第22話 信頼

 矢部の件があるまで、ほとんど繋がりのなかった由美と転校生だ。数日の間に登下校を共にしたからといって、下の名前で呼び捨てにすることは不自然だった。特に思春期の少年少女にとっては、敏感に反応しても仕方がない。

 しかし、由美にとって信頼する友人であっても、本当のことなど言えはしなかった。そもそもが秘匿された存在だ。それは哉太も同じく、口にすることは厳禁とされていた。

 

「あー、それは……」


 後頭部に手をやりながら、哉太の目が泳ぐ。後ろめたいことがあると言っているようだった。あまりの正直さに由美は思わず吹き出した。


「由美?」


 由美の左腕に自らの腕を絡ませた紗奈子が見上げる。面白半分、ばつの悪さが半分といった表情だ。哉太に負けず劣らず、正直者だった。


「ううん、面白くなっちゃって」

「面白く?」

「うん、ほら、哉太の困ってる顔」

「哉太?」

 

 こんなに笑ったのは久しぶりだ。なにか、心の中から重いものが消えていくような感覚だった。簡単に彼の名を呼べてしまう程度には、気が大きくなっていた。そんな自分も可笑しくて仕方がない。

 笑いが止まらない由美を、紗奈子が不思議そうに見つめていた。


「実はね、哉太と一緒に暮らしてるんだ」

「え?」

「は?」

「おいっ」


 わざと誤解を生むような言い回しをしたのも、皆の驚く顔を見たかったからだ。詳細な説明は後からすればいい。暫く由美は笑い声をあげたままっだった。

 

 後に、この朝の出来事は大小の尾ひれが付き校内へと知れ渡ることになる。この聴衆からの吹聴で【あの矢部 洋志を投げ飛ばして高笑いをする美少女】は、これまでとは別の意味で、触れ得ざる者の扱いを受けることとなるのだった。


「俺の親が仕事の都合で海外に行ってさ、知り合いの矢辻さんのところへお世話にね」

「うちのお母さん、顔広いから」

 

 教室までの道のりで、由美と哉太は同居の経緯を説明した。代人のことを除いて話すことそのものは、さほど難しいことではない。哉太もそれに合わせてくれたことは、嬉しかった。

 

 元々紗奈子には、事故で家族と死別したことも、矢辻家に引き取られたことも伝えてある。さほど隠す意思はなかったため、誠をはじめ周囲もなんとなくは把握していたことだ。

 

「あの興味ない振りも、そういうことかー。言ってくれればよかったのに」

「ごめんね、なかなか言い出せなくて」

「まぁ、転校生と同居とか、矢辻さんからしたら言いづらいでしょ」

「だねぇ」


 黙っていたことを責められないのは、ありがたいことだった。


「んで、名前で呼び合うってことは、そういう関係なの? 由美と霧崎君」

「ないよ」

「いや、ない」

「うわ、ぴったり」

 

 紗奈子の問いかけに、由美と哉太の返答が重なる。


「俺は結衣さん一筋だ」

「私は応援する側だよ」

「結衣さんって誰だよ?」

「美人だぞ」


 女性の名前に食いついた誠を見て、紗奈子が頬を膨らませた。

 早く告白してしまえばいいのにと、可愛らしい友人の横顔を見つめた。由美の今は、彼女のおかげでもある。いつかなにか恩返しをしたいと、心から思う。


 その日を境に、由美の生活は大きく変わっていった。

 投げ飛ばされることを恐れた男子生徒は声をかけなくなり、陰口を叩いていた女子生徒は目立たなくなった。そして、由美にとって最も大きな変化が、クラス内での扱いだ。

 

 矢部が現れた当初に由美を指し示したクラスメイトの謝罪から始まり、今まで話したことのない相手から声をかけられるようになった。

 当初は戸惑いを隠せなかったが、悪い気はしない。紗奈子も「由美が明るくなって嬉しいよ」と言ってくれた。


 学校での変化と併せ、訓練にも進捗が見られるようになった。哉太からの《伝》が全体的に深くなったのだ。

 その結果、遠隔で由美の《造》を発動させられる時間が長くなり、優子から実戦での使用許可が出るまでとなった。

 

 理由を哉太に聞いてみたこともあるが、有耶無耶にはぐらかされてしまった。ただ、由美にはなんとなく理解できていた。代人同士の心を繋ぐ《伝》とは、そういうものだ。


 由美は哉太と出会った日、その内面を覗き見た。そして、哉太も前回の戦いで由美の心の一部を見た。だから由美は、それ以上のことを知らなくてもいいと思っていた。しかし、二人の関係性は刻々と変化していた。

 上手く繋がらない原因はそこにあった。つまりは互いに照れていたのだ。

 

 同居を友人に告げたことをきっかけに、由美は少しずつ自分をさらけ出せるようになる。それを見た哉太も、これまでよりも心を開くようになったのだろう。

 明るい態度で上塗りしていたその内側は、由美が考えていたものとは少し異なっていた。

 

 訓練中の繋がりの中、由美は哉太が代人になった本当の理由を見た。

 以前語られた彼の意図は嘘ではなかった。しかし、それよりも強い影響を与えてたのは由美だった。戦う姿と、力の暴走から救った姿。その印象が強烈に哉太を支配していた。恋愛感情とは違う、憧れや信仰に近い気持ちだった。

 さらに、由美だけでなく、優子や結衣への感謝の気持ちも強かった。自分を認めてくれたこと、家族同然に受け入れてくれたこと。これまでの生活を失った哉太にとって、まさに心の拠り所となる存在だった。

 

 さすがにこれらは簡単に見せられない。見てしまった由美自身、恥ずかしくなってしまうほどの感情だった。知りたいと思う気持ちもあるが、深く踏み込みすぎるのはあまり良いことではない。

 

 また、おそらく哉太も由美の深い部分を知ったはずだ。今はもういない久隆への気持ちや、家族を失って心を閉じた時の事。学校での憂鬱な生活も、概ね把握されたことだろう。

 今の由美は、それでもいいと考えている。これまで以上に命を預けるに足る相手だと、感覚的に認めたのだと自覚できていた。


 そしてまた、月のない夜がやって来る。

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