3-5
天道花織子は、対魔局にその存在意義を否定された。
私の霊能は探査能力であり、特に射程に優れていた。
常人は気付けない霊的存在を、遠い所からでも探知することができる。それが『感生計画』の大人たちに認められた強みだった。
対魔局には、生活圏をほぼカバーする精密な対霊探査ネットワークがあった。
携帯電話の基地局とSIMカードを連携させ、機械的に広域かつ精密な探査を可能とする仕組みだと聞いた。その強度は、あらゆる面で私を圧倒していた。
(私が能力で勝つには、離島にでも行かなきゃかな)
そんなことを思ったのを覚えている。
もちろん、対魔局の局長、渚紗瞳美は決して私を不要とはしなかった。
『到理くんには戦闘要員をやってもらうけど、彼、色々危なっかしい所あるやろ』
その拙く胡散臭い口調が、私は苦手だった。
『色々フォローしてあげて欲しいんよ。同じ境遇の、歳近い子同士だから話せる悩みも、きっと出てくると思う』
……この局長の予想はのちに的中することになるのだが、それはまた別の話だ。
意外でもなかったが、予備霊能職員というポジションはなかなか暇を持て余すものだった。主な管轄である寮内は何日かかけて全体を掃除できれば十分だし、到理くんの面倒だって、基本的に料理と洗濯をするだけだ。
そんなことだから、私はしばしば街に出て、対霊探査能力を使って対魔局の探査結果とズレがないかを確かめていた。自分の力が鈍っていないかの確認行為。
私はまだ、『感生計画』の日々に意味があったのだと信じたかった。
そんな私の姿が彼の目に止まったのは、きっと必然だったのだろう。
嫡主を名乗る彼。嫡主とはすなわち、
◆ ◆ ◆
「およそ到理くんの考えている通りだと思う」
花織子さんは自分の髪を軽く撫でて、俺の正面へ座った。
「あなたにネスを憑かせていたのは私。そして、到理くんの中でそれが芽を出すのを後押しした。予想外のこともだいぶあったけど……結局は、おおむね計画通りに」
「……何が、あったんだ?」
多くの疑問が渦巻く中、辛うじて俺はそれを絞りだした。
「ネスを憑かせることも、それによって急速に人を暴走させるなんてことも、観測されたことのない事象だ。どうやって花織子さんがそんなことを……」
「『
馴染みのない単語を、彼女は口にした。
「魔界には、そう呼ばれる者が何人かいる。私はその一人から力を貰ったの」
「……『恐怖王』のような奴が?」
「種類としては、そう。力としては、圧倒的に劣る。『恐怖王』は
「協力者にか」
「ええ。『嫉妬の嫡主』。その力を一部与えられて、彼らの侵攻をアシストする役目。『恐怖王』を倒した魔法少女を排除するの」
花織子さんは笑みを浮かべて続ける。
「そのために到理くんに、嫡主から預かった強度の高いネスを憑かせて、それが成長するのを待っていた」
「そして俺を唆して、優羽陽を倒させようとしたんだな」
「まさかあんな理由で急速に成長するなんて思わなかったけど。おかげで計画、全部前倒しよ。ふふ……」
「……俺は優羽陽を倒せなかったが」
指令室を見渡す。
「その計画とやらは、まだ進んでいるんだな?」
「ええ。嫡主から受け取った力で……皆の魔法少女への、やりきれない気持ちを思い出してもらった」
到理くんも分かるでしょう? と、花織子さんは歌い上げるように語る。
「対魔局に集められた霊能者は、みんな人生を賭けてその力を磨いてきた。ダダさんの妖術、マエさんのクダ、エリさんの『祭見』、ラジュンさんの気功。その他すべてを結集させて、魔界の侵略に備えるのが対魔局の役割だった。だけど……」
「……魔法少女が現れた」
「そう。キラキラ、フワフワしたあの子たちが、突然主役になってしまって、皆裏方に追いやられてしまった。もちろん、それで良いという気持ちが大半だったでしょう。それでも……自分たちが、魔法少女に劣等していることが度し難く、魔法少女の失墜を望む気持ちはあった」
花織子さんは背後にいくつか浮かんでいたネスの一つを手に取る。澱んだ半透明の球。
「だからそれを、解き放ってあげたの。到理くんと同じように」
「く……」
彼女が手にしたネスからは、じくじくと穢れた魔力が溢れているように感じた。
「駄目よ」
目をそらそうとすると、ぐいと距離を積めた花織子さんが俺の頭を押さえる。
「これは『嫉妬』。それは他者を知り、比較し、より良くあろうとする知的活動の副作用。ゆえに、知性があり、孤高でない者は、それを知覚する」
俺を襲ってきたラジュンさんも、マエさんもエリさんも、皆どこか割り切れていない表情をしている。
それでも、するべきことはするのだろう。優羽陽を冷たく仕留めにかかった俺のように。
……そして、デスクの陰に転がされている局長。局長にはそれが『効かない』からこうして拘束されているわけだ。
