第9話 詰所

 担任が去った後の教室は、転校生の周りに級友が集まっている。爽やかに笑う少年に、皆興味津々のようだ。哉太の対人能力は、目を見張るものがあった。

 人の輪に入るのを苦手とする由美とは、まさに対極の存在だ。クラスメイトからの質問には的確に答えつつも、代人のことなど言ってはいけないことは上手く隠している。

 事前に準備していたのだろうが、由美にはできない芸当だ。当然、由美との関係についてもおくびにも出さない。


「由美も行かなくていいの?」

「うん、興味ないし、あれには入れないよ。そういう紗奈子こそ」

「私はいいの。落ち着いた頃にするよ」

「そっか、優先順位あるもんね」

「もう、またそういう事を言う」

 

 由美の返しに、紗奈子は顔を赤くした。こういうわかりやすい部分も彼女の魅力だ。


「誘いに行きなよ」

「うーん」

「こういう時だけ歯切れ悪いよね、紗奈子は」

「もう」


 普段ははっきりとした物言いをする紗奈子だが、唯一言葉を濁す話題がある。他人の恋愛には積極的に関わろうとしつつも、自分のことになると、途端に消極的になる。


「ほら、佐々木ささき君、帰っちゃうよ」

「あー、名前言ったー」

「はいはい、行きなさい」

「あーうん、頑張る」

「また明日ね」

「うん、また明日」


 紗奈子は同じ学校に通う佐々木ささき まことに恋をしていた。昨年度から同じクラスだったため、由美ともわずかに面識がある。

 紗奈子と同じく人懐っこい性格ながら、静かで包容力のある印象だった。何度か会話したこともあり、友人が惚れることも理解できる好人物だ。

 

 二人は中学からの友人で、その頃から好意を抱いていたそうだ。同じ学校を狙ったと、紗奈子が白状したのを聞いて微笑ましい気持ちになったのを、由美は今でも覚えている。


「さて……」


 友人の背中を押した後、由美は小さく呟いた。少ない荷物を鞄に入れて席を立つ。

 斜め前方に見える人だかりは少しだけ小さくなっていた。彼が解放されるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。先に帰ってしまっても大丈夫だろう。

 そもそも、一緒に帰るなどという選択肢自体が非現実的だ。由美は紗奈子ではないし、特別な感情を抱いているわけではないのだから。


 校門を出て駅までの独り道。名前も生い立ちも知らない、同じ服を着た者に交じり歩く。一年以上も通えば、もう慣れたものだ。

 電車に乗り、バスに乗れば、辰浦高校の制服は自分だけになった。ここから由美は、目立たない女生徒から人々を守り戦う特別な存在へと変わる。その心境の変化も、既に慣れてしまっていた。


 代人たる由美には、帰宅前に行くところがあった。この地域で最も大きな神社である幕森大社だ。

 鳥居の前で一礼をし、短い石段を上る。通常の参拝順路から外れ玉砂利を踏みしめた先に、由美や結衣が所属する組織の詰め所がある。


「こんにちは」

「ああ、由美ちゃんおかえり。今日も暑いよね」

「はい、汗かいちゃいました」

 

 入口付近を箒履きする青年と目が合い、軽く会話を交わす。自然と言葉が出てくるあたり、学校での自分と違うのは自覚できている。矢辻家に入ってからもう五年、組織の人々とは顔なじみとなっていた。

 

 詰所の一番奥に代人だけが入室を許されている部屋がある。修練所と呼ばれるこの場所は、新月の夜と同じ環境が作られているらしい。

 今となっては、その原理を知る者はいない。先代の代人である優子も知らないそうだ。

 

 学校が終わればここに顔を出し、訓練に励む。五年前から由美に課せられた義務のひとつだ。

 代人としてだけで考えれば学校に行く必要などない。しかし、優子をはじめとした組織の者たちは、人を守るために人として成長するべきだという考え方を持っていた。そのため、由美は高校生と代人という二足の草鞋を履く生活を続けていた。


「おかえりなさい、由美」

「ただいま、結衣姉さん」


 修練所の手前にある事務所から、義姉が顔を出す。名目上は地方公務員である結衣は、組織関係以外にも仕事が与えられており基本的に多忙だ。

 先代代人としての人脈を生かして関係者との調整役をする義母といい、由美には到底真似できないと思わせる姿だった。


「あれ、哉太君は?」

「たぶん、後で来るよ」

「一緒じゃないんだ? いろいろ説明してあげてほしかったのに。お母さん今日もいなくて」

「うーん、さすがに無理だよ」

「ああ、なるほど」


 一瞬だけ学校での顔になった由美を見て、結衣は状況を理解してくれたようだ。察しのよさに感謝しつつも、頼れるのはここまでだった。あの部屋での中のことは、現在では優子と自分しかわからない。


「待っててあげてね。初めてなんだし」

「うん、先に始めてるから、来たら教えて」

「あー、そういう意味じゃないんだけど、まぁいっか」

「ん?」

「いいよ、哉太君来たら声かけるね」


 結衣の意図は由美には伝わらなかった。義姉とは逆に察しが悪いのだ。それも自分で把握できているから、あまり気にしないようにしている。

 由美は気持ちを切り替え、荷物置き場に鞄を置く。黒い靴下を脱ぎ、修練所の襖に手をかけた。

 

 目の前には窓のない真っ暗な空間が広がる。街灯がない分、あの夜よりも闇を感じられた。ひんやりとした板張り床の感触が素足に伝わってくる。それは、日課となっている訓練開始の合図であった。


 襖を閉じ、隙間から入る光を頼りに足を進める。一般的な道場程度の広さがある空間の中心で、由美は膝をたたみ正座をした。

 目を閉じ意識を集中すれば、自分が浮遊していくような感覚となる。《調》とは違い、身体と精神が離れるような気持ち悪さは感じない。

 

 夢想のような空間の中で、由美は一人立っていた。目の前には異形の輪郭が見える。猫背で腕の長い巨体は、荒魂のものだ。

 

「よし……!」


 右手には青白く光る刀が握られている。由美は《動》を使い、想像上の荒魂へと駆け出した。哉太への複雑な感情は、一時的に消え去っていた。

 

 前回の戦い以降、想定する荒魂の行動は更新されている。腕を千切り投げる、連携した行動をとるなど、これまでは考えられなかった要素も取り入れたものだ。

 模擬戦の中、由美は何度も殺された。当初は泣き叫んだこともあったが、今となってはもう何も感じない。実戦での恐怖心の消失は、ここに要因があった。

 

 自分の死すら冷静に受け止め、そうならないような対策を考える。代人の訓練は、技術だけでなく精神も研ぎ澄ます必要があった。


「由美ー、哉太君来たよー」


 十三体目の荒魂を斬り伏せた時、現実の自分が結衣の声を聞いた。暗闇の中で目を開いた由美に、別の意味での緊張が走った。

 これから彼女は、訓練で鍛えられる精神とは別の部分を試されることとなる。

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