第3話 飛来
まだ
慌てて周囲を見渡すが、それらしき姿はない。あの巨体を見落とすとは、到底考えられなかった。恐ろしい想像を振り切るように、由美は少年に向かって訪ねた。
「なぜ、わかるの?」
「……上の方から、見てるんだよ」
心ここに在らずといった表情で、少年が答える。疑惑が確信へと変わった。由美は叫び出しそうになるのを必死に堪え、インカムに告げた。
「力のある人を保護しました」
『なっ……』
絶句する
「恐らく意図せず《
『え、ええ……』
彼は、自分と同じだ。跳躍しながら、由美はあの日のことを思い出していた。
由美が
突然現れた巨人に、母親の頭が握り潰された。流血しなかったのが不思議だった。続いて父親の体が直角に曲がる。手を繋いでいた妹は、肩から先が消えていた。周囲の人は誰もその惨状に気が付いていない。見えているのは、由美だけなのかもしれなかった。
怯える暇さえなかった。次は自分の番だと、なんとなく理解していた。
命を諦めた由美を救ったのは、後に義母となる代人の女性だった。親しい親戚もおらず天涯孤独となった由美は、彼女に引き取られ代人として育てられることになる。
「いい加減に……してよ」
『なに?』
「なんでも、ないです」
ふとした瞬間、フラッシュバックのように頭に浮かぶ。辟易してはいても、忘れられない光景だった。感傷を祓うように頭を振る。それに追従して、ひとつに括った髪が揺れた。
荒魂を狩る。できることなら二度と現れない程徹底的に。それが彼女の戦う理由だった。
跳び上がった由美は、空中で両掌を合わせた。
『周りに気を付けて』
「わかってる」
自身の体から一時的に意識を離すことになる《調》は、咄嗟の対応が求められる戦闘中に使うには適さない。肉体を中心とする《
代人が二人組である理由はそこにあった。
由美の知覚は周囲一キロほどに広がる。自分から見て左方向に、荒魂の発する気配がひとつ。少年の言う通りだった。代人の才覚があったのだと、由美は確信した。
発見した荒魂までは、まだ距離がある。被害が出るまでに急行しなければならない。
『危ない!』
意思を体に戻した直後、由美の頭に誰かの声が響いた。声というよりは、思考が直接飛び込んでくるような感覚だった。結衣からの指示でないことは明白だった。機械と電波越しに聞こえる声とは、そもそも性質が違う。
思考の前に体が反応した。《動》で跳躍の軌道を強引に変化させる。
瞬間、由美の目前を赤黒い物体が通り過ぎた。丸太のように見えたそれは、拳を握った荒魂の腕だった。
「ちぃっ!」
舌打ちしつつ、腕の飛来した方向を見やる。住宅地の中にある小さな公園に、左腕のない荒魂の姿。
由美の知る限り、荒魂という怪物の知能は獣程度だ。過去の記録でも、腕を千切り投げるなどという、頭を使う行為は見たことがない。
低能であるはずの敵に、あわや出し抜かれそうになった。その羞恥と怒りは、由美の白い肌を薄ら赤く色づかせた。
由美から視線を離さない荒魂は、再生した左腕を右手で掴んでいた。もう一度やるつもりのようだ。
「小細工を!」
叫びつつ、造りだした弓で矢を二射する。青白い軌跡を残し、光の矢は荒魂の両眼をそれぞれ貫いた。これで暫くは腕を投げ付けられることはない。
由美は自身の落下を加速させ、公園に向かい突撃した。矢が消え眼球の再生が終わる前に、核を破壊する。長大な刀を上段に振りかぶった。
「ああっ!」
気合と共に刀を振る。苦し紛れに振り回される太い腕を二本とも切り落とす。着地と同時に膝を曲げ、力を溜めた。
「たあっ!」
刃を反転させ、膝の屈伸と併せて切り上げる。屈強に見える上半身が、核ごと斜めに分断された。
跡形もなく消滅する荒魂を前に、由美は両膝を地面に落とした。
「はぁっ、はぁっ」
連続で力を使ったことによる疲労と、極度の緊張で由美は限界だった。体中から汗が吹き出し、意識が朦朧とする。
『……由美……由美!』
雑音交じりの結衣の声が、遠くに聞こえる気がした。
どうしてこんなことになっているのか、自分でもわからなくなる。荒魂が小賢しい真似をして、それを辛うじて回避した。その時に聞こえた声は、誰のものだったろうか。
このまま眠ってしまっても、仲間の誰かが回収してくれるだろう。シャワーを浴びたいとは思うが、もうそんな気力も体力も残っていない。
「そんな、場合じゃ、ない!」
完全に目が閉じる直前、由美は勢いよく地面を殴りつけた。拳の痛みで、無理やりに意識を取り戻す。
先ほど由美を救った意思の主は、間違いなくあの少年だ。だから、由美も彼を救わなければならない。
『由美? 大丈夫なの?』
「私は大丈夫。それより、保護した男の子」
『さっき人払いが到着して、回収車待ちよ』
由美が無事だった安堵からか、結衣の声は軽い。口調も上役としてではなく、優しい義姉のものになっていた。それに合わせるように、由美の言葉も砕けていたが、緊張感は隠せなかった。
「まずいと思う」
『もしかして……』
「うん、早くしないと、あの子、消えちゃう」
『ええ、でも、無理はしないでね』
短いやり取りでも、事の重大さは伝わった。五年の付き合いは伊達ではないと、由美は小さく微笑んだ。
「よし、行こう」
由美は震える脚に《動》の力を込めて立ち上がり、ふらふらと歩きだした。
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