2-2
『
それは30年以上前に始まった、強力な霊能力者を人工的に創り出す計画だったという。
当時政府と有力な関わりのあった霊能力者たちが、『予見された霊的破滅』に対抗するべく始めた、倫理人道を度外視した大プロジェクト。
この計画の下で、何人もの子どもが育てられ、過酷な実験と修行を課された。
この計画の下で、子どもたちは人間ではなく、破滅に抗うための道具であった。
この計画の下で、天道到理は生まれた。
親もなく、霊感ばかりが優れ、暗闇で眠れず泣き続けていた赤子は、しかし天の道に到る
この計画が終結したのは、去年の夏頃だ。
今でも覚えている。朝早くから妙に外が騒がしいと思ったら、小さな女の子が突然、俺たち計画被験体が押し込められた、冷たい寝室に入ってきたのだ。
『うちは渚紗瞳美言います』
後の対魔局局長は、今日と変わらぬ姿で名乗り、俺たちを見た。
『びっくりさせてごめんね。君たちの生活は、ひとまず今日で一区切りです。今から君たちには、色々な診断と検査を受けてもらいます』
関西訛りの幼い声に、反抗する奴は一人もいなかった。
『その結果、心身に支障なしとなれば、君たちにはうちたちに協力してもらいたい。もちろん、選択は君たちに任すけど……』
だが結果として、『選択』した計画被験体は、俺と花織子さんの二人だけだった。
局長への協力を選択したのが二人だけだった……のではない。瞳美さんが『選択』させて良いと見なしたのが――心身に支障のなかった計画被験体が、俺たち二人だけだったのだ。
こうして俺たちは、瞳美さんの指揮する対魔局の局員として雇用された。
対魔局所属、霊能戦闘職員・天道到理として。
対魔局所属、予備霊能職員・天道花織子として。
だが――
◆ ◆ ◆
今日も俺は、情報関連任務6号に従事していた。
様々な方面から、魔法少女関連のニュースを洗う。その中に、漣優羽陽、甘美夜祈月という個人の情報が紛れていないかを精査する。
その任務を怠るつもりはない。だが、その一方で……
『太陽みたいに明るいあの子に』
『少しばかり傷をつける』
花織子さんの言葉が、頭の中で反響し続けている。
あり得ないことだ。
優羽陽は共に戦う仲間だ。それを傷つけるなどあり得ない。
『無敵の魔法少女に、怖いものがあるって教えてあげるの』
そんなことをして何になる? 優羽陽を萎縮させたところで……
(……祈月は優羽陽のどこが好きなんだろうか?)
ふと、そんなことを考える。
ちょうど画面には、太陽の魔法少女の戦う姿が映っていた。巨大な魔物を相手に、少しも臆することなく向かっていく姿。
伸びやかに跳ね、身体を繰り、表情には強気な笑みを浮かべて。
(もしも、祈月が優羽陽の自信に溢れた姿を好きなのであれば……)
優羽陽の自信は、彼女の能力が敗北を知らないことによるものだろう。
であれば、俺が彼女を敗北させられれば、祈月が好きな優羽陽の姿を損ねることができ……
(祈月が俺に振り向く可能性があるのか?)
