3.月に祈る

3-1

『おはよう!!!!!!!!』

『おはよう』

『おはようございます』

『眠い!!!!!!!!!!!!!』

『ぜんぜん眠くなさそう』

『学校で寝るなよ』

『今日は訓練を早めに切り上げます』

『分かった』

『いたりさん 眠気覚ましに何やる?』

『コーヒーを飲む』

『無理!!!!!!!!』

『休み時間寝ていいよ 見ててあげるから』

『ママだ』

『授業中は寝るなよ』

『先生の話が面白いか次第』

『今日古文あるよ』

『終わった!!!!!!!!!!!!!』



  ◆   ◆   ◆



 局長室にて。


「ははぁ……」


 事のあらましを説明された局長は、そのつぶらな目をさらに真ん丸にしていた。


「花織子ちゃんが……そういう感じでねえ……」

「装備を勝手に地下訓練場で使用した件は、既にラジュンさんに報告しています。処分等はラジュンさんにも……」

「ああ、ええよええよ。処分とかはなし」


 信じられないほど軽い口調でそう言い渡してくる局長。正直、予想はついていた。


「ほんまもんの悪意があった訳でもなし。ネスの影響で悪さした人はたっぷり情状酌量したげるのが基本やし」

「そうは言っても……」

「実際、今きみに抜けられたら困るしなぁ」

「そういうのって人員の増長を招いて良くないと聞きますよ」


「じゃあする? 到理くんは、増長」

 立派な書斎机を挟み、青い眼でじっと見つめられる。子どもそのものの外見なのに、まるですべてを見通していそうな眼。

「クーデターを?」

「……しませんが」


「せやろ。だからそれでええの」

 立派な革張りの椅子にもたれかかる局長。小さな体躯はそのまま沈んでいってしまいそうだ。きっと机の影で、足もぷらぷらと浮いているのだろう。

「まあー、でもそう、その手の悪さはあんま想定してなかったからね。その、改ざんとかはできないように、システムとか直してもらっとこかな。到理くんが良い子じゃなかったら危なかったわ」

