第33話 順応

 よく晴れた夜は、かなりの冷え込みだった。道着と袴の下に着込んだ吸湿発熱繊維の肌着がなければ、凍えて動けなかったかもしれない。寒さが得意でない由美は、こんな便利なものがなかった時代の人々を心から尊敬する。

 この季節以降、かじかんだ指先などは《動》で強引に操作することになる。ただし待機時はその限りではない。由美が掌に吹きかけた息は、街の明かりを反射し白く広がって消えた。


『由美、今日は無茶しないでよ』

「うん、わかってる」

『例の話も、こちらに任せておいて。由美は荒魂に集中ね』

「大丈夫」


 作戦指揮担当からの忠告は、本日三度目だ。由美も同じ回数だけ、同じ返答をする。

 義妹を心配するあまりのしつこさに対し、悪い気はしない。あの夜の泣き顔を思い浮かべれば、可愛らしいとすら思えた。

 

『そろそろ哉太君と代わるからね。本当にだめだよ』

「うん、約束する」


 四度目はほとんど懇願だった。片耳のインカムから聞こえていた雑音が途切れ、結衣の側で通信が切られたことを把握した。

 続いて、自分の中に何かが入ってくる感覚。哉太からの《伝》だ。由美は相棒の意識を受け入れる。

 

 デートの一件があった後にも関わらず、哉太は自身の存在保証に結衣を指名した。確かに、組織の中で最も親しい相手だ。しかし、由美は何となく気に入らなかった。

 

『よし、計画通りにいこう』

「了解」

『なんか怒ってる?』

「ううん」


 哉太の質問を軽く受け流し、由美は夜の街に佇む。力を使っている間は、誰からも気付かれない。まるで、紗奈子と知り合う前の学校のようだ。何も存在しないかのように、見向きもせず素通りされる。


『さっそくだけど兆候だ。駅から少し離れるぞ。位置を送る』

「了解」

『それなりに急ぐ必要があるぞ』

 

 送られた位置情報は哉太の言う通り、由美のいる場所からそれなりの距離がある。実体化するにはまだ時間がかかりそうだが、ゆっくりしていられるほどではない。


「移動開始する。無兆むちょうの警戒、お願い」

『任せろ』


 由美は哉太の力強い返答に満足し、《動》で人を避けつつ高速で移動する。

 無兆というのは、言葉の通り兆候のない荒魂のことを指す。会議中に由隆の「いつまでも、兆候のない小型荒魂では言いづらい」との鶴の一声で決められた呼称だ。

 呼び名が決まっただけで、存在の異質さが薄れる。由美にとっては不思議な感覚だった。


『由美、やるぞ』

「うん」


 由美は呼びかけに応え《造》の力を使う。周囲に簡易的な盾が三個浮かび上がった。その操作は自分を通して、相棒へと移譲した。受け取った哉太は《調》にて無兆を発見次第、該当する方向へと造っておいた盾を移動させる。

 ここまで準備してしまえば、由美を守る手順は前回の比ではないほどに単純だ。反射的に動かせるようになったことで、力の使用も最小限で済む。


『大丈夫そうだな』

「うん」


 この画期的な方法は、由美と哉太の二人で考え出した。代人の負担が軽減されたことは誰にも伝えていない。荒魂を操る者を探すための余裕を作るための工夫などとは、口に出せるはずもなかった。

 優子や結衣への罪悪感がないわけではない。それでも、由美は哉太の考えに乗ることを選んだ。


 荒魂を操る者がいるとしたら、許さない。そして、なんとしてでも奴らの正体に関する情報を聞き出してやる。可能であれば、全滅させる手段もだ。

 単に恨みを晴らしたいという理由は大きい。それと同じくらいに、この戦いを終わらせたいという想いが由美を動かしていた。現状が続く限り、犠牲者を減らすことはできても無くすことは不可能なのだから。


 言葉を遮る哉太の意志と共に、右側面に回った盾が砕けた。予め手に持っていた刀で、拳を伸ばしたままの無兆を両断する。核の手応えが軽く伝わってきた。

 慣れとは良くも悪くも恐ろしいものだ。あれだけ苦戦した相手でも、対策が成立すれば当たり前のものとなる。


『実戦でもいけそうだな』

「だね。見えた!」


 視界の端に荒魂の兆候が見えた。どうやら、話をしている時間は与えられないようだった。間もなく異形が現れるだろう。

 由美は長槍を構えた。これまでであれば、あまり手にしたことのない得物だ。場所に個体差のある核を狙うのであれば、一点を突き刺すよりも線で斬り裂く武具の方が効果的だからだ。


『こいつは操られていないみたいだ。核の場所を送る』

「了解」


 これも前回の戦いで得た成果だ。核の位置さえわかれば、最小限の攻撃で事は済む。

 荒魂を操る者を探ると同時に、核の位置を調べる。由美たちの常識では考えられない離れ業を、哉太はいとも容易く行ってみせた。

 長きにわたるの代人の中でも、群を抜いた天才なのだと思い知らされる。これほど頼りになる相棒はいない。


「ふっ!」


 荒魂が実体化した瞬間を狙い、由美は長槍を素早く突き出す。核を貫かれた怪物は、獲物を探す間もなく消滅した。


「とってもいいかも、これ」

『油断するなよ』


 あまりの単純作業に、由美は一瞬気が大きくなっていた。それを《伝》を通して感じ取った哉太がたしなめる。


『次、駅の東西に二体ずつ。計四体だ』

「了解、どちらから?」

『指揮担当に確認する』

 

 続いての兆候は、駅の近くだった。一旦由美を離したのは偶然か、それとも荒魂を操っている者の策略か。哉太から送られる位置情報は、どちらかの被害を許容するしかないと告げていた。


『人通りの多い東から行ってくれ。実体化もそっちの方が早い』

「了解、東に向かう」


 哉太の指示を復唱しつつ、由美は歯噛みをした。今の数人よりも、未来の数十人、数百人を救うことが代人としてのあるべき姿なのだ。少しでも早く辿り着くため、全力の《動》で地面を蹴った。

 途中、無兆の拳が盾を割ったが、由美は視線すら向けず刀を振る。軽く固い感触が右手に伝わった。


「実体化直前の兆候を目視」


 強化された視覚で荒魂の姿を捉える。周囲の人通りは多い。二体の内片方は、先程と同じように速攻で済ませることができるだろう。残りの一体をいかに早く処理するかが重要だ。


『核の位置を……だめだ由美! 西に行け!』

「え?」


 長槍を造りだした直後、哉太が叫んだ。突然の指示変更に、由美は戸惑う事しかできない。


『佐々木と山根さんだ!』


 戦いの場とは無縁のはずだった名を聞き、由美の思考は真っ白になった。

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