3-3

 タクシーで寮へと乗りつけた俺を、優羽陽のギョッとした顔が出迎えた。

「た、タクシー?」

「……先に入って始めてるんじゃなかったのか?」

「鍵閉まってたもん」

 思い返すと、今朝は花織子さんがいないものだから俺が寮の施錠をして出てきたのだった。花織子さんがいる間はその辺りは任せっぱなしだったので、つい焦ってしまった。

「まったく人騒がせな……」

「いや、騒がせた覚えはないんですけど。……えっ、祈月も!?」

「あはは……タクシーなんて初めて乗っちゃった」


 めったに使わない寮の鍵を使い、門扉を開ける。照明は点け放しだった。

 玄関を抜け、食堂へ。ここから二階への階段、一階各部屋への廊下が伸びている。


「優羽陽、具体的にはどういう指令が出たんだ?」

「ん-と……」

 彼女はスマートフォンに視線を落とす。

「花織子さんっていう人がちょっと悪いことをして姿を隠してるので、その手がかりのために寮を探ってほしい! 本当は対魔局の普通の局員の人でやるべきことなんだけど、今ちょっと人手が足りないから、到理さんの指示に従って調査してほしい! みたいな感じ」

「一応、お前たちをそういう仕事に駆り出すなら、もう少しちゃんとした書類が必要なんだが……」

「そうなの?」

「まあ、局長なら用意していなくてもおかしくない。寮の中を調べるだけだしな」


 対魔局の寮は、最大で十人ほどの居住を想定した作りだ。急な訪客の宿泊に使われることもあり、日頃から花織子さんが丹念に掃除をしていた。

 俺は食堂と例の訓練室以外自分の寝室くらいしか使わないので、なるほど確かに花織子さんならいくらでも何かを仕込めるだろう。


「俺は食堂周りを見る。二人は一階と二階を」

 なんでもない風に指示を出す。もちろん、訓練室は『食堂周り』に含む形だ。優羽陽は勢いよく応じる。

「了解! ちなみに到理さんの部屋はどっち?」

「二階だ」

「じゃあ私が二階! 男子の部屋なんて祈月に見せられないもんね。私はお兄ちゃんいるし」

「わたしもお父さんはいるんだけど……」

「まず俺の部屋に入ろうとするな。花織子さんの調査なんだよ」

「マスターキーなら預かってきたから!」

「……祈月に渡せ。花織子さんの部屋は一階だ」



 経過はともあれ、俺は二人を離した状態で訓練室に入ることができた。

 電灯を点ける。窓のない部屋の中に浮かぶ、無数の祈月の写真。

「…………」

 恐怖とも背徳ともつかない、ぞくりとした感覚が背筋を走る。この写真の本人が、今まさにこの部屋の外にいるのだ。何かの間違いでこの扉を開かれれば、一巻の終わりだ。

 俺は手早く片付けに入る。壁にいくつも飾った祈月の写真。どれもこれも可憐に笑っていて、目にするだけで胸がときめく。優羽陽を相手に間違いを犯し、その秘密を知ったとしても、この気持ちだけは依然変わらない。


「……これを知られたらどうなるんだろうな」

 さすがの俺も、普通はこういうことをしないとも、知られてはまずいとも理解している。

 だが事実として、俺は花織子さんが用意してくれたこの部屋とこの写真に助けられたのだ。これがなければ、俺は未だに祈月とろくな会話もできず、込み入った話をする信頼関係を構築することができなかったかもしれない。


 それでもこの行いは、悪とカテゴリーされるものなのだろうか。

 他に適切な手段があったのか?

 それとも、隠したりせず祈月にこれを明かし、弁解するべきなのだろうか。

 今まで築いてきた信頼関係が損なわれるとしても?