「そうしてください。いくら良い人間でも悪行に走るのがネス憑きです」



「花織子ちゃんなぁ」

 局長はぼんやりと天井を見上げる。

「言われたんよ。到理くんが様子おかしいから気ぃ使ってくれへんかー、て」

「……花織子さんに?」

「そう。一昨日の朝だから、到理くんの話だとちょうど、きみの調子がおかしくなったタイミングやね」


 祈月の告白に関してだけは、詳細を伏せて話していた。局長も深くは突っ込んでこなかったのが幸いだ。


「だからもうそん時には、花織子ちゃんは到理くんをそそのかすこと考えてたし、きみの様子がヘンなのも気づいてたんやな」

「そうなりますね」

「うーんー、花織子ちゃんも良い子やと思ってたんやけど……」

「だから、どんなに素行が良くても衝動的な行動に走らせるのがネスというやつで……」

「せやね。ニンゲンの手ならぜったい気付けるはずやし……一応調べ直しとくか」


 椅子の肘置きに両手をついて、ふんと身体を起こす局長。背筋を伸ばして座り直すと、幼いその容貌もいくらか凛々しく見えた。

「てわけで、うちはこれから色々やんなきゃいけないから、花織子ちゃんのこととかは到理くんに任せるんでいーい?」

「……俺もそのつもりです。そのつもりですが……これを」


 俺は内ポケットから封書を一つ取り出した。

 昨夜、一旦寮に戻った時にしたためたものだ。表に書いてある文面を見て、局長は嫌そうな顔をした。

「辞表やん」

「辞表です。どうせ処分は軽くなるだろうと思ってたので」

「何よー? なんで無罪で良いよ言うたのに罰受けたがるの! マゾの人?」

マジメだという自覚はあります」


 書斎机の上に差し出す。

「局長の言う通り、今は花織子さんの行方なり何なりを調査するつもりです。ただそれが終わったら、俺もけじめをつける必要があると思ってます」

「ケジメぇ?」

「個人的な感情に付け入られて、殺意を持って同僚に襲いかかった。日本では貴重な資源も無断で消費しました。その責任を取るため……」


「びりびりびり」

 局長の指が、俺の辞表を縦に破いた。

「……局長」

「知らん知らん。仕事がんなったとかならええけど、責任を取って~みたいなのは受け付けません~」

「まあ、そう言われる気はしていましたけど……」


「ムシャムシャ」

 破いた俺の辞表を、局長はそのまま食べ始める。

「……えっ!?」

「ムシャッ……さっきから到理くん生意気なんよ! 何でもかんでも予想通り、分かってます、ふふーんみたいな顔して!」

「えっ……え、だから食べ始めたんですか? ……辞表を!? 紙ですよ!?」

「ムシャ……おいしくない……」

「それはそうでしょう紙なんですよ!?」


 機嫌をすっかり損ねた様子の局長は、辞表を半分ほど平らげると、恨めしそうな目を俺に向けた。

「この世はなんでもきみの想像通りに済むわけじゃない。きみもうちが辞表食うとは思わんかったろ」

「思ってる方が問題でしょうこの場合は」

「想像で現実を決めつけて一人で完結するのはやめや、ってこと」

「そのために辞表を……?」

「そんくらいしないときみを黙らせられないと思って……」

「どうしてそんな子どもっぽい理屈を……残り半分も食べないでください分かりましたから」


 俺に制止されると、局長は大人しく辞表の残り半分を置いて、まだ少し苦々しい表情で口を開いた。

「到理くんも花織子ちゃんも、が前だから、なんでも自分で決めて、考えて、背負って、ってしなきゃいけないと思っているんやろうけどね。うちに言わせたら、二人ともまだ全然若いんやから」

 そんなことを言っている局長が誰よりも幼い容姿なのだから世話はない。

「今は余計なこと考えんで、やるべきことに集中してちょうだい。全部終わった後、やっぱり辞めたいってなったら、そん時また考えるから」

「……はい」


 不承不承……というか、話の流れに半ば圧倒されるような形で俺は頷いたが、それでも局長は満足げに笑ってみせた。



  ◆   ◆   ◆



 いつも通りの訓練には向かわず、俺はそのまま調査を始めた。どちらにしても、ラジュンさんが俺がやりたい放題した結果を検分する必要があった。


 向かった先はデータルームである。対魔局の職員……つまり花織子さんの最近のデータを確認するためだ。

 だが、これは空振りに終わった。霊能職員の中でも予備人員でもある花織子さんは、普段は魔物などを始めとする霊的な事案に関わることはなく、よって最近の情報も残ってはいなかったからだ。


(月に一度の検査が、『恐怖王』の事件で後ろにズレて、五月の半ば……この時点では身体・心理・霊力等一切の異常なし)

 少し躊躇われたが、花織子さんのプロファイルも閲覧した。

(通学が許可されていた経緯もあって対人能力問題なし。男性が苦手……そうだったのか。保守的思考。他人への羨望心強し……羨望心)

 いつも穏やかで落ち着きある花織子さんが、強い羨望……何かを羨むというのは、なんとなく意外だった。とはいえ、これは対魔局のメンバーであれば誰しも抱く気持ちなのかもしれない。

(まったく罪深いな、優羽陽……)



 花織子さんのデータを一通り調べ終わる頃、局長からも連絡が入り、彼女の周りの人的接触や移動の痕跡をまとめたデータが共有された。

「少なくともこの数日で花織子さんが妙な移動をしたり、不明な人物と接触した痕跡はなし……現在の所在の手がかりもなし、か」

 つまりは何も分からないということだ。局長からのメールには、さらに詳しい情報が入るまではしばらく時間がかかるから休んでおくように、と追伸されていた。


 確かに、昨日から一睡もしていなかった。その事実に気付くと、待っていましたとばかりに睡魔が襲いかかってくる。

(……少しだけ休むか)

 俺は調査の傍らで口にしていたコーヒーを飲み干し、アラームを設定して、その場で眠った。カフェインのお陰で眠りは浅く済み、アラームが鳴るより前に目を覚ますことができた。

 そしてまだ局長から新たな連絡が来ていないことを確かめると、俺はある過去のデータを閲覧するべく、情報端末を操作し始めた。



 2022年5月10日。

『恐怖王』の来襲。奴の力は、機械にも『恐怖エラー』を発生させ、問答無用にダウンさせた。その影響で、精確な記録は残っていない。

 それでも、最低限のものは残っているはずだ。無用な観測漏れを起こさぬよう、基本的なバイタル等のモニター機構は、きわめて単純な仕組みになっていると聞いたことがあった。つまり……


「……あった」

 あの日、奴に対峙した俺たちのバイタルとメンタルの値……要は心拍・体温・発汗等の代謝状態から算出される肉体と精神の状態を推測するパラメータの記録が、残っていた。

 その中でも、優羽陽と星良のものを比較する。双方のパラメータは、ビル屋上に到達したタイミングで同時に乱れ始め、やがて星良の値が致命的に失調し、その後……

「ここか」

 15時52分。優羽陽のパラメータを示す線グラフは異常軌道を描いて正常値に戻っている。

 これらの記録は、すなわち優羽陽の告白がまったく正しいことを示していた。


 息を吐く。

(『恐怖』にまつわる自分の感情と記憶をすべて消して……)

