2-5

 星良。流星の魔法少女のスキル軌跡スターリング

 手や足から瞬間的に魔力を放出する。それは弾丸のように撃つこともできるし、反動で身体を加速させることもできる。

 私の制御リストレイントよりも瞬発力があり、祈月の守護プロテクションよりも攻撃的。

 突っ込む私を後ろから援護することも、後方の祈月を守ることもできる力。



「ほう」

 その星良が放った瞬く軌跡スターリング・フレアを『恐怖王』と名乗った彼は平然と受け止め、感心したように声を漏らした。

 多くの魔物を退けてきたその攻撃が、通用した様子はなかった。


「まだ、攻撃ができる。それだけの余裕があるのか」


 彼が一歩、私たちの方へ近づいた。それだけで身体がぞくりと震えた。血管は冷え切り、呼吸が苦しくなる。このままではダメだ、と本能が叫ぶ。

 隣の星良も同じだった……はずだ。さらに攻撃を加えようとして、腕が持ち上がりきらないのを見た。


「私のこの力が、何か分かるか」

 男のものとも女のものとも思えない、小さくも大きくもない、若くも老いてもいない声が囁きかける。

 それだけで、私の心は軋む。『聞きたくない』という恐怖と『聞かずにはいられない』という恐怖に挟まれて、削られて。


「恐怖とは、知性に必要な感情だ」

 また一歩近づいてくる。背筋に流れる冷や汗が、むしろ熱く感じられる。

「それなくして生存は成り立たず、すなわち知性の進化はない。ゆえに、すべての知性はそれを知覚する」

 また一歩。心臓が早鐘を打つ。そのまま荒く呼吸する口から飛び出してしまうのではないかと思った。

「そういった類のものを、我らは必要感情ネセサリーと呼び、私はその中でも『恐怖』を取り立てている」

 ブツリ、と音を立てて、イヤホンと繋がった通信機が停止した。機械すら『恐怖』により、停止した。


「私の力が通用しない訳ではないようだな」

 彼は私たちを見て、そう漏らした。

「ファンスウィアの装備で、力への耐性を得ていただけか。安堵したよ」

 その口調は驚くほど穏やかなのに、彼の接近に伴って、私の感じる恐怖は一層激しく、強烈になる。荒れ狂う恐怖を処理しきれず脳はズキズキと痛み、震えのあまり全身の筋肉が痛みを訴え始める。

「それでは、これから君たちを片付ける。どちらからが良い?」



 星良が一歩、前に出た――


 ――と、この時の私は思った。

 後から思えばそれは都合の良い誤認で、私が後ずさりながら星良を前へ押し出したのだと思う。

 恐怖から逃げるために。


「え」

 星良が声を漏らすのと同時に、彼が手をかざした。




「あああアアアァァッ――!!!」


 機序すら存在しない、純粋な恐怖という概念を彼から注ぎ込まれはじめ、数分。

 星良はまだ悲鳴を上げていた。最初の頃よりも、低く濁った悲鳴。喉が潰れたのだ。


 私は何もできない。

 膝をついて、許しを乞うように額を冷たい地面に擦りつけている。

 一刻も早く終わってほしかった。星良の悲鳴を聞くことに耐えられなかったから。

 終わってほしくなかった。きっと次は、私の番だから。



 やがて、一番目の望みが叶った。


 どさりと星良が倒れ込む。喉から空気の漏れる、ひゅうひゅうという音が立っていた。

 私は震えながら顔を上げた。汗と涙で滲んだ視界に、こちらを振り向く彼の姿が映った。


(ああ――)

 嫌だ、と思った。

 負けたくないとか、皆を守れないことが悔しいとか、そういう綺麗事は一切思考になく、ただ嫌だと思った。

 星良と同じ終わりを迎えることが。

 今以上の恐怖で、心も体もぐちゃぐちゃにされてしまうことが。

(嫌。やめて。心臓も壊れそうで、全身ぐちゃぐちゃで、脳も――)


(あ)

 だからその電撃的な閃きも

(脳、って)

 希望にたどり着くため見出された活路などではなく

(――私の身体だよね?)

 恐怖から逃れるための究極の逃走経路だった。


 太陽の魔法少女のスキル制御リストレイント

 それは『思った通りに身体が動く・・・・・』能力。



「……!?」

 数秒後、私がゆっくりと立ち上がると、眼前の彼はむしろ怯えた顔をした。

「お、前……何を……?」

「…………」

 顔を拭いながら静かに歩み寄る私を見て、彼はじりと後ずさる。

「恐怖を防ごうとする者……恐怖を忘れようとする者……あらゆる者があり、その全ては無意味だった。私の力を防ぎ切る障壁などなく、恐怖を知らぬ者などないからだ」


 私の心はすっかり凪いでいた。

 目の前の彼に対して先ほどまで抱いていた感情は、今や微塵も存在しない。


「感情を失った者にすら、過去と本能から恐怖を引き出してやることができる……ならば、お前は」

全域…ヴァーサタイル

「――すべて消し去ったのか!? 恐怖を受容する機能と、恐怖の記憶を、すべて――!!」

…制御リストレイント



  ◆   ◆   ◆



「到理さんに知ってほしいことは二つ」

 身を起こした俺の前で、優羽陽は唇に指を当てた。

「太陽の魔法少女は『恐怖王』に打ち勝ったヒーローでもなんでもなくて、大事な友だちを盾に時間稼ぎするようなヤツだってことと……自分の記憶も感情も好きに消し去れる能力を得たってこと」


 二の句が継げない。

 優羽陽が、太陽の魔法少女が『恐怖王』に屈することなく正面から打ち勝ったという物語は、俺にとって……俺を含む多くの人にとって大前提であり、疑おうとすら思わなかった。


