第27話 裏腹

 由美にできることといえば、紗奈子に泣きつくことくらいだった。そんな時、頼りになる友人はいつも、素晴らしい提案をしてくれる。


「わかった。由美だけじゃ心配ってことで、私もやるよ」

「え、いいの?」


 由美としては願ってもない申し出だ。やはり、頼りになる。しかし、紗奈子に手間をかけてしまうことは、申し訳なくも思う。


「いやいや、利害の一致ですよお嬢さん」


 おどけた調子で紗奈子が指を振る。意味がわからず、由美は首を傾げた。今はもうない長い髪を支えようと、腕が動いてしまう。長年の癖は抜けないらしい。

 虚空を切った指先を誤魔化しながら、由美は思案をめぐらせた。


「ああ!」


 閃いた由美は、手と手を合わせる。乾いた小さな破裂音が耳に心地いい。


「そゆことー」

「それなら、持ちつ持たれつか……って、佐々木君」

「わっ、佐々木いつの間に」


 上機嫌な紗奈子の背後に、くじ引きで選ばれたもう一人の文化祭実行委員、佐々木 誠が立っていた。更にその横には、由美の同居人が妙な苦笑いを浮かべている。


「あのさ、この前の件もあるし、矢辻さんと俺の二人なのは気まずいというか、なんというか」


 快活な誠にしては言葉の歯切れが悪い。言いたいことに概ね見当はついても、結論までは把握しきれなかった。


「はっきりしないなー」

「まぁ、な」


 紗奈子の指摘を受けても、誠は後頭部に手をやるばかりだった。その様子を見ていた哉太が、仕方がないという風に口を開いた。


「佐々木は由美に投げられたくないらしい」

「おいっ」


 哉太の直接的な物言いに、誠が大袈裟に反応する。ボディガードの一件以来、二人は更に仲が良くなっているようだった。


「なるほど理解した。それで霧崎君を生贄にしようということだね」


 由美の隣に立つ紗奈子が、哉太を見上げた。小柄な体から放たれる、くりくりと可愛らしい視線を受け、哉太は無言で頷いた。


「頷くなよ」


 誠の突っ込みは至極真っ当なものだった。由美はなるべく見つからないように、小さく吹き出した。


「で、由美も笑ってくれたし、本題は?」

「ふぇっ」


 完全に不意をつかれた由美を置いたまま、会話は続いていく。ところどころ笑いを交えながら、正しく誤解なくコミュニケーションをとる。紗奈子の対人能力は尊敬に値すると、常々思っていた。


「矢辻さんも、俺と二人じゃキツイかなと思って、こいつを連れてきた。報酬はダブルバーガーセット」

「正直めんどくさかったけど、報酬に目がくらみました」

「哉太、素直すぎ」


 誠も紗奈子に泣きついた自分と同じことをした、ということだ。おかしな共通点に、由美は再び吹き出してしまった。


「あれだね、矢辻 由美ボディガード隊の再結成だね」

「再結成って、山根、どういうこと?」

「私も由美に頼まれてさ。同居の件を話してしまったのとこれで、チャラというわけさ」

「おお、そうか!」 


 わかりやすく嬉しそうな紗奈子と誠。これで互いが互いの想いに気付いてないというのは、由美にとってあまりにも不思議なことだった。だからといって、当人以外から伝えるのは無粋とも思える。

 横槍なく二人でゆっくり関係性を育てる方がいい。それができなくなってしまった由美は、友人たちが眩しく見えた。


「とりあえず、俺と山根で副実行委員ができるか先生に聞いてみるよ」

「え、なんで私?」

「そういう交渉とか得意だろ?」

「まぁ、そうだけど」


 紗奈子は文句を言いつつ、にんまり笑みを浮かべる。

 口から出る言葉と表情に大きな乖離のある友人は、一向に気付かない想い人と共に教室を出ていった。取り残される形になった由美と哉太は、教室の端で立ち尽くしていた。


「これは、待ってないといけないよね」

「そりゃ、そうだろうな」


 結衣との約束を告げられて以来、二人きりになるのは初めてだった。正直なところ、由美は哉太に何と話しかけていいのかわからない。


「あのさ」

「う、うん」

「ありがとうな」

「え?」


 沈黙を破った一言目は、意外な礼の言葉だった。思わず聞き返してしまった由美に、哉太は小さく苦笑いをする。


「結衣さんの件、元々は由美から言ってくれただろ? お礼を言うタイミング逃しちゃってたから」

「ああ、いいよ、そのくらい」

「そっか」


 明るく振舞ってはいるが、心の傷はそうそう癒えることはない。目の前で親しい人を失った痛みは、いつまでも正気を蝕んでいく。

 もう五年経った由美でも忘れられない絶望。数ヶ月前の出来事である哉太は、もっと辛いはずだ。


「少しでも役に立ててよかったよ」


 それは由美の本心だった。優しく強い相棒は報われるべきだ。自分にできることなら、してやりたい。


「あのさ」

「ん?」

「由美は、いいのか?」


 遠慮がちに、様子を窺うように、哉太がこちらを見る。代人の相棒として、由美の心を見たからこその台詞だった。


「うん、もう無理だからね」


 由美は意図して笑ってみせた。おそらく、かなり歪んだ笑顔だったろう。

 あの人はもういない。自分のせいで消えた。その事実は永遠に、由美を苛む。苛まれ続けなければならない。


「何か俺に」

「紗奈子たち遅いねー」


 哉太の言葉を遮り、由美は廊下へと目をやった。彼が優しさを向けるべきは、同居人でも相棒でもない。傷を隠している自分自身にこそ、それが必要なのだと思う。

 義姉との恋が彼の生きる意味になるのなら、とてもいいことだ。仮に結衣が満更でもないのなら、いつか義兄と呼ぶこともやぶさかでない。


「由美……」

「デートはどこ行くの?」

「あー、結衣さんのお任せって。ご褒美だって言ってた」

「いいねー、大人の女性にリードされるなんて」


 強引に話題を変えた由美はもう、哉太の方を見ることはできなかった。少なくとも今は、余計なことを言ってしまいそうな気がしていた。

 具体的に何かは見当つかないが、きっと今の関係性を壊してしまう。漠然とした恐怖が、普段言わないようなことを口にさせていた。


「おーい、副実行委員のオッケーもらえたよー」

「おかえりー、やったねー」


 誠と並んで廊下を歩く紗奈子に、由美は大きく手を振った。

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