 別に疑っていた訳ではない。ただその事実を客観的な記録として見ると、改めてその重さが肩にのしかかってくる。

「優羽陽。お前、こんなことをずっと……」



「優羽陽?」

 夜風が鈴を通ったかのような美しい声に、はっと振り向く。

 データルームの入り口に、祈月が立っていた。いつも通りの制服姿。流れるような黒髪。白く柔らかそうな頬。

 いつもと変わらぬ祈月の顔。

「……ああ、いや……」

 なんでもないように返事をしようとして、俺は口ごもった。思えば彼女と対面するのは実に二日ぶりのことで……祈月の告白を聞いて以来のことだ。

 しかもその間に、優羽陽との一件が挟まっているのだ。ただただ申し訳ない気持ちと、単純に会えて嬉しいという気持ちが、喉元で絡み合い詰まっていた。


 そんな俺の様子を当惑と見たか、祈月が済まなそうな表情をする。

「ごめんなさい、今、お忙しかったですか?」

「……いや」

 なんとか返事をすると、祈月はほっとした様子を見せた。

「良かったです。天道さん、一昨日と昨日と別のお仕事をしていて、会えなかったから……会いたかったんです」


「あ」

 会いたかったのか、と言いかけ、またも言葉が詰まった。祈月は続ける。

「あのお二人のこと、教えてくださってありがとうございます。女の人同士が、どういうお付き合いをなさって……最終的にああなってしまったのか、どうしても知りたくって」

「……ああ、うん」

 太綱神社の事件で、ネスに憑かれた女性と、その相手の女性の話だろう。俺は歯切れ悪く頷く。


「あと、その……」

 僅かにうつむく祈月。揺れる黒髪の垣間、頬が紅潮している。

「……優羽陽とのことも、ちゃんと黙っててくれて、ありがとうございました」

「それは別に……当然のことだ」


「はい。そうですね。天道さんのこと、信じてましたから」

 はにかむような笑み。

「信じさせてくれて、ありがとうございます」



 胸が苦しい。

 それは、かつてのように単純な、恋愛感情に基づくときめきだけではなかった。

(……俺は間違いなく、優羽陽を打ち倒そうとしたんだ)

 外的要因があったのだから仕方ない、と被害者面で開き直ることは、どうにもできそうにない。


「……天道さん」

「ああ、いや……」

 名前を呼ばれ、どうにか返事をする。が、まだ胸は疼くように痛みを訴える。

「すまない、実は少し睡眠時間が短くて……」


「天道さん」

 また祈月が俺の名を呼ぶ。

 張り詰めた声だった。祈月の顔を見ると、その目は俺ではなく、情報端末の画面に向かっていた。


 そこに表示されているのは、シンプルなグラフだ。

 2022年5月10日。15時52分。

 太陽の魔法少女の異常なバイタル・メンタルの変動を示す折れ線。



 息を呑む。

「……気付い、たんですか。天道さんも」

「…………」


 返答に窮した。

 気付いた、というのは嘘だ。優羽陽自らが語った内容について、俺は答え合わせをしたに過ぎないのだから。

 だが優羽陽が話していた通り自らの記憶を改竄したのなら、それはなかったことになっている……いや、そもそもそれを根拠とするなら、何故優羽陽からその話を聞いたのかの経緯を説明しなければならない。


(嘘をくか、昨晩のことを話すか)

 並べてみれば、迷うまでもない選択肢だ。


「まあ、そんな所だ」

 いつもの調子で続ける。

「『恐怖王』の件は職員にもトラウマになっていて、それをきちんと振り返る機会がなかなかなかったからな。まずは俺一人で振り返って、必要な情報があれば共有しようと思っていたんだが……」


 よくも流暢に嘘が出る。

 しかしながら、今更この程度の嘘を吐いたところで、俺の何も傷つけられはすまい。


「……どこまで、ご存知なんですか」

 これも少しだけ考え、矛盾のない答えを編み出す。

「局長から、おおよそのことは」

「そう、ですか……」



 祈月は静かに呼吸をしながら、白魚のような細い指を絡ませ合い、両手で目元を覆っていた。

 初めて見る所作だった。花織子さんが調達してきた写真の中にも、こんな祈月の姿はなかったはずだ。


 祈月は深く息を吸い、吐いて。

「突然のことで、申し訳ないんですが」

 組んだ手を僅かに下ろす。

 俺を見つめるその眼は助けを求めるように潤んでいて、その光が俺の心臓を慎ましく撫でた。

「話をさせて、くれませんか……そのことで」


 俺は何気ない動作で、胸元を押さえつつ、ああ、と返す。

 心臓は経緯なんて知ったことがないとばかりに高鳴り、俺はそれに自己嫌悪を抱く余裕すらなかった。

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