小説という媒体において『ロボット物』に手を出す人は決して少なくない。SFにおいてもファンタジーにおいても、ジャンルの一角を少なからず占めている存在ではある
だが、志すは易し、作り上げるは難し、
読者の支持と賞賛を得るのは容易ではない。
これはロボット物というものが、背景に〝大きな設定〟というものを必要とするためであり、それを解決するためには長いキーワードや詳細の説明をどうしても取り入れなければならないからだ
だが、小説というものの読者が求めている需要とは、それは決して噛み合わない。キーワードが長くなればなるほど、複雑で大きな設定が出れば出るほど、作品の表示を閉じて回れ右するものは必ず増える
それはある意味、ロボット物の宿命であると言っていい。そしてこのジャンルを志向する作者は、読みやすさと、緻密さと言う二律背反するものを共存させて成功させるために多大な苦労を背負うことになるのだ
だが、その問題に対して明快でわかりやすい回答例を提示してくれた作品がある。それが本作品だ。
キーワードは可能な限りシンプルに、描かれる世界観は分かりやすくドラマチックに。
ケモノ、槍持ち、巫女、機人、
物語冒頭部で登場する独自キーワードはわずかにこれだけだ。にもかかわらずこの先には卓越したオリジナリティが見られるのだ。
未知なる存在に襲われ続ける人間、それを回避し身を守るために生み出された消耗される存在、
人間が自分を守るために、人間モドキの別な存在を浪費する世界。恐ろしく残酷な構図だ。
だが、偶発的な出来事から、消耗品の槍持ちの少年と、欠陥品の巫女の少女と、誰にも扱うことができなかった機人が、運命の交錯をすることで、物語の歯車は動き始める。
残酷極まりないこの世界を、主人公とヒロインはどう変えていくのか? 物語のたどり着く行く先がとても楽しみな作品である。
”命”を生産できる科学力。まるで工業製品のように生み出されて行く彼ら。「槍持ち」と「巫女」は、まさに使い捨ての消耗品。
都市を一歩出るとそこは瓦礫と荒涼の大地。ケモノという、襲い来る脅威から「人間」を護るため、槍持ちと巫女は今日も命を散らす。
槍持ちがケモノに槍を立て、巫女がそれに祈りを届けてやっと、ケモノを倒す事が出来るから、常に前線に立つのは彼らだった。
火薬を使う重火器は貴重品で、作られた生命体は安い。現代の倫理観からは相容れない重い設定の中、主人公ユウスケは槍持ちであるという。
当然彼も、死地に飛び出して行く。そして訪れる全滅の危機に、護衛していた列車の中で運命の出会い。
不良品の巫女リホ、そして機人……!
機人に導かれるように乗り込み、ケモノを蹴散らしていく無双のバトル。
それをきっかけにユウスケは大きく運命を流転。この流れが本当に熱い!
ケモノとはいったい何なのかという謎、機人の運用を巡る人々の欲や思惑が錯綜し、仲間、家族、そして恋人という存在を得て、作られたはずの命は輝きを増す。
重い世界観の中にいくつもの愛を織り込み、人間の愚かさと命の価値を問う、熱いロボット物が読みたい方におすすめしたい。