第24話 錯乱

 命の色は、仄かに青い。

 荒魂に存在を喰われた直後、それは僅かに光る。代人だけにしか見ることのできない、ある個人が生きた証だった。


「ふっ!」

 

 歯を食いしばった由美が薙刀を振り抜く。目前の巨体は腰から両断されてなお、その異形を維持していた。


『由美、動きが荒くなってる』


 哉太の忠告に応える余裕はなかった。起き上がろうとする上半身を右足で踏み、手にした刀を突き刺した。

 一時の余裕があるとはいえ、いつ襲われるかわからない状況は精神を疲弊させる。常に集中していることを強いられる哉太の方が、由美よりも深刻なはずだ。

 辛くとも弱音は吐かない。いつの間にか交わされていた暗黙の了解だ。

 

『後ろ、来るぞ!』

 

 足元の感触がなくなるのとタイミングを合わせるように、右後方に造られた盾が割れた。そのまま掴みかかろうとする腕を掴み、背負い投げでアスファルトへと叩きつける。

 今夜の奇襲はこれで四度目だ。攻防に既視感を覚えつつ、由美は倒れ込んだ小型の荒魂に止めを刺した。


『大丈夫か?』


 哉太の言葉には、由美を気遣う複数の意味があった。由美の体へ向けたものと、由美の心に向けたものだ。

 遠隔で《造》を発動させるため、二人は深く繋がっている。意思を伝えるのに多くの言葉は必要なかった。


 目の前で人が消える様子は、数え切れないほど見てきた。慣れることはないだろうし、慣れてはいけないとも思っている。

 見る度に五年前が幻覚のように思い出され、吐き気が込み上げてくる。代人としての使命感と荒魂への怒りが、折れそうな膝を支えていた。

 

 哉太も由美に近しい感情を抱えている。むしろ、直近の出来事である彼の方が激しいものを持っているくらいだ。それでも彼の発する意思は優しく温かい。苛烈さを押し殺しているのがわかるから、たまらなくいじらしい。

 だからこそ、由美が口にする言葉は決まっていた。


「大丈夫、ありがとう」


 一瞬芽生えかけた感情に、由美は気が付かなかった。今の《伝》では届かない深さにある、淡い想いだった。


『次の位置を送る』

「了解」


 現状把握できている荒魂は、あと一体。追加で現れる可能性もあるため油断はできないが、まずはそれで一区切りだ。哉太からの情報では、もう既に何人かが喰われているようだった。由美は歯を食いしばった。


『一人でも救おう』

「そうだね。跳ぶよ」

『危険だろう』

「それでも、早い方がいいから」


 由美は哉太の制止を振り切り、高く跳躍した。空中で姿勢を整え、青白く光る弓に矢を番えた。目標とする荒魂まではまだ距離があり、由美の《動》だけで正確に狙うのは困難だ。

 どこかに当たって注意を引ければそれでいい。空中で小型荒魂が現れても、哉太の盾があればなんとかなるだろう。自身でも無茶と思われる行為の意図は、後衛に伝わっているはずだ。


『まったく』

「さすが相棒」


 頭の中に理想的な矢の軌跡が送られてくる。この精度は《調》でなければ不可能だ。意図を汲んでくれたことに感謝し、由美は矢を放った。どこに当てるのかは、頼りになる相棒の判断に委ねる。

 力を受けた矢は弧を描かない。光の筋となり、直線的に荒魂へと向かう。帰宅途中と思われる女性に掴みかかろうとした腕を掠め、左胸へと突き刺さった。


「まさか……」


 強化した視力が捉えたのは、塵のように消える荒魂だった。青く光る矢は、核の中心を射抜いていた。

 荒魂の核は基本的に、人間の心臓に該当する場所に存在する。しかし、個体により微妙に異なり、中には右胸に位置する場合もある。

 

『たまたまだよ』

「うそ」


 由美の言う通り、哉太は嘘をついた。嘘と言うよりは、強がりと表現した方が正確かもしれない。今しがた哉太がやってのけたのは、まさに離れ業だった。


『俺は、大丈夫』

 

 再びの強がり。直後、由美から相棒の感覚が消えた。


「結衣姉さん!」


 耳にかかったインカムの電源を入れ叫ぶ。由美の脳裏には、半年前の絶望が浮かんでいた。

 

 新月の夜を守るための力には、大きな危険がある。使い過ぎれば荒魂に喰われた人と同じように、存在が消えてなくなる。

 かつての相棒は、由美が人を守るためにした無茶から庇うため消えた。細かな経緯は誰も知らないが、《調》と《伝》の両方を使い過ぎた結果と想定されている。


 由美は同じ過ちを繰り返してしまった。あの一射のために、彼はどれほどの力を使っただろうか。


「哉太が、消えちゃう」

 

 核を探るだけでも相当な力が必要になる。巨体の体内をくまなく走査し、小さな球体を探すのだ。少なくとも由美にはできない芸当だ。

 それだけでなく、矢の軌跡を設定し、新規の兆候を警戒し、小型荒魂の出現に備えていた。想像するだけで気が遠くなる。


 大まかな軌跡を指示してほしいというつもりだったのだ。軽はずみな依頼が、あまりにも酷い結果となってしまった。集中できないまま着地したため、足を捻り、アスファルトへと体を強く打ち付けた。


「哉太を消しちゃった……」

『由美、あのね、哉太君ね』


 ようやく繋がったインカムから雑音と義姉の声が聞こえる。なにか言おうとしている様子だった。しかし、錯乱しかけている由美にはその意味を咀嚼することはできない。


 哉太も久隆と同じように、皆から忘れられてしまう。憧れの結衣からも、仲の良い友人たちからもだ。

 由美の記憶以外は、代人の記録でしか残らない。あまりにも残酷な終わりだ。


 痛みと疲労を覆すほどの気力が持てず、由美は地面に仰向けになる。ここで小型荒魂が現れたら一巻の終わりだ。

 浅はかな自分への絶望感から、ここで終わってしまってもいいとすら思えてしまう。不意に溢れた涙が目の端からこめかみを伝い、短くした髪の中に埋もれていった。


 眼前に小型荒魂の拳が見えた。諦めと後悔が幾重にも重なり、由美は瞼を閉じた

 

『何やってんだ!』


 頭に響いた声に、由美は目を開いた。右腕が他者からの意思で、強制的に動かされている。


『結衣さんの話を聞けよ』

「え?」


 いつの間にか右手に握られた短槍が、小型荒魂の胸部を貫いていた。


「消えてないの?」

『消えるわけないだろ』

「そっか」

『いろいろ約束があるしな、消えるわけにはいかないよ』

「そっか」


 その日最後の荒魂は、青白い光を放ち消滅した。

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