これだけだといずれ押し返される。魔界への穴を塞ぐには……」
説明しようとした所で、ずん、と大きな震動が走った。地震に似ているが、違う。
「……やってるな」
残存者の彼女がついてくるのを確かめつつ、俺は大通りに顔を出した。
車のない大通り。その向こう、空に開いた魔界の穴の下……
「たあー……らぁっ!!」
『ギイヤアアァァァァ!!!!』
少女が一人、巨大な魔物と格闘戦を繰り広げていた。
魔物の方は、建物二階分程度の大きさか。犬とも猫ともつかない、赤黒く輪郭の曖昧な四足獣で、吠えたけりながら少女に襲いかかる。
その攻撃をいなす少女の頭には、ライトブラウンのポニーテールが跳ねる。その髪をくくるリボンを始め、全身に目の覚めるようなオレンジのカラーが散りばめられた、しなやかでいて華やかな衣装。
「あの人が……魔法少女?」
「あの人『も』だな。あれは『太陽の魔法少女』。そして……」
大通りの反対側。夜色の空の中心の彼女を見る。
目を閉じ、両腕を広げ、祈っているようであった。太陽の魔法少女のそれに似た、しかし心なしか曲線的なデザインの衣装は、横髪へ絡むように結び付けられたリボンと同じ、青色のものだ。
ゆっくりと一呼吸して、説明を続ける。
「彼女が『青月の魔法少女』。青月の魔法少女が守り、太陽の魔法少女が攻め、魔物を倒すことで、魔界の穴が塞がるんだ」
「へえ……ん?」
そわそわと二人の魔法少女を交互に見ていた残存者は、ふと俺を見上げた。
「じゃあ、あなたは何なんですが? そんな拳銃なんか持ってるのに……あの子みたいに戦わないんですか?」
太陽の魔法少女が、魔界の穴を守る大型魔物をアスファルトの道路に押さえつけていた。彼女の触れている箇所から、魔物の肉体がほどけ、崩れていく。
それを尻目に、俺は頷く。
「俺は対魔局の局員だな」
局員証を見せてやる。
特殊公営企業・対魔界災害等調査局所属、
「仕事は、魔法少女をバックアップする……雑用係だ」
◆ ◆ ◆
「おっつかれい!」
「お疲れ、優羽陽。……天道さんも、お疲れ様です」
「ああ」
戦いを終えた魔法少女の二人と落ち合う。保護してきた残存者は、ラジュンさんのチェックを受けている所だった。
「あー到理さん銃持ってる! 撃ったの?」
「保護する時に12発。発煙筒も使った」
「良いな良いな~。私もパンチキックジャンプだけじゃなくて銃とか使いたい! 局長に言ってよ!」
そう元気よく話しかけてくるのは、『太陽の魔法少女』こと漣優羽陽。
身振りが大きく、また距離感も近いので、なんとも賑やかしい少女だ。ぱっとした顔つきは、感情をそのまま映し出してひっきりなしに変わり、明るいブラウンのセミロングの髪がいつもそれに振り回されているように思える。
「優羽陽、またそんなこと言って……ごめんなさい、天道さん」
「……いや、いい。気持ちは分かる」
「きっとまた最近、そういうアクションの映画を見たとかなんですよ」
優羽陽に対して、落ち着き払った少女は、『青月の魔法少女』こと甘美夜祈月。
優羽陽に比べると一歩下がった距離感で、淑やかという言葉が似つかわしい。同年代の俺に対しても丁寧な姿勢を崩すことはない。肩口ほどの長さだが、濃く深い黒色の髪が印象的だ。
「祈月、また私が何にでも簡単に影響されるみたいに言って!」
「ほんとにいつもそのパターンなんだもの。この前の、コメディの映画見た後なんか、ハラハラするくらい変な戦い方するし」
「試したいじゃん! せっかく魔法少女なんだから!」
「見てるこっちは気が気じゃないのよ~……」
言葉を交わしながらクスクスと笑い合う、二人の少女。
制服姿もあいまって、その様子は普通の女子高生にしか見えないはずだ。
だが彼女たちこそ、魔界からの侵攻を阻む防衛の要。実に半年もの間、人間の手にあまる魔物たちと戦い続けている守護者――魔法少女なのである。
「到理さんもっ」
ぐい、と優羽陽が顔を近付けてくる。
「映画とか見たら、そのマネしたくならない? 二丁拳銃とか、ロケットランチャーとか!」
「優羽陽じゃないんだから……」
呆れ顔の祈月。ふ、と笑う。
「映画はほとんど見たことがないから分からないが……武術の映像教材を見た後は、それを実践したくなる」
「わーっ、それそれ! ねー? 到理さんもそうだよ?」
「天道さんを巻き込まないの。それに天道さんは優羽陽と違って真面目なんだから……」
「じゃあ今度到理さん一緒に映画見よ! バトってボンボン爆発するやつ!」
「予定が合ったらな」
優羽陽に返事をしつつ、俺はラジュンさんの方へ向かう。残存者のチェック終了の合図が出されていたからだ。
「うーん、一緒に映画かぁ。仲良くなったよね、到理さんと!」
「そうだね。最初は怖かったし……」
「そうそう、祈月に対しては特に厳しくて。敵か~!? ってちょっと思ってたもん」
二人のお喋りに苦笑しながら、検査結果を確かめる。憑依の痕跡、なし。
「では、送り届けます」
「頼む」