「あとは可愛い二人が寝静まるのを待って、対魔局と私たちが寮に奇襲をかけて、それでおしまい」
俺は拘束の具合を確かめる。背後で両手首を縛られているだけ。足は動く。ただし、ラジュンさんが目を光らせている。迂闊に動けばまた打撃され、ダメージが嵩むだけだ。
「……随分とペラペラ喋ったな」
「到理くんにも納得してほしくて……あ」
喋る途中、何かに気付いたように言葉を止め、花織子さんはエリさんを振り返る。
「もしかしてあの、悪役の白状を録音なり通信なりしてどうにかする、ドラマとかでお馴染みのやつ、やってたりする?」
「録音は分かりませんが、少なくとも無線通信は遮断できています。寮の方にも妙な動きはなし。映画の音が止まったりはしていません」
(……やはり盗聴か)
ここに来た時から、エリさんはずっとしきりにイヤホンを気にしていた。
そして、通信遮断が行われているのも予想通りだ。指令室にはそういう設備があるのを聞いたことがある。
「ですよね。良かった」
花織子さんはほっと安堵した表情を浮かべると、陽炎のように揺れる球体を、おもむろに俺の胸に押し付けた。
「ぐっ……!?」
ネスはほとんど抵抗なく、俺の身体の内側へ沈み込んでいく。最後に花織子さんの手が胸に触れて、同時にどくんと大きく鼓動した。
「到理くんは他の局員とはちょっと違うけど……『嫉妬』に変わりないよね」
俺の頭を撫でて、花織子さんが耳元で囁きかけてくる。
「……祈月さんは相変わらず、優羽陽さんのことばかり考えているでしょう?」
(クソ、こればっかりは……!)
脳が急速に回転をし始め、情報を濁流のように吐き出して行く。祈月の笑顔。困った顔。後ろめたい顔。
優羽陽を想って涙ぐみ、優羽陽のために星良を盾にすると自己嫌悪していた、その横顔。
秘密を共有して、様々なことを話し、今日一日で知らなかった祈月の表情を数多く知った。
だが、そう。俺だって気付いている。
(――その表情はすべて、優羽陽のためのものだ)
『天道さん!』
その声は唐突に俺の耳に届いた。
はっと顔を上げる。俺だけではない。指令室にいた全員が。
「祈月さん……!?」
そう、それは祈月が俺を呼ぶ声だった。俺が入ってきた扉の向こうから。
「いえっ、対魔局に来た痕跡はありませんが……」
『天道さん! 来ましたよ!』
「だが、間違いなく本人だろう。この声は……」
ラジュンさんが警棒を構えたまま、俺の入ってきた扉へ向かいかける。
この瞬間を待っていた。
「……っ違います! これは!」
花織子さんが気付いたが、もう遅い。俺は椅子を蹴って駆け出す。
ラジュンさんが振り返る。遅い。肩から衝突し、体勢を崩させる。反撃を見越して後退。身を後ろに捻り、足を振り上げる。
「オゴッ……!!」
狙いは股間。防具の感触はあったが、それを突き抜けてなお、男性最大の弱点にダメージが及んだはずだ。
『天道さん! こっちです!』
祈月の声は依然、扉の向こうから聞こえてくる。俺はそちらを目指すような勢いで、よろめいたラジュンさんの脛を蹴り飛ばす。長身が転倒するのを避け、警棒を持った手を全力で踏みにじった。
「ぐっ……くっ、キサマ、天道……!」
怒声も、足の下から発せられるものはそう怖くない。
『大丈夫ですか? 天道さん……』
ラジュンさんを押さえつけたまま、思い切り前に屈み込み、拘束された後ろ手を勢いよく振る。さらに、手首を
「っぐぅ……!」
声が漏れたが、これで拘束から抜けることができた。手首を嵌め直し、振り返る。
「祈月さんはいません! これは……スマホ?」
エリさんは画面を睨んで――おそらく扉の外の監視カメラの映像が映っている――、不機嫌そうに眉間へしわを寄せていた。
『天道さん天道さん! 見てください!』
依然続く祈月の音声を打ち消すように、花織子さんが声をあげる。
「無視してください! ただの音声データです!」
その通りだった。その声を発しているのは、指令室に入る前に入り口脇に置いておいた俺の携帯端末である。
マエさんは驚き半分、不可解半分といった様子だった。
「用意したんですか? この短時間で……」
「手元にあった音声データをアラームで鳴るようにしただけです。対魔局全体、怪しいことには気付いてましたからね」
「到理くんの名前を呼ぶ祈月ちゃんの音声データを、こんな事態のためだけに? ……用意周到ですね」
俺は不敵に口角を上げ、否定も肯定もしないでおいた。まさか趣味とは言えまい。
「……だとしても、こんなの狂騒でしょう。到理くん」
扉の向こうのアラームが止まった。おそらくマエさんの
俺は扉を開けようとしたが、ガタガタと音を立てるばかりで開くことはなかった。
「ロックしたか」
