2-3

「いっいっ♪、到ー理さん! 来――!?」


 私が地下訓練場に足を踏み入れた途端、パンパンという音と共に、吹き出した煙に視界が塞がれた。

 その黄色っぽい煙は熱っぽいのに、触れた肌は冷え込み、そして痛みが走る。


「何、なッ……ゲホッ! ゴホ!」


 咳き込む口元を押さえる。目も……開けていられない。顔を庇うように、身を丸くする。

(何何何!)

 パニックだ。一体何が起こっているのかまったく分からない。

 私はただ到理さんに呼び出されただけだ。昨日、今日と顔も合わせられなかったし、チャットでも様子がおかしかった所に『大事な用事がある。二人だけで話したい』なんて言われた。だから来た。

 それ以上の経緯も情報もないし、だから私の身に何が起こっているのかなんてまったく想像がつかなかった。


(到理さん、いるの!? 大丈夫なの!?)

 胸ポケットのピンリボンに手を伸ばす。少し大げさな気もするが、とにかく尋常な状態ではない。

 これを髪に結び、胸に湧く願いの言葉を口にする。太陽の魔法少女へ変身する、幾度となく繰り返したプロセス。


 目をぐっと閉じたまま、私は後ろ髪を束ねてピンリボンでポニーテールを作り……

「?」

 くい、と顎を押し上げられた。俯かせていた顔が前向きに持ち上がる。

 細目を開くと、依然色の付いた煙で判然としない視界の中央に、黒っぽいものが見えた。かつては映画の中でしか見たことがなく、今となってはすっかり彼の手の中に見慣れた、黒い金属光沢。


(銃――)


 その正体を理解するのと、口の中に冷たい銃身が押し込まれたのは、ほぼ同時だった。



  ◆   ◆   ◆



 魔法少女は死なない。


 概念や思想の話ではなく、事実として魔法少女は基本的に死なない。

 魔力、というエネルギーソースがまず彼女たちの中にあり、傷が生じればすぐにそれを治療し、重傷はそもそも発生させずバリアで防ぐ。


 だから、こんなにわかりやすい戦いはない。

 どんな過程であれ、俺が無力化されれば負け。

 あらゆる手段でダメージを与え続け、優羽陽の魔力を尽きさせられれば勝ち。


 そして、変身の前と後なら変身前、体表と体内なら体内の方が、バリア展開により多くの魔力を消費することを、俺は知っていた。



 だから俺は、まず刺激性のガスで優羽陽の不意を突き、動きを止めた彼女の口内に鉛玉を撃ち込むことにしたのだ。


 ダン、という銃声と共に、優羽陽の身体が吹き飛ぶ。

 相手がただの人間だったら俺は返り血に塗れていた所だが、相手は優羽陽だ。バリアによる反作用で腕がジリジリと痺れた。サポーターをしていなければ骨をやってしまっていたかもしれない。

 もちろん、そんなことで俺は止まらなかった。ガスマスクに付属した赤外線ゴーグルで優羽陽の身体を捕捉し、さらに引き金を引く。撃ち込まれる退魔弾が、通常の銃弾よりも魔法少女に通用する……バリア展開に消耗する魔力量が多いことは検証済みだった。


 壁際で弾丸に撃たれ、優羽陽の四肢が躍る。装填分を撃ち尽くし、次の拳銃に手をかけたところ、

「……皆をっ、守れますように……!」

 苦しげな声と同時、光が溢れた。熱源が、俺の後方へ跳躍する。


 振り返った俺の、ガスマスク越しの視野でも、その姿はよく見えた。

 ライトブラウンのポニーテール。オレンジカラーの、しなやかで華やかな衣装。


(……来たな)


 太陽の魔法少女。



  ◆   ◆   ◆



「……到理さんッ!!」


 声を上げずにはいられなかった。ガスマスク? のようなもので顔は見えなかったが、あの背格好は間違いなく到理さんだ。間違えようがない。


「ちょ……っと状況分かんなくて、ごめんなんですけど! 相談があるって話で……ったあ!?」


 今度は理解できた。左右から銃弾が撃ち込まれていたのだ。訓練の時にも使った自動機銃セントリーガン……センサーで私を追尾する、壁に埋め込まれた銃から放たれたものだろう。

 結構色々な所に埋め込まれているそれらが、私の知る限りほぼすべて起動して、私に銃口を向けていた。一番最近の訓練でもそんなことはしていない。


 そして、訓練の時に用いられるのは命中してもそこまで痛くない、マーキング用のペイント弾だった。今は違う。

「痛ったい痛ったい!」

 ものすごく……痛い!