後になって思い返せば、これが仮定に空想を積み重ねた、途方もなく馬鹿げた理屈だと判断できる。
そういった客観性を致命的に失うのが、ネスに憑かれるということだと、俺は我が身をもって学んだのだ。
(優羽陽――太陽の魔法少女)
画面の中に、彼女を称賛するテキストが踊っている。
最高の魔法少女。
『恐怖王』をただ一人で倒したヒーロー。
東京の守護者。
いつも笑顔で、皆に優しい。
文字通り、太陽のような存在。
俺の中で、怒りに似た感情が沸き立ってくる。
人々からの尊敬も、祈月からの慕情も、こいつは思うままにしているのだ。
魔法少女という、どこからともなく降って湧いた力を、たまたま手にしただけで。
辛苦の中で生き、お前を陰から支えた俺は一顧だにされず、お前が、何もかもを。
「……クソッ!」
がつん、と部屋の壁に頭を打ち付けた。
ジンジンという痛みの中、意識して爪を立て、頭を掻きむしる。
自分の思考がおかしな方向に進んでいるのは明らかだった。
自覚もあった。だが止めることができない。
そんなことを考えるな、と意識すればするほど、思考はむしろそちら側へと流れていってしまう。
(カリギュラ効果だ……)
いつか学んだ言葉を思い出す。思い出した所で、その禁じられるべき発想から意識を離すことなどできやしない。
『彼女を屈服させる』
いつも穏やかな花織子さんから、そんな言葉が出るとは思わなかった。優羽陽を屈服させる。そんなことをして何になるというのか?
「屈服……させる……」
非日常的な単語だが、口に出してみると急に現実めいてくる。顔を上げれば、溌剌とした優羽陽の画像。
俺はおのず、画面の中の少女を屈服させる想像をした。
あらゆる敵を打ち倒し、あらゆる人々に慕われる、恐怖を知らない笑顔。
それを歪ませることができたら、どれほど……気持ちが良いだろうか?
そして。
『到理くんなら、
事実俺だけが、それを成し得るのだ。
◆ ◆ ◆
今年の1月、その始め頃だったはずだ。
魔法少女の存在こそ知れど、まだ協力体制が確立されず、新設されたばかりの対魔局も侵略する魔物たちへの対抗手段を様々に模索していた頃。
俺が祈月と出会う前。
深夜、寮へと俺が帰ると、その老人は我が物顔で花織子さんの淹れた茶を啜っていた。
俺たちを作り出した『感生計画』の主要な指導者の一人だった。対魔局上層と警察組織が、合同で追跡しているはずの相手。
「久しいな」
彼は唸るように呟くと、折られた感熱紙――機密情報の共有に計画関係者がしばしば用いるものだった――を俺に突き出した。
紙を開く。記されていたのは簡素なパスワードだった。
内容を覚えた俺が花織子さんにそれを渡し、花織子さんがライターでそれを焼き落とすと、次いで記録媒体を投げ渡された。
「あの
前後がなく、それで当然自分の意図は伝わるであろうという、傲慢さの滲む言葉。
「お前だけは、検証し、想定しろ。天道到理。我らが計画の唯一の成功例よ」
彼はその言葉を、少しの躊躇もなく口にした。
「小娘どもを殺す手立てを」
魔法少女の正体が知れなかったその頃、いつその力をこちらに向けてくるとも限らないと考えることは、別に不自然なことではなかった。
俺は、彼の判断を妥当に思い、その存在を誰にも知らせず、言われるままにその準備を行った。
彼からのデータ提供は数度にわたり、ぴたりと止まった。同時期に、対魔局と魔法少女の全面的な協力体制が構築され、俺は祈月に出会った。
だから、その存在を知っているのは俺と花織子さんだけだし、実践できるのは俺だけだ。
対魔法少女戦闘マニューバ。
そう名付けた戦闘技術により、俺だけが、
◆ ◆ ◆
対魔局データベースにアクセスし、太陽の魔法少女の最新データを確認する。
霊的測定値――通常機器では測り得ない、魔法少女の特殊な能力の値について、その最新値を把握するのは絶対条件だ。
(こんなことは……間違っている)
もっともらしい理由をつけて申請を出し、押収品倉庫へ。
ここには『感生計画』の関連品が収められている。その中には、およそ常識では考えられない危険な武器も数多くあった。
だが、常識的な武器というのは所詮、同程度の能力を持つ人間を相手することしか想定されていないものだ。今の俺には非常識が必要だった。
(優羽陽を痛めつけて何になる。その後はどうするつもりだ?)