「私のこと、恐れ知らず、って言うのは、実はすごく正しい話なんだよね。だってもう私、何かを怖いと感じることも、感じた記憶もなくなっちゃってるんだもん」

「元に戻らない、のか」

「まるきりなくしちゃったものは、もうイメージできないから。もうホラーを見ても全然怖くないし……あとそうそう、乗り物の運転とかもまずいだろうね」

「……そのことは、他に誰が知ってるんだ?」

「局長と、祈月。局長にはこのことは伏せておこうって言われたんだけど、祈月には気付かれちゃったって感じ」


 そうか、と嘆息する。

 局長がこれを伏せたがるのも分かる。希望だったのだ。あの日、理由なき恐怖に当てられた人々にとって、その絶対的な恐怖を正面から打ち負かす存在がいた……俺たちは勝ち、侵略者は力及ばず負けたという事実が。

 もちろん、祈月が気付いたというのも納得できる。彼女はきっと、誰より優羽陽を見ていただろうから。



「そういうことだから」

 優羽陽は訓練場のベンチに腰を下ろした。

「今夜のことは全部忘れます。今は魔力がないから難しいけど、寝る前には回復してると思うし……」

「……そんな風に決めてしまって良いのか」


 俺はようやく立ち上がり、優羽陽を見る。全身がぐったりと疲労していた。

「何というか、もっと安穏な……手は、ないのか?」

 口にしながら、馬鹿馬鹿しいと思う。原因となったのは俺で、その俺はろくな代案を思いつけないのに。優羽陽も困ったように笑う。

「思いつかないかなぁ。祈月とギクシャクするのは嫌だし……祈月も多分、そういうのは望んでないだろうしさ」

「そう、だろうな」

「このギクシャク感? っていうのを、うまい感じに理解できれば、またその感情だけ消せばなんとかなるかもしれないけど、これ、何なんだろうね。恥ずかしさ?」

「消すって、そんな気軽に言うが……」


 怖くはないのか、と言いかけて、口を噤んだ。なるほど優羽陽は、自分の感情とか記憶を無造作に弄り回してしまうことにすら、もう恐怖を感じないのだ。



「到理さんは、大丈夫だよね?」

 俺の感傷なんて気にも留めず、優羽陽が心配そうな目で俺を見る。

「さっきまでの嫌な感じはもうないけど……」

「……ああ。頭は冷えてる。もう妙なことは考えない」

「良かった!」


 ぱっと笑う優羽陽。そして、すぐ真剣な表情になる。

「さっきまでの到理さんには、『恐怖王』の力と同じような気配があった」

「感情を内側から励起するのではなく、外側から感情を押し付けるものか」

 首都圏の市民の全員を恐慌させ、星良の心を完膚なきまでに破壊した、あの力だ。

「うん。それが何なのかは調べた方が良いと思うけど、ほら私、記憶消しちゃうから! 最低限メモは取っておくつもりだけど、役に立つかは微妙だし……」

「アテはある」


 冷静になった今、振り返ってもっとも疑わしいのは花織子さんだ。

 何をしたかも、何故したのかも分からない。それでも、そこから調査に当たるほかないだろう。


「なら、お願いするね」

 眉尻を下げて、申し訳なさそうに笑う優羽陽。

「本当に大丈夫? 私が私の記憶を消すせいで、到理さんが一人で大変になっちゃいそうだけど……」

「元を正せば俺が招いた事態だ。これくらいどうということはない」

「それ言ったら私だって様子がおかしいの気付けなかったし!」

「それだって俺がもっと……」


 言いかけた所で、ぴたりと目が合った。しばし互いに沈黙し、やがて笑いが漏れる。

「延々続くやつだな」

「続くとこだったよ!」



 それから挨拶のような言葉を交わして、俺は優羽陽の帰宅を見送った。次に会った時は今日あったことを覚えていないと思うと、まだ何か言うべきな気がしたが、結局何も付け足せなかった。

 俺も寮へと戻る。案の定花織子さんの姿はなかったので、その場で少しばかり書類を書くと、すぐに地下訓練場へとんぼ返りだ。少なくとも優羽陽と戦った痕くらいは隠しておかねばならなかった。


(派手に火薬を使った以上、全面的に隠し通すのは不可能……)

 目的は今夜のことの完全な隠蔽ではなく、情報を制御できるようにすることだ。ひとまずここの痕跡さえなくしてしまえば、不用意に情報が漏れることはあるまい。


 夜を徹して清掃をした俺は、再び寮への帰路につく。歩きながらスマートフォンで警備や入退場の痕跡を調整し、優羽陽とのチャットもバックアップまで削除した。

(これで武器管理をするラジュンさんと局長以外に、不意に気付かれることはなくなるはずだ)

 いかに対魔局が小さな組織とはいえ、こうして与えられている権限のほどを見ると、俺が今日のように暴走することはまったく想定されていなかったのだろうな、と思う。



「さて」

 一通りやるべきことを済ませて、改めて状況を振り返る。


 通常のネス憑きよりも圧倒的に早かった俺の暴走。

 それに伴った『恐怖王』の魔力の気配。

 関与したであろう花織子さんの失踪。

 どこから何が始まり、どこへ向かおうとしているのか?


(……考えるべきことは多い)


 その一方で、なおも俺の心をざわつかせる三つの秘密。


 優羽陽の秘密。

 祈月の秘密。

 俺の秘密。



 優羽陽との対峙を経て明らかになったこと。対峙する前から変わらないこと。

 その全てに思い巡らす俺を、白い朝日が照らし出す。


 新しい一日が始まろうとしていた。

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