第35話 再会
西に向かって動き始めてから十秒ほど。由美の中に相棒の意識が入って来た。
『さっきの荒魂の件で伝えたいことがあるけど、後にする。時間がない、一体はもう実体化しそうだ』
「うん」
復帰させた《調》からの位置情報が《伝》を通じ、由美の元へ届く。ふたつの兆候の内ひとつは、実体化直前だ。その周囲には複数の通行人。彼らの中に紗奈子と誠がいるのだろう。
代人としては、個人の感情で救う相手を決めてはいけない。わかってはいても、由美の心臓は早鐘を打つことを止めなかった。
要因はどうあれ、東側の荒魂二体を処理するのに想定以上の時間をかけてしまった。その時点で由美は判断を誤ってしまったことになる。人の生死を数字で表すのであれば結果は成功だ。だがそれは、結果論として大切な親友を見捨てる選択をしたことへの慰めにはならない。
『最悪、諦めろよ』
「うん」
哉太の冷静な言葉が胸に突き刺さる。事実を告げられるだけなのは、責められるよりも心を抉られる。なんとか間に合ってほしい。祈るような思いを抱え、由美は全速力で夜の街を駆けた。
道中、何度か無兆が攻撃を仕掛けてくるが、速度を緩めずに胸部を両断する。数か月前の脅威は、今となってはただの障害物に過ぎなかった。
「見えた!」
最大限に強化した視力が通行人の隙間から荒魂の姿を捉えた。その近くには、紗奈子と誠も見える。二人が何をしているのかは判断できない。ただ、その場を離れる様子はないようだった。
幸いにも荒魂はまだ人を襲う動きをみせていない。由美は小刀を弓矢に持ち替え、胸当ても造りだした。
「矢を射る」
『了解、軌跡を設定する。核は狙えないぞ。当てるだけ』
「了解」
駅の近くは人通りが多い。このまま矢を放ったところで、無関係の人を貫くだけだ。由美も哉太も理解できていた。
相棒から複雑な経路情報が届く。人々を避け、かつ最短で荒魂を狙う矢の通り道だ。
「ありがと」
『おう』
由美は走りつつ、引き絞った弓から手を離した。青白く光る矢が《動》で設定した軌跡に従い、高速で突き進む。
可能であれば直接核を破壊したいが、そこまでは望まない。瞬間でも注意を引いてしまえば、由美が到着するまでの時間は稼げる。
「よし!」
『間に合った』
矢は想定通り荒魂の脇腹に命中した。哉太の安堵の感情が心に響く。歩き出そうとする直前だったのだろう、右足を一歩踏み出しながら由美の方へ首を回す。攻撃に気付かせたなら、こっちのものだ。
「はぁっ!」
荒魂へと肉薄した由美は、薙刀を振るった。核の位置は哉太から送られている。妨害されることも想定し、槍で突くことは避けた。斬り裂いてしまえば、仮に腕で防御したとしても関係がない。
核を破壊する乾いた感触と共に、荒魂は姿を消失させた。
「次!」
由美は視線を巡らし、間もなく荒魂となる本日五つ目の兆候を睨み付ける。その途中、見知った二人の男女が目に入ったが、今は意識を向けてはいけない。親友から認識されることのない自分は、親友を救うために目前の化け物に全力で向き合うのだ。
『核の位置を送……違う!』
「えっ?」
姿を現した瞬間を狙うつもりだった由美は、制止の意味がすぐに理解できなかった。薙刀を両手で握り締めたまま、間抜けな疑問符を口にした。そして、由美は自分のを目を疑った。
「消えた?」
荒魂となる直前だった兆候が突然消滅した。信じられない事実に、由美はしばし唖然とする。
『左だ由美!』
哉太が言わんとしていたのは、それではなかった。気を抜いている場合ではなかったのだ。
一瞬にして全身が震え、胃が持ち上がってくる感覚。身体は温まっているはずなのに、歯と歯が音をたてて止まらない。
「紗奈子!」
振り向いた先で、紗奈子が宙に浮いていた。
「あああああ!」
悲鳴を上げる少女の後ろには、人間大の荒魂がいた。無兆だ。紗奈子の首を後ろから掴んで、持ち上げている。ちらりと窺えた顔は、醜悪に笑っているように見えた。
突然襲ってきたのであろう痛みと恐怖で、親友の愛らしい顔が歪んでいる。すぐ隣にいる誠は、事態が飲み込めないのか呆然と立ち尽くすだけだった。
『由美、早くしろ!』
「うん!」
哉太の意思を受け我に返った由美は、身を低くして地を蹴った。理由は不明だが無兆はこれまで人を喰おうとしたことがない。現に今も、紗奈子を苦しめて遊んでいるようだった。
心底不愉快であることには変わりはしないものの、無兆で助かったと思えた。紗奈子の肢体が無事なうちに、あの細長い腕を斬り落としてしまえばいい。
「はぁっ!」
無兆の側面に周り、紗奈子の首を掴み上げている腕目掛けて刀を振りかぶる。
『だめだ!』
「あっ!」
攻撃を予期していたように、無兆は紗奈子を掴んだままの腕を振った。力の抜けかかった少女の身体が、ろくな抵抗もできず由美の方を向いた。
勢いのついた刀は、もう止まらない。
『止まれ!』
強い言葉と共に、由美の腕が動かなくなる。哉太からの《操》だった。青白く光る刃は、浅く早い呼吸をする紗奈子に触れる直前で静止していた。
危うく親友を真っ二つにする所だった。あまりの状況に、由美は目を見開いたまま冷や汗を流した。
『人質かよ……』
武術紛いのことをする次は、人を盾にする荒魂だ。ここ数ヶ月の荒魂は異常な行動だらけだった。
『由美、由美!』
「……うん」
思考を止めることは許されないらしい。哉太の意思が頭の中に鳴り響く。由美は辛うじて頷いた。
『確実にあれは操られてる。あんなの、人の意思がなければやれない』
「うん」
紗奈子の呻きは徐々に弱まっている。喉が潰されるのも時間の問題なのかもしれない。
「山根!」
誠が叫びながら駆け寄ろうとしたが、無兆の裏拳を受けて吹き飛んだ。明らかに命を奪わないように手加減した攻撃だった。
『あれに《操》をかけて操作を奪う。もうそれしか思いつかない』
「うん」
『《伝》を切るから、あれの動きが止まったら山根さんを助けろ』
「うん」
由美が返事をするより先に、哉太との繋がりが切れる。《操》が成功するのかはわからない。それでも今は頼るしかなかった。
今の由美にできることは、無兆の動きが止まるのを見落とさないよう注意深く刀を構えることだけだった。
『待ってたよ』
頭の中に声が響いた。声というよりは人の意思だ。この感覚は《伝》に似ている。昼間に感じたものと同じだった。
それは、聞き覚えのある声、感じた記憶のある意思だった。
「え、久兄?」
『久しぶりだね、由美』
哉太がいなくなった隙間に、かつての相棒が入り込んでいた。
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