「ええ。そこまでよ。……優羽陽さんへの嫉妬心はどうしたの? 私の力が効いていなかった、ということではないと思うけど」
「ああ。今も正直、あんまりそのことを考えると脳が煮えくり返りそうだ。だがそれでも、祈月の声を聞くと、悪いことはできないとなる」
「恋の力かぁ……」
「もっと言うと、だ」
羨むような声の花織子さんに、一歩迫る。
「もう一つだけ仕事が残っているんだ。花織子さん」
「……何?」
「さっき、言ったな」
それは何気ない一言で、しかし決定的に聞き逃がせない一言だった。
「『
「……!」
花織子さんが一歩引き、背から拳銃を抜いて構えた。だが構えが拙い。手近のデスクに置いてあった本を目眩ましに投げながら、身を屈めて接近。
銃撃音。マエさんが悲鳴を上げただけだ。何にも当たっていない。そのまま接近距離に入って拳銃を握る手首を押さえ込む。
「パソコンをロックして!!」
花織子さんが今までで一番大きな声を上げた。他人への指示だ。今端末を操作しているエリさんに向けて。
俺は花織子さんの足を踏みつけ、そのまま跳躍してデスクの上に飛び乗った。もうひと跳びし、今まさに何か操作しようとしていたエリさんのキーボードを蹴り飛ばす。
「きゃあっ!?」
画面の映されたウィンドウの一つを見る。
それは都市圏を覆う対霊探知システムの設定画面だった。本来24時間動作しているべきその機能が、一切合切オフになっている。
俺はほぼ反射でその全てをオンにした。最後に通知機能をオンにしようとして……画面が切れた。
「……乱暴するじゃない」
俺を睨むエリさんが、端末のコンセントを手にしていた……電源を抜いたのだ。
「すみません」
「謝られてもね。……でも、全部をオンにはできなかったでしょ」
「つまるところ、あなたは……」
俺へ拳銃を向ける花織子さんに、改めて向き直る。
「寮で祈月と優羽陽を油断させて、嫉妬で暴走した対魔局の局員で奇襲をかけるだけではなく、魔物も……いや、その嫡主というのもか? 呼び込んで、封殺するつもりだったんだな?」
たとえどれほど油断していても、魔界への穴が開いて魔物がやってくれば、対霊探知システムが反応し、アプリに通知が届く。
それを防ぐために、システムの動作を大元から切っていたのだ。
「……まさかそこまで看破して対応するなんてね」
花織子さんは否定もせず、困ったような笑みを浮かべていた。
「さすが、
実際のところ、淡々とした様子のその口調に、俺は底冷えするような恐ろしさを感じていた。
花織子さんもネスによって暴走している、と言ってしまえばそこまでだが、ならばその嫉妬の矛先はどこに向いていて、何故こんなことをしているのか?
「……機能はほとんど復帰してますね。でも……通知はされないみたい」
先ほどから小さくなっていたマエさんが、小さくなったまま自身のスマホを確認して報告した。
「だから、あの二人が自分でわざわざアプリを開くようなことをしなければ問題はありません」
それを聞いた花織子さんは、わずかに息を吐いて俺を見る。
「じゃあ、ここからは賭けね。あの二人のうちどちらかが、楽しいお泊まり会の間に、アプリをわざわざ開いて見たりするか、どうか」
「いや」
俺はかぶりを振った。
「賭けは成立しない」
「あ……新たに二つの反応!」
アプリを見ていたマエさんが、悲鳴じみた声を上げる。
「これっ……魔法少女です……!!」
◆ ◆ ◆
『二人とも、会話を続けながらこのメモを見ること』
『理由:食堂周りに隠しカメラの類いがないのは調べたので間違いないが、盗聴器類が隠されている可能性はあるため』
『スマホも画面がトレースされている可能性があるので、紙を使う』
『俺たちの知らない内に、何か事態が大きく進行している可能性がある』
『映画がエンドロールに入って、まだ俺から連絡がなかったら、何かトラブルが発生している前提で、二人の判断で動いて欲しい』
『あらゆる可能性を考慮して、慎重に、迅速に』
「……スパイ映画みたいなこと、到理さんが始めたときは、正直ちょっとやり過ぎじゃん? って思ったけどさ」
寮の門灯に照らされて、優羽陽がピンリボンを手に後ろ髪を束ねている。
わたしはその隣で、ピンリボンを横髪へ添わせている。
「まさか当たりだなんて。なんかちょっと、ワクワクするね?」
「もう、そんなこと言って。天道さん、大丈夫かな……」
「そうだねえ。どこから手を付ければ良いか正直分かんないけど、とりあえず……」
「うん」
「皆を守れますように!」
幾度となく口にした願いの言葉に応えて――
「穏やかな日々が続きますように」
夜空の下、魔法の光が溢れ出す。
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