(誰にだって秘密がある……)

 最後の写真を丁寧に壁から取ると、すべての写真を重ね、茶封筒に入れ、丁寧にのりで閉じる。

 表面に機密書類の判を押し、部屋の片隅に安置すると、俺はその場を後にした。



  ◆   ◆   ◆



 結局、寮の中を探し回ったところで、花織子さんの手がかりは見当たらなかった。一応ノートPCなんかは残されていたが、当然パスワードがかかっており、これは後ほど対魔局が引き取りにくるのだという。

 調べる前から、そうだろうとは思っていた。俺も花織子さんも『余計な証拠を残さないこと』は骨身に叩き込まれているからだ。


「到理さんの部屋にエッチな雑誌もなかったしな~……」

「本当に探ったのか」

「マンガすらなかったし。あんなとこで何楽しみに生きてるの?」

「……歴史小説は少し読むが」

「読んでそう~」


 調査を終える前後、次の指令を今日中に出すので待機、という命令が、やはり局長からメールで送られてきた。既に時刻は18時に差し掛かろうかという頃にこういう指令が出るのは珍しい。

(俺のやらかしの後始末があるんだろうか……)

 一応、どんな指令を出そうとしているのかという確認をチャットで送ったが、既読のマークもつかない。こうなると、今の俺の立場では待つだけだ。


「他にはないの? 到理さんの趣味」

「……ジョギングか……?」

「へー。なんか立派なランニングマシンはあったけど」

「それとは別に、気分転換で屋外の、できる限り知らない方角へ走りに行くことがある」

「なんかすごい無趣味っぽい」

「よく分かってるじゃないか」


 そういう訳で、俺と優羽陽は共に食堂で過ごしていた。

 今は設置されたテレビからサブスクリプションサービスを開けたので、優羽陽が適当な映画を見繕っているところである。


 そしてその間、祈月は……


「む……」

 優羽陽が顔を上げ、トントンと包丁の音が立つキッチンの方を見た。

「祈月! いま野菜切ってる?」

「切ってるよー」

「私が嫌いなのは入れないでね!」

「ニンジンはいいんだっけ?」

「甘くないなら!」


 ……料理の最中である。

 次の指令とやらが来る前に夕食を済ませようと発案したのは俺だった。当初は出前でも頼むつもりだったのだが、花織子さんがいなくなって魚やら野菜やらが放置されていることを聞いた祈月が、調理を名乗り出たのだ。


(祈月の手料理……)

 訓練室を片付けたことで生じた祈月への申し訳なさが吹き飛ぶほどの衝撃だった。

 今までのやり取りから彼女が日常的に料理をしていることはなんとなく察していたが、実際にそれを口にするチャンスがあるとは思わなかった。

 もちろん食べてみたいとは思っていた。だが同時に、そんなのは叶わぬ夢想だとも思っていた。それがこんな形で実現するとは。



「『バススピード』。これなら良いかな。ごはん中でも大丈夫だろうし……到理さん?」

「……ん?」

「どうしたの? キッチンの方見て」

「いや……」

 完全に無意識であった。優羽陽はきょとんとした様子だったが、やがてにやりと口角を上げた。

「さては女子高生の手料理に興味津々だな~?」

「違う」

 即答できたのは、興味の対象が祈月の手料理であって女子高生の料理ではないからである。が、優羽陽は聞く耳を持たない。

「到理さんもお年頃の男子だからねぇ」

「違う」

「まあまあ、祈月の料理のうまさは間違いないから! 期待して待ちなさいな」



「……そう言う優羽陽はどうなんだ」

「私?」

 話の矛先を返され、目を丸くする優羽陽。

「祈月がうまいのは、分かっている。自分で名乗り出たくらいだからな。それでお前はどうなんだ? 祈月と同じく女子高生であるところの優羽陽は……」

「…………リンゴ剥けるよ?」

「できないやつの発言だな」

「だってうち台所使おうとするとお母さん怒るんだもん! すんごく怒る!」


「優羽陽が片さないからでしょ~」

 話しながらキッチンから出てくる祈月。

「片付けるもん!!」

「わたしだってお父さんが勝手に台所使ったら怒るよ」

「だから片付けるってば……!」

「まあ、優羽陽は片付けるか片付けないかと、言えば、な……」

 応じながら何の気もなしに振り向くと、姿を見せた祈月はエプロンを着用していた。

「…………」



 エプロン、である。

 それそのものは見慣れたものだ。花織子さんが日常的に身に着けている、ピンクのエプロン。

 だが、今それを身に着けているのは祈月であった。花織子さんのエプロンは祈月には少し大きいらしく、丈も幅も余っていて、それが祈月の華奢さを強調していた。

 その上、髪だ。髪を括っている。後頭少し上方で黒髪が束ねられ、短い尻尾がぴょんとはねていた。毛先がまとめられたことにより露出した首筋の白さも眩しい。普段は可憐としか言いようがないが、今の祈月には爽やかな風情があった。

(こんなの花織子さんの写真にもなかった……!)

