第34話 切札

 始めて声をかけてもらった時のことは忘れない。友人の多い彼女にとって、ただの気まぐれであったのかもしれない。それでも、代人以外に自分の価値を見出せなかった由美には救いだった。

 全てを失ってから、唯一手に入れた組織の外での関係性。由美にとって、山根 紗奈子という少女はひとりの友人として数えられる以上に重要な存在だった。


「紗奈子が、どうして!」

『わからんけど、兆候のすぐ近くだ、急げ!』

「で、でも……」


 荒魂の兆候は、目前でも実体化しようとしていた。周囲を往来する多くの人々は、当然それには気付かない。

 ここで由美が踵を返せば、彼らの多くは帰らぬ人となるだろう。そして、生きてきた痕跡すら消えてなくなるのだ。

 東西二箇所の兆候の内、西側へ向かうよう指示されたのは、想定される被害者の数で判断したからだ。全てを救えぬのならば、少しでも多い方を救った方がいい。

 そこには、個人の感情など考慮されない。消えて無くなる人も、その家族も友人も、そして代人もだ。


『早くしろ! 二人とも消えるぞ!』


 躊躇い動きを止めた由美に、哉太の意思が伝わってきた。普段の彼からすれば考えられない程に強い言葉だ。

 代人としての使命、自分の感情と哉太からの指示。相反するものに挟まれた由美は、混乱と焦りに追い詰められ、衝動的な判断を行ってしまった。


「先にこっちを」

『待てって』

 

 長槍を造り出し、地面を蹴り直進する。結果的には最初の指示通り、人数をとった形となった。荒魂は既にその異形を露わにしていた。


『馬鹿野郎が』


 叱責と一緒に、核の位置情報が送られてくる。一刻も早く処理をしろという事だろう。怒りとも諦めともつかない、冷たい感情が由美に流れ込んできた。

 

「はぁっ!」


 焦燥に駆られていても、身体は正確に動いた。長槍により核を破壊された荒魂は、由美を認識する前にその巨体を霧散させる。回転の鈍くなった思考の片隅で、無兆が現れないことを不思議に感じていた。


『もう一体』

「了解」

 

 この場には荒魂が二体いる。表向き冷静な哉太の意思と共に、核の情報が由美へと伝わった。手早くこれを壊し次の目標に向かう。今の由美にはそれが精一杯だった。

 長槍を構え直した由美を、荒魂の瞳が睨む。人の胴回り程度の太さを持つ右腕が、高く振り上げられた。


「ふっ!」

 

 迫りくる拳を紙一重で躱しつつ、長槍で左胸を突く。核の場所さえわかっていれば、単純作業と大差がない。哉太の《調》は、まさに革新的であった。由美の判断はそれに頼ったものだ。

 現在相対している荒魂も、すぐに処理できる。そのはずだった。


「なっ……」

『おい……』


 二人が同時に絶句する。

 荒魂の左手が、突き出された長槍の柄を側面から押していた。鋭い穂先は核を逸れ、吸い込まれるように右胸へと突き刺さった。


『由美、こいつ』

「……うん」


 通常、荒魂は攻撃を避けることなどしない。ましてや、自らに向かった槍の軌道を逸らすような芸当など、できるはずもない。長年にわたる常識が崩れた。それは、哉太が常々言っていたことが証明されたと同義であった。

 由美には混乱する時間は与えられない。何者かに操られていると思しき荒魂は、長槍に添えていた左手を手刀のように振り下ろした。間一髪、由美は武器を手放し後退する。巨大な指が、少女の鼻先を掠めた。


『いろいろ言いたいが、後だ』

 

 哉太の緊張感が焦りと共に伝わってくる。ここまでの異常事態であれば、目の前に意識を集中せざるを得ない。そんな中でも、紗奈子の笑顔が頭に浮かんでしまう。自身の繊細さが、由美を追い詰めていた。


『俺は力の流れが遮断できないか探ってみる。《操》と同じだったら、なんとかできるかもしれない。一時的に《伝》を止めるぞ。盾の操作はそのままにしておく』

「了解」

『慎重にいけよ、今までの荒魂とは別物だからな』

「了解」


 相棒からの心配は痛いほどにわかる。ここで戦い方を誤れば、由美は消える。そうなれば当然、紗奈子と誠も無事では済まない。現在最優先すべきは、対峙する荒魂を確実に処理することだ。

 短いやり取りの後、宣言通り哉太からの《伝》は中断された。多少の心細さと不安、多大な切迫感を抱え由美は荒魂へと向き直った。


 長槍の一突きは通用しない。核の位置はわかっているが、そこに辿り着くまでにいくつもの手順を踏む必要があるだろう。

 まずは邪魔な四肢を切り刻む。そして、再生する間を与えず、核を潰す。由美は両手に刀を造りだした。


「紗奈子、待ってて」


 自分にしか聞こえない程度に呟き、前方へ突進する。由美を迎撃するように、荒魂は右腕を横薙ぎに振る。明らかに近づけさせないための攻撃だ。避けるつもりはない。

 自身の左側から迫る平手に向けて、片手の刀を振り下ろす。さしたる抵抗もなく、長大な腕は肘のあたりで切断された。由美の手から放された刀は、まるで最初からそこになかったかのように霧散した。


「ふっ!」


 がら空きになった胴体へ向け、由美は素早く跳躍した。全身に張り巡らされた《動》により増した集中力は、時の流れを実際よりも長く感じさせた。

 鋭敏になった五感は、由美に向けて放たれようとしている荒魂の拳も、後方に現れた無兆の存在も察知していた。右手の刀を投げ付け、荒魂の手首を串刺しにする。反対の手では小刀を逆手に握り、無兆の胸部を斬り裂いた。

 体の勢いを殺さぬまま、由美は再び長刀を造りだした。両手で強く握り、上段に構える。


「だあぁ!」


 由美は叫びを上げ、刀を振り下ろした。肩から腹部に向けて縦一直線に斬る途中、核を破壊する手ごたえを感じる。

 地面に足を着けた時には、荒魂の姿はなくなっていた。

 

「ふううぅ」

 

 由美は大きく息をついた。倦怠感と若干のめまいが襲ってくる。

 全力で《動》を行使することは、使用者への負担が大きい。最悪の場合、代人が自身の存在を失ってしまう可能性もある。そのため、ある程度の余裕を持った戦い方をするのが通常だ。


「なんとか、なった……」


 荒魂を操る者との接触に備え、短時間であれば全力を使いこなせるよう訓練していたことが幸いした。こんなに早く切り札を使ってしまうのは想定外だったが、苦戦して時間をかけるよりはましだと思える。


「よし」


 由美は朦朧としかけた意識を戻すように頭を振り、脚に力を込める。ここで止まっている暇などない。哉太の《伝》が戻るのを待つ前に移動を開始した。

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