「本来は痛いどころじゃあ済まないんだがな」

 到理さんはそんなことを言いながら、やっぱり拳銃を私に向けて構えている。

 別に普段からそこまで表情を変える人ではないけれど、それでもガスマスクで顔が見えないのが、なんだかすごく恐ろしかった。


「到理さん到理さん!!」

 私はもう一度その名前を呼ぶ。

「これその、痛いっ痛いっ、これ何!? 訓練ですか? 私の変身がどれくらい保つかの……耐久試験みたいな!?」

「そうだ。できる限り攻撃を回避せずに耐えてくれ」


 いつも通りの口調で、そんなとんでもないことを言う。一瞬、本当にそうなのかと思いそうにもなったが、そんな可能性はすぐに蹴っ飛ばした。

「嘘! 訓練メニューはラジュンさんと一緒に安全第一で考えてるって言ってくれてたでしょ! ラジュンさんいるの!?」

「別室でモニター中だ」

「……嫌だったら止めていいとも言ってくれたよね! 止めて! こんなの嫌なんですけど!」


 そう声を上げると、ぴたりと攻撃は止まった。到理さんが後ろ手で何か操作するのが見えた。

 一息つけるのも束の間、今度は足元から煙幕が吹き出てくる。これも視界が悪い中での活動訓練で見た仕掛けだった。


(でも、やっぱりこんなに濃くなかった……!)

 煙幕の強さは調整が可能だと聞いていた。今まで使ったことのない濃さに設定されているんだと思う。でも、なぜ?

(なんか……絶対おかしい!)


「……全域制ヴァーサタイル・リスト…、げふッ!?」

 迷いながらもスキルの言葉を口にしようとした所で、今度は喉に、鋭く打たれるような衝撃が走った。魔法少女のバリアで傷にこそならないが、痛みだけは伝達される。

 私は後退の勢いのまま跳んだ。振り切った煙幕の内側から幾度も銃声が上がり、弾丸が私の身体を刺す。

…レイント!!」


 途切れた言葉を言い切ると、身体の内側を風が吹き抜けるような感覚があった。

 それは、全身に魔力が漲り、私が私の身体を『制御』できるようになった証のようなものだ。ただ……


(……いつもより少ない。攻撃を受けすぎたせいだ)


 そして多分、到理さんの攻撃はそれを狙っていたんだと思う。どうして? ……その理由も、今は少し分かる。


(ネスの匂いがした……普段とはちょっと違う。『恐怖王』に似てるけど、それとも違う)

 拳を固めて、煙幕を見る。ガリガリと音を立て、訓練場の随所に私の背丈程度の遮蔽柵が立ち始めた。

 これも訓練に使ったことのある設備。今は到理さんがコントロールしているんだろう。

 私を、倒すために。


(話さなくちゃ)


 落ち着いて結論を出す。頭の中は『分からない』でいっぱいだけど、やるべきことは分かっていた。


(到理さんのこと、教えてもらうから)



  ◆   ◆   ◆



 魔法少女の最大の弱点は精神の未熟さだ。

 それは対魔局の方針の賜物でもある。魔法少女を兵隊にしない……『感生計画』の結末を見た局長の強い意向で、魔法少女たちは彼女たちの日常から切り離されることなく、能力の活用訓練だけを行っている。


 だから根本的に不意打ちに弱い。現在の体制で、魔物相手に不意打ちを受けるということがあり得ないからだ。

 あの状況なら、一も二もなく『全域制御』で身を守りつつ状況を把握しにかかるべきだった。

(もっとも、本当に最速で使われていたら俺に勝ち目はなかったが……)


 結局、彼女が『全域制御』を発動させたのは、煙幕に紛れてナイフで首を刈った直後だった。

 こうなると、ほどなく煙幕も見通す視力を得てしまうことだろう。そうなれば俺が一方的に不利になるだけである。俺は後ろ手にスマートフォンを操作し、煙幕の噴出を止め、同時に次のステップへ移る。訓練用遮蔽柵の展開。