夜、二人で会いたい、と優羽陽へ個人チャットを送る。やるならば今日しかない――データベースアクセスや押収品の持ち出しがバレれば、いかに実直な勤務態度を貫いている俺でも、不審に思われることは分かり切っている。
暗い感情に浮かされながら、俺は冷静に計画し、行動していた。そんな俺をすら、醒めた目で眺めている自分がいた。
優羽陽から返事が来る。『分かった!!!!!!!!』 いつもの調子のメッセージに、計画の順調な進行を自覚し、背筋が粟立った。
(優羽陽に何の非もないことは分かっているはずだ……)
定時を過ぎた頃、兵器庫から必要なものを持ち出す。俺には合同管理者の権限があり、少なくとも明日までは異常に気付かれない。
そして、工作室へ。押収品倉庫から持ち出した武器を目的に合わせて調整し、装備を整える。
鏡に映る、ものものしい装備の自分。
どんな表情で俺はこんなことをしているのか少し気になっていたが、その顔つきはきわめて冷静だった。
(俺のやっていることには何の意味もない)
地下訓練場は、薄く耐衝撃材が敷かれた床以外は打ちっ放しのコンクリートに囲まれた、巨大な空間だった。優羽陽や俺も訓練のために日常的に利用する場所だ。
そして、運動訓練のための大がかりな仕掛けも存在する。タイマー動作と遠隔操作、どちらも有効だ。遠慮なく使わせてもらおう。
(それがどのような過程を経てどのような結果に終わろうと、優羽陽は傷つき、俺の立場は損なわれ、きっと祈月は悲しむだろう)
すべての準備が終わった時、壁の時計は21時20分を示していた。
あと10分で優羽陽が来る。あるいは数分の前後があるかもしれない。どちらでも構わない。訓練場までの通路に人感センサーを仕掛けてある。
俺は汗を拭って、ベンチに腰かけた。
静寂。
照明に照らし出された訓練場に埃が舞っている。
(今からでも止めるべきだ。すべてを元に戻して、誤魔化して……)
「お前だって分かってるんだろう?」
口に出して言う。
「間違っている。何にもならない。あいつに何も非はない。何の意味もない。祈月が悲しむ……今からでも止めるべきだ。そんなことは百も承知なんだ」
(付け加えるなら、これは明らかに異常な事態だ)
「ああ。俺にネスが憑いている。それはもう分かり切っている。こんなに理に適わないことを、本来の俺はしない」
(しかも、
「感情の増幅から異常行動へ移るまでが速すぎる。通常は短くとも5日はかかる所、どんなに長く見積もっても2日」
(花織子さんが俺に嘘をついていたことも問題だ。もし今朝、俺にネスが憑いていると自覚できていたら、こんなことになる前に適切な手を打っていた)
「この状況を仕組んだのは花織子さんだ。だが単独犯か?」
(なぜこんなことをする? 誰が得をする?)
「『感生計画』の残党か?」
(『恐怖王』のような人間に近い知性の魔物か?)
「分かってるんだろう?」
人感センサーが俺のスマートフォンに、来客の接近を告げた。
「どうでもいいんだ。そんなことは全部」
地下訓練場は静寂に満ち、返事はない。
俺の声は、ぼそぼそとして疲れきっていた。
「敗北を知らず、恐怖を知らず、皆に尊敬され、祈月に好かれる優羽陽を……負かせて、恐れさせて、見下ろすことができる」
嫉妬の相手が、痛めつけられ、失い、不幸になることを望むのは、当然のことだ。
機会があれば手ずからそれを行い、最も近くでそれを見下してやりたいとも。
ただ普通は、善性が、社会性が、客観性が――理性がそれを許さないだけである。
いま、理性の制止は聞こえない。
ぴんとした静寂を揺らすのは、何も知らない優羽陽の、無防備な足音だけ。
立ち上がり、息を吐く。
勝負を前に全身が緊迫で震え、しかし滞ることはない。
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