ラジュンさんに言って、二人の方へ。
「今日は訓練休みだ」
「えーっ、最近はこんくらいの相手の後なら普通にやってなかった?」
「右足」
そう短く指摘してやると、優羽陽はぎくりと身を強張らせる。
「立ち方がいつもより右傾してる。傷めてるんだろう」
「な……治れーってすれば治るし!」
「魔力を消費するならどちらにせよ駄目だ」
「……優羽陽。休も? 今日は」
祈月は心配そうな表情だ。
「数学、わたし、教えて欲しい所あるから」
「ううー……」
不満げな優羽陽を置いて、祈月が俺に振り返る。
「気付いてくれてありがとうございます、天道さん」
すっと綺麗に頭を下げて、ゆかしい笑み。
「天道さんも、無理なさらないで、お仕事の後はしっかり休んでくださいね」
「…………」
「……?」
僅かに祈月が首をかしげる頃、ああ、と俺は返事をした。
◆ ◆ ◆
残存者を彼女の部屋に送り届け、対魔局で事務作業を終え、夜。
「おかえり~」
入寮者が俺一人しかいない対魔局寮へ帰ってくると、いつもの通り花織子さんが出迎える。寮の管理者にして、戸籍上の俺の姉。
「夕飯、すぐ食べる? それともお風呂が先? ……それとも……」
「どっちも後で良い」
俺が言い切ると、花織子さんは目を丸くして、それからくすりと笑った。
「良いことがあったんだ」
「……訓練室に行く」
「はーい。夕飯先に食べちゃうね」
誰にだって秘密がある。
たとえそのためにどんな愚行を犯そうとも、
人は秘密を持たずにはいられない。
訓練室へ入り、扉を閉じる。蛍光灯を点ければ、その窓のない部屋の内装が明らかになる。
正面の壁に、巨大な写真。
左右の壁に、いくつもの写真。
背後の壁、天井、扉。全面に写真、写真、写真。
構図はどれも異なるが、被写体はどれも同じだ。
印象的な深い黒髪。明るく白い肌。たおやかな佇まい。
青月の魔法少女、その変身前の姿。
甘美夜祈月。
――俺の一目惚れの相手。
「ああ…………」
喉から漏れた声は震えていた。体だって震えていた。
談笑する祈月。本を読む祈月。制服の祈月。私服の祈月。
あらゆる祈月の写真に囲まれ、俺は部屋の中心で、土下座するような姿で打ち震えていた。
「好きだ……」
最初の頃、祈月に対して特に厳しかった、と優羽陽は言っていた。
当然だ。だって分からなかったのだ。
その顔。声。性格。その他あらゆるもの。
全てが好き過ぎる相手に対して、どう接すれば良いかを。
この祈月の写真に囲まれた狭い部屋で、日々写真の祈月に対面することで、どうにか俺はおかしくならずに本物の祈月と対面することができている。
これがなければ、俺は恐らく、どこかで決定的な過ちを犯していただろう。
「きっ……祈月……」
震える手でスマートフォンを取り出し、録音データを再生する。
『気付いてくれてありがとうございます、天道さん』
それは今日、祈月が俺にかけてくれた言葉だった。
『天道さんも、無理なさらないで、お仕事の後はしっかり休んでくださいね』
「ううぅぅ…………」
声と共に、その微笑みが脳裏に浮かび上がる。
俺に向けられた笑みが。俺だけに向けられた笑みが。
『天道さんも、無理なさらないで、お仕事の後はしっかり休んでくださいね』
『天道さんも、無理なさらないで、お仕事の後はしっかり休んでくださいね』
『お仕事の後はしっかり休んでくださいね』
「ああ…………」
自分の手でループ期間を短く調整しながら、音声データの中の最も『甘い』部分を探り当てる。
もどかしくい。だが至福の時間だった。俺はクリスマスプレゼントというものを貰ったことがないが、プレゼントの包装紙を破く子供は、きっとこういう気分なんだろう。
『休んでくださいね』
(……ここだ)
そして、その瞬間を探り当てる。
『休んでくださいね』
『休んでくださいね』
幾度とないリピート。
『休んでくださいね』
「ああ…………」
『休んでくださいね』
耳を通して、脳が溶けていく。
もはやろくな思考も成立しない。食事も寝る準備も、何もかも終わっていないという、その事実すら些事だ。
祈月が俺に休めと言っている。ならば俺に、休む以外のことをする余地があるか?
『休んでくださいね』
俺は訓練室の冷たいフローリングの上に横たわった。
『休んでくださいね』
『休んでくださいね』
「はい…………」
延々と繰り返される彼女の言葉に従い、胸の中を幸福でいっぱいにして。
『休んでくださいね』
俺の意識は、眠りの闇の中へ落ちていく。
◆ ◆ ◆
思えばこの頃が、俺は一番幸せだったのだろう。
少なくとも訓練室の中にいる限り、俺は純粋な幸福感に浸っていられた。
たとえ客観的に見てどんなにおかしなことでも、それで良かった。
そしてそんな俺の幸福を終わらせる事の発端は、五月の終わり。
ネスに憑かれた一人の女性が起こした事件だった。
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