「到理さん!」

 優羽陽の声。

「あの……ネスが憑いてます! 昨日と今日、会わない内に……だから、なんとかしたいと思ってるんだけど」


 遮蔽の影から影へ移動する。

「私、全然分かんなくて。到理さんがどんな気持ちを抱えてて、どんな気持ちを抑えれば良いのか。だから……」

 優羽陽のお喋りは止まらない。おかげで所在が丸分かりだ。

「協力して欲し……っ痛たたぁ! い、いつの間に!」

 その後方から3発銃弾を撃ち込んでやる。振り向いた瞬間にはもう姿を消している。



 先ほどから、俺は単に遮蔽から遮蔽へ移動しているのではない。時にわざと音を立て、時に足音を殺している。

『全域制御』は優羽陽が思った通りに身体を動かす力。逆に言えば、優羽陽がそうしようと思わない限り、彼女の力は応えない。

 優羽陽が『移動音は聞こえている』と認識していれば、押し殺した動作音までは聞き取られない。押し殺した動作音を聞くぞ、と優羽陽は発想しないからだ。

 こうすることで俺は所在を撹乱し、不意を突ける。


 対魔法少女戦闘マニューバとはすなわち、魔法少女の圧倒的な力に対する精神的な未熟さによって発生する隙を算出し、それを渡り歩いて攻撃をねじ込み続ける、戦闘発想法なのだ。



「もうっ……うわ!?」

 跳躍した優羽陽を、再び動作し始めた自動機銃が襲った。遮蔽柵のせいで俺の姿を捉えられずに焦れた優羽陽がどうするかを先読みして俺が操作しただけだ。


「ちょっとこれ、緊急事態、だからっ!」

 四方から撃たれながらもなんとか遮蔽柵に着地すると、柵から柵へを跳び渡り、自動機銃の死角へ滑り込む。そして、大きく跳躍。

「壊してっ、すみません!」

 銃身を掴み、壁を蹴る。その勢いで機銃を引き抜きながら、別の機銃の元へ移動。道すがら受ける銃撃は、引き抜いた銃で防ぐ。次の機銃も同様に掴み――


 爆音。

「わえっ!?」

 引き抜いた銃身が、優羽陽が跳躍すると同時爆発する。俺が遠隔操作で、機銃に仕込んでおいた炸薬を爆破したのだ。優羽陽は空中でバランスを崩し、なんとか地上に着地するも、その過程にやはりいくつかの銃弾が突き刺さる。


「……到理さんっ!!」

 声に怒気が混じる。彼女が強力な魔物と対する際、時折上げる声だった。

(だが、俺は魔物とは違う。俺はお前のことを知り尽くしているぞ)


 こうなった優羽陽は、どうするか? 自動機銃からの攻撃を避けるべく地上に戻り、遮蔽柵を使って俺へと接近してくるだろう。

 先ほどの跳躍の最中、俺の位置を特定する機会はあったと見るべきだ。彼女の力は、そういった小さな動作の並列実行に特に秀でる。


(肉弾戦になれば、俺も打てる手はほとんどない……)

 もはや設備の操作すら叶わないだろう。俺はその場にスマートフォンを捨て、右手にナイフ、左手に拳銃を握る。

(……しかし、優羽陽。お前はあと何発持ちこたえられる?)



  ◆   ◆   ◆



 身体の内側に、風をほとんど感じない。

 魔力の消耗があまりに激しい。力の使い方にもよるが、受けられる攻撃はあと二、三発だろうか。

 これほどまでに追い込まれたことは、今まで数えるほどしかない。そしてそういう局面では、星良や祈月、そして到理さんが一緒だった。

 今は一人だ。


(……チャンスだ)

 でも、私は焦らなかった。焦りというのが間近に迫る危機への恐怖感から来るものだとしたら、それは私には関係のないものだ。

 ようやく攻撃が止んでくれた。到理さんの位置も把握できている。到理さんを逃さず、攻撃を決意させないくらいの間合いを取れれば、やっと会話ができる。


「……ものすごく痛かったんですけど」

 到理さんへ、静かに声をかける。

「手榴弾とか、使ったでしょ。爆弾があることは知ってたけど、まさか私が受けることになるなんて」


 返事はなかった。でも、気配はある。じっと息を潜めて、こちらの様子を伺っている。

 ……何をどう話せば良いのか、少しだけ迷った。でも結局、ネス憑きの人と話すように話すしかなかった。いつも通り、正直に。



「……到理さんにそういう、ネスに利用されるような感情があるなんて思わなかった」

 遮蔽の影に身を屈めて、数歩先の気配に向けて言葉を投げかける。

「到理さん、いつも冷静で、私みたいなバカにもちゃんと色々教えてくれるし、真面目で、かっこいいし……あっ、かっこいいのは関係ないか。でも、すごく訓練とかしてたって聞くし」