 体育の授業の時ですら、髪を括った姿はなかった。タオルで汗を拭いている写真はあったが、それとはまた違う――



「到理さん?」


 優羽陽に肩をつつかれ正気に戻った。見れば、祈月の方もきょとんとしている。

「どうしたの、固まっちゃって」

「……いや……」

「とりあえず台所は私、ちゃんと片付けますからね! 何だったらご飯のあと私が片付けるし!」

「わたしがやるよ。次に台所使う人に悪いし……」

「信用なさすぎ!」


 賑やかに言葉をかわす二人の隣で、硬直してもいられない。

 咳払いをして、その場に即した無難な発言をする。今まで祈月に見惚れたタイミングで何でもやってきたことだ。


「良い匂いがするが、何を作っているのかと思って……な」

「今匂いがするのは、多分豚汁だと思います。……お煮物の方かな?」

「……大根はいってる?」

「入ってるけど、優羽陽の分には入れないから安心して。あと、いわしが使った方が良さそうな感じだったので、蒲焼にするつもりです」

 おお、と声が漏れた。なんだかよく分からないが本格的だ。

「それで、お皿を少し探していて……食器棚、ありましたよね」

「こっちだ」


 椅子から立ち、食堂の片隅の棚を開く。祈月は横から覗き込むと、特に迷う様子もなく皿のいくつかを取った。

「ありがとうございます。あとは焼いちゃうだけですから、もうちょっと待っててくださいね」

「手慣れてるな……」

 感嘆と共に漏らすと、祈月は眼尻を下げた。

「さっきも話しましたけど、うちで料理番はわたしですから。母親がいないので」

「……そうだったな」



 祈月の家族構成は、ずいぶん前に対魔局から聞いていた。兄弟なし。母親は祈月が幼い頃に事故で命を落とし、以前同居していた祖母も亡くなって以来、会社員の父親と二人暮らし。

 当時は単なるデータでしかなかったが、祈月を知ってから改めて振り返ると、克明で重大な事実に思えてくる。



「料理は祖母と、あと優羽陽のお母さんに教えてもらって……父も、文句は言わないけど舌に合わないと顔に出るから、結構気を使ったんですよ」

「大変じゃないか、そこまでのものを毎日作るのは」

「さぼりたい時はさぼるので、そんなでもないですよ。今日は結構頑張った方です。天道さんが食べますから」

「俺が?」

 びくり、と心臓が跳ねる。

(俺が食べるから頑張ったということは……俺に食べさせるのが特別、ということか……!?)


「はい。初めてわたしの料理を食べる人に、こんなものか、って思われたくないですから」

 俺のふわふわとした空想とは裏腹に、祈月の返事は力強かった。そうなると、俺もすぐに冷静に戻れる。

「……実力を見誤られたくない、という所か?」

「優羽陽だけだったら、てきとうに焼きそばとかで済ませちゃうんですけど」


「聞き捨てならなーい!」

 後ろから優羽陽の声が飛んでくる。

「私にも祈月の本気ごはんをいつでも食べさせなさい!」

「そうしたい気持ちはあるけど、最近は魔法少女の訓練で忙しいから」

「くっ……到理さん、どうにか祈月の訓練を減らせませんか」

「無理を言うな。……というか、お前には母親がいるんだろ?」

「お母さん私が嫌いなものいっつも混ぜて来るんだもん!」


 子どものような駄々をこねる優羽陽に、俺は思わず苦笑し、祈月もくすくすと笑う。そうして祈月は、キッチンの方へ引っ込んでいった。

 俺は優羽陽と並んで椅子に座り直し、祈月の夕食が来るのを待つ。


「何で人の嫌がることをするんだろうね? 料理つくる人って……」

「作らないから分からん。……見ようとしてるのはどんな映画なんだ?」

「あー、家族のために定時運行に命を懸ける長距離バス運転手がマフィアの事件に巻き込まれるみたいなやつで……」



 話しながら、こんなに賑やかな夕食時は久しぶりか、ほぼ初めてかもしれないな、などと思った。

 多くの秘密があり、問題があろうとも、掛け値なしに穏やかな時間。



 それは一時間後、一本のメールが届くまでのことだった。

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