最終話 命は仄青く光る
着地までは何とか《動》を維持できた。ただし、そこまでだった。立ち上がることもできず、由美は車道の真中に崩れ落ちた。
「よくも……だが、これで荒魂が社会に晒された……奴らも……お前たちもこれで……」
消えゆく巨大荒魂、久隆であったものが勝ち誇った声を上げる。由美には哀れな負け惜しみにしか聞こえなかった。
自らの存在価値を、矢辻家という狭い範囲に求めてしまった男の末路だ。優子の言う通り学校に通っていなかったら、そこで紗奈子と知り合わなかったら、由美も同じ考えに至っていたのかもしれない。
「久兄……」
かつて焦がれた男は、最期の時まで他者への恨み言を口にして消えた。薄らと青い光を放ち、降りてくる雪に溶け込むようだった。
『由美……無事か』
「哉太!」
由美と同じく、かなり消耗したのだろう。相棒からの《伝》は途切れ途切れになっていた。それでも意思が通じたのだから、哉太は消えていない。それだけで、涙が溢れそうになる。
「今、そっち行くからね」
立ち上がろうとするが、全身が言うことを聞かない。這いずることさえできないという有様だ。
「ごめん、ちょっと休んでからにする」
『いや、いいよ』
「え?」
明確な拒否。由美は哉太の意図が理解できなかった。
『由美はそこにいて。たぶん組織の人か救急車が来ると思う』
「哉太は?」
『俺は、ちょっとやることがあって』
今夜の荒魂は全て処理した。それらを操る久隆も消え去った。恐らく組織の皆も正気に戻っている。代人としての責務は終わったはずだ。
「もしかして……」
『うん、俺はもう消える』
決定的な言葉を避けた由美に対して、哉太ははっきりと告げた。直接的な危険のある前衛と、力の消耗が激しい後衛。消えるのならば、後者の方が先だ。由美はそれを痛いほどよく知っていた。
「せめて、顔くらい見せてよ」
『ごめん』
「私より大事なことなの?」
『うん』
哉太のやろうとしていることは、概ね予想がついている。それは正しいことで、彼にしかできないということも、わかっていた。それでも、滅茶苦茶とも思える台詞が、口から出てしまった。
『由美、ありがとう。あの日俺を救ってくれたから、俺は由美を救えた。運命みたいなもんだな』
「ばか。運命なんて知らない。私を救った責任は必ず取ってもらうから」
『うん、取るよ。俺を忘れて幸せに』
由美の返事を待たず、哉太との接続は途絶えた。別れの言葉を言うことすら、できなかった。
由美はつい先ほどまで彼がいた幕森大社に目を向けた。仄青い光が立ち上り広がっていく。
「嫌よ、そんなの……」
広がった光に飲まれる直前、由美の目から大粒の涙が零れ落ちた。
新月の夜、人の悪意が集まって発生する怪物は、人の存在を喰う。そして、その感情を再び国内にばら撒こうとする。
生み出されることそのものを止めることはできず、対処療法的に排除する必要がある。戦う力を持つ者は、ほんの一部の特別な人間だけだ。
年末の騒動から半年、荒魂の存在は誰もが知る事実となっていた。
ここまでは、久隆の思い描いていたことと同じだ。しかし、結果は全く別物になっていた。
「今夜は新月です。現在の荒魂指数は一。皆様、心を強く持ちましょう」
テレビから流れてくるニュースに耳を傾けながら、由美は肩まで伸びた髪を軽く括る。そろそろ切ってもいい頃合かもしれない。
「由美、今夜だし休んでもいいんだよ?」
玄関に向かう途中、階段の上から声がかかる。いつもと同じ、優しい言葉だ。ただ、夜の準備で多忙のため疲労は隠せない。
「ううん、大丈夫。なるべく休みたくなくて」
「そう、じゃ、行ってらっしゃい」
「いってきます。結衣姉さん」
「そうそう、急だけど今日から新しい人が見学するって。若い男の子らしいよー」
「はーい」
あの夜から世界は変わった。彼の最後の意思は脈を通じ、国中に広がった。
人々は荒魂の存在を認識し、その発生理由も知ることとなった。人が生み出した、人に害をなす存在。それは一種の災害として扱われることになる。そして、怪物と戦う使命を持った者たちのことも、世に明らかとなった。人を救うために戦う可憐な少女として、由美は一躍有名人となってしまった。
「うわぁ……」
下駄箱の扉を開くと、大量の手紙が詰め込まれていた。今どき、こんな方法で気を引こうという男子生徒が後を絶たないとは。由美は辟易してしまう。
触れ得ざる者として扱われていた頃が懐かしい。しつこい先輩を投げ飛ばしたことを思い出し、頬が緩む。
「おはよ! 由美」
「矢辻さん、おはよう」
「紗奈子、佐々木君、おはよう」
後ろから挨拶するのは、由美の親友である少女と、その幼馴染兼恋人の少年だ。紗奈子は由美の手元を覗きこみ、愛らしい瞳を丸くした。
「今日はちょい少ないね」
「まぁ、ね」
本来は目立つことを好まない由美だが、可能な限り彼の意図を汲むことにしていた。荒魂の発生を減らすためには、不本意ではあるが自分の外見を利用するのも仕方がない。
荒魂指数と名付けられた強い負の感情は、徐々に減ってきている。見目麗しい少女の負担を減らすためという名目があれば、人は簡単に自分の心を制御してしまうものだと知った。
きっかけがそんな邪な気持ちであっても良いと思う。いつか、それが当然のこととなり、荒魂自体が過去のものになってくれるのを願うばかりだ。
「頑張らなきゃ」
彼はあの夜消えてしまった。友人や家族ですら、記憶に残していない。あの苦笑いを覚えているのは由美だけだ。だが、彼の残したものは多い。
寂しくないと言えば嘘になる。だから、せめて彼との思い出だけは守っていたい。
「今夜だもんね。応援してる」
「ありがと」
もうひとつ、友人に隠し事をする必要がなくなったのは、由美にとっては嬉しいことだった。
そして日は落ち、月のない夜がやってくる。
いつもの屋上から見下ろす街には人通りがない。新月の夜、幕森駅周辺は通行止めされるようになった。これだけで戦いやすさは格段に増す。
『由美、準備はいい?』
「はい」
『見学の子、いるけど気にしないでね』
「はい」
インカムに向け、短く返事をする。
荒魂の数は冬に比べれば激減した。人を守りながら、時には見捨てながら戦う必要もない。
それでも由美は怖かった。力を使えば使う程、時間が過ぎれば過ぎるほど、彼との思い出が希薄になっていく気がして恐ろしかった。
怯える自分を奮い立たせるため、瞼を閉じて念じる。
私は一人でも戦う。私は意地でも忘れない。
「だって、君に救われたから」
忘れなければ、きっといつか会える。呟いた由美は、ビルの屋上から身を投げた。
『兆候の位置を送る』
由美の中に、懐かしい意思が伝わる。待ちに待った再会は、あまりにも自然で、唐突だった。
「了解」
無理をして事務的に返す。涙をこらえるのが精一杯だった。
戦いが終わったら、全力で甘えてやろう。
由美の持つ刀は、仄青く光っていた。
【月のない夜、命は仄青く光る】 完
月のない夜、命は仄青く光る 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho
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