第46話 二人
由美の心に力が
「遅い!」
『悪かったよ』
嬉しさを悪態で表し、割れそうな壁を複数の刃へと変化させる。由美を握り潰そうとしていた荒魂の手は、手首から先を霧散させた。既に核を破壊していた左手で掴んだのは、久隆の油断による失策だ。瞬時の再生とはいかないだろう。
拘束から解放され着地するまでの間に、由美の槍は荒魂の左膝を貫いていた。片足を失い崩れ落ちる巨体を避けつつ、由美は薙刀を手にした。
体勢を立て直そうとしているのか、荒魂は両手をじたばたと振り回す。哉太が合流する前と比較して、明らかに動きが鈍い。
『お前、何を……』
『あんたの真似だよ!』
哉太と久隆、二人のやり取りが由美の中に入ってくる。互いが互いの意志を遮断しようとしている。力同士がぶつかっているため、荒魂の操作が
ここで二対一になったことで、形勢は逆転した。人と人との戦いならば、先に手の内を見せた方が不利になる。
「はぁっ!」
由美は薙刀を振るい、暴れる右腕を斬りつけた。二の腕にある核が破壊される。
これで残りは、左胸のひとつだけだ。
『由美、わかった。こいつの力の意味だ』
「なに?」
刀に持ち替えた由美が、転がる荒魂の背に上った。最後の一突きで、巨大荒魂の排除は完了だ。今このタイミングで話すことなのか。由美は哉太の言葉に違和感を覚えた。
『もう、実体がないんだ。だからあんな力の使い方ができる』
『そうだ、だから、こういう事もできる』
『やらせるかよ!』
『もう遅いね』
短い会話の後、由美の中から久隆の意思が消えた。
『避けろ!』
「えっ」
右側に荒魂の拳。あまりにも唐突で、由美は視線を向けるのが精一杯だった。
『くそっ!』
由美と荒魂の間に、簡易の盾が四つ重なって展開された。無兆対策で用意していた、哉太が操るものだ。
あくまでも無兆の攻撃を受け流すための盾だ。巨大荒魂の攻撃を完全に受けることはできない。それでも、僅かながら勢いを殺し、由美が反応するまでの時間を稼ぐことはできた。
すぐさま刀を盾に造り変える。簡易盾を破壊した拳が、由美を吹き飛ばした。
「ぐぅっ!」
あまりの衝撃に、意識が飛びそうになる。辛うじて開けた目に入ったのは、巨大な荒魂が立ち上がる姿。その右腕は、人体の構造上ではありえない方向に拳を向けていた。
『由美!』
哉太の叫びで、なんとか意思を繋ぎ止める。気を失ってしまえば、これまでの戦いが無に帰すことになる。
道路に激突する前に、なんとか体勢を立て直す。《動》を総動員して地に足を着けた。
「なによ、あれ」
『たぶん……奴だ』
由美の知る荒魂とは違い、背筋が伸びている。それだけで、巨体が更に一回り大きくなったように感じられた。
「そうだよ。よくもここまで追い詰めてくれた。直接動くことになるとはね」
荒魂が口を開けて、言葉を発した。重く響く音は、聞き覚えのある声だった。
『奴は、荒魂になったんだよ』
「うん……」
哉太の言う事は、感覚的に真実だとわかる。久隆はこれまで、荒魂を遠隔で操っていた。しかし、今は違う。人の意思を持つ荒魂として、人であることを捨て、由美の前に立ち塞がっていた。
「さぁ、続きだ」
低く唸るような声は空気を震わせ、荒魂を見ることのできない者の耳にも届く。周囲の人々は月のない空を見上げ、悲鳴を上げた。
荒魂や代人は、人の認識から外れることで社会の裏に在り続けていた。そして、その歴史は今夜で終わりを告げた。突如現れた巨大な【鬼】は、平和な街を恐怖に陥れた。翌日のお祭り騒ぎなど、誰も思い出さないだろう。
『やれるか?』
「うん、大丈夫」
『……わかった』
由美は哉太に嘘をついた。哉太はわかっていても、指摘しなかった。二人の《伝》はそれほどに深い位置で繋がっていた。
痛みに震える全身を《動》により無理強いする。自身の筋力はまともに動かず、ほとんど操り人形のような状態だった。これですら、いつまで保てるのか見当もつかない。
「明日、筋肉痛でダブルデート行けないかも」
『いいよ、お姫様抱っこしてやる』
「それは、楽しみ」
最後になるかもしれない軽口を交わし、由美は荒魂となった久隆に突進した。核の位置は左胸。跳躍せねば届かない場所だ。ただし、安易に突っ込めば、その掌で羽虫の如く叩き落とされるだろう。
『足元からいくしかなさそうだな』
「うん」
先に手足を切り刻むのは、荒魂と戦う時の基本だ。大きさは違えども、戦う手順に変わりはない。
石ころを蹴るように振られる足を避け、軸足に迫る。由美の手には、長大な刃渡りの刀が握られている。
「だあああ!」
足首を目がけ、刀を水平に振り抜いた。いつもの水面を斬るような軽い手ごたえがあった。地面に転がしてしまえば、巨体とはいえ何とでもなる。
次の瞬間、その想定は誤りだったことに、気付かされる。巨大荒魂の足は、斬った直後に再生していた。これでは、いくら斬ったところで意味がない。間を置かず、薙ぎ払うように掌が振り回された。後方に跳躍することで距離を取り回避する。
「どうした? そんな攻撃では俺を止められないぞ」
高笑いが夜の街に響いた。後方からは警察車両のサイレンも聞こえる。
『このままじゃまずいな』
「うん」
時間がない。由美と哉太の共通認識だ。それは、人的被害を防ぐためでもあり、二人の限界が近いという意味でもあった。
『俺があいつを止める。いいな?』
由美は哉太を止めたかった。今の状態で久隆に《操》を使えば、いくら哉太でも存在が危うい。しかし、約束したことだ。ここで反対意見を言ってしまえば、哉太も自分も裏切ることになる。
「……了解」
意を決した由美は、刀を構えた。青白い刃は、徐々に光を失いつつある。膝の震えも止められない。恐らく、あと一回が限度だ。
『奴がこっちを向いたらいくぞ』
「うん」
由美は心を落ち着かせるため、目を閉じて深呼吸をした。冷え切った空気が気道を通り、肺の中に入る。鼻の頭に冷たいものが触れた。
『由美』
「うん」
哉太の合図で、由美は全身に《動》を使った。激痛が意識を支配しかけるが、歯を食いしばって耐える。目前の荒魂は腕を振り上げたところで動きを止めていた。
「あああああああ!」
絶叫しながら跳躍する。降り始めた雪の中、由美は青く光る刀を突き出した。
刃は荒魂の胸を貫き、音もなく消失した。
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