「…………」

「ごめんなさい。考えてみたら、到理さんにもあるよね、そういうの……本当に全然考えたことなかった、私」


 五感を強化していたおかげで、わずかに息をつく音が聞こえた。


「教えてよ、到理さんのこと。どうしてネスに憑かれて……どうして私に攻撃してるの?」

「…………本当に分からないのか?」

「うん」


 頷いたが、それは少し嘘だった。

 あの『恐怖王』を倒して以来、私はすっかり注目を集めてしまっている。対魔局なんていらない、太陽の魔法少女さえいれば十分だ、というニュースを見かけたこともある。

 それに関する不快感は、あっても不思議ではないかな、と思っていた。だからって、私を倒そうとするほどになるとも思えなかったけど。


「教えてくださいよ、到理さん」


 ず、とり足で僅かに距離を詰める。姿は見えないが、到理さんも身じろぎする気配がした。


「私を倒そうとしてる理由を」



  ◆   ◆   ◆



 最後の機会が来たと思った。


『理由』をぶつけてやればいい。

 太綱神社での一件を思い出せば、優羽陽は同性同士の恋愛感情というものを一切理解していなかった。

 ならばそれは、まったく想定されていない事実であるはずだ。


(魔法少女の最大の弱点は、精神の未熟さだ)


 二人は友人で、星良が倒れて以来たった二人の魔法少女同士である。

 そんな相手が、実は自分にそういった感情を向けていると知った時、優羽陽は動揺せずにいられるか?


(勝てる)


 高揚する。心臓が歓呼する。告げてやればいいのだ。

 俺が祈月を好きなこと。なのに、優羽陽がいる限りその気持ちは届かないこと。

 何故なら、祈月は優羽陽に――


『わたし、天道さんのことを信じています』


 不意に。

 あの展望室での彼女の声が蘇ってきた。


『だから理由も話します。でもこのこと、誰にも話さないでください』

『優羽陽にも、絶対にです』


 息が詰まる。

 優羽陽へ容赦するつもりはない。そこに躊躇はない。だが。


(祈月は、俺を、信頼して――)


 ……祈月好きな人を裏切る覚悟はできていない。



  ◆   ◆   ◆



 決着は一瞬だった。


 到理さんの息が乱れた瞬間に私は飛び出し、その両手の武器を弾き飛ばした。

 到理さんも反応しようとしたが、ろくな対応もできなかった。私はそのまま彼に馬乗りになり、両腕を抑え込む。倒れたはずみに、ガスマスクが弾けて外れる。


「ぐ、っ……」

「到理さん!」


 久しぶりに見る到理さんの顔は歪んでいた。彼はいくらか抵抗しようとしたが、魔法少女の膂力に勝てるわけがないことをすぐに思い出し、苦々しく嘆息する。



「……馬鹿馬鹿しい。未熟なのはどっちだ」

「え?」

「独り言だ」


 力なく首を横に倒し、目をそらす到理さん。その顔はずいぶん弱っていた。

 だけど、私だって容赦してあげられない。


「まだ聞いてない」

「…………」

「到理さんの中のネスを追い出すには、到理さんの感情を押さえないと。それができるのは、魔法少女との対話。でしょ?」


「馬鹿馬鹿しい……」

 到理さんはもう一度、より強く自嘲するようにぼやいた。そして、目だけを私に向ける。

「話す気はない」

「駄目」

「一度話さないと決めたんだ。話せない」

「話してください」

「ネスならどうにかして……」


「信じたいの!!」

 全域制御の力は既に解けていて、だから想像よりも大きな声が出てしまった。

 でも、これは私の偽らざる本音だ。


「信じさせてほしいんだよ……到理さんのこと!」

「優羽陽……」

「魔法少女でもないのに、一緒に戦ってくれる! いつだって正しい判断をして、私を助けて導いてくれる! そんな人他にいる!?」


 特別な力があるわけでもない。魔物に対して有利に戦えるわけでもない。

 それなのに一緒に戦ってくれる人のいることが。

 魔物との戦いを私たち魔法少女だけが背負わずに済むと思えることが、どれだけ救いになったか。



「……到理さんが話さないって言うなら、きっとそれが正しいんだと思う」

 いつの間にか、声が掠れていた。視界も涙で滲む。

 信頼する人に攻撃された悲しさが、今になって追いついてきたんだろうか。

「それでも……それでも聞きたいよ」

「お前、泣いて……」

「到理さんのことを信じたい。少しの不安もなく。私には、それ以上に大事なことがあるなんて思えない」



 到理さんの腕を抑え込んでいた片手で、目元を拭う。彼は私の下から逃げようともせず、目を細めた。

「……後悔するぞ」

「それでもいい」

「お前の想像している以上だ」

「それでもいい」

「お前はそうでも……」


 何か言いかけ、到理さんは溜息を吐く。

 観念したように目を閉じた彼は、それからしばらくして、静かに唇を開いた。

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