第6話 動揺
さして広くはないリビングに沈黙が流れる。ソファーの端に座った由美は、ひどく焦っていた。
霧崎 哉太という同い年の少年に無関心というわけではない。しかし、何を話していいのかわからず、何を聞けば正解なのかもわからなかった。
頭は回転し続けてはいるものの、それが言葉にならない。結果として、相手をちらちらと盗み見るという状況が続いていた。
背後にある台所からは、野菜を切る音が断続的に響いていた。あまりリズムはよくない。
「ええと」
「はいっ!」
重くなりつつあった空気に耐えられなかったのか、反対側の端に座る哉太が口を開いた。大げさに反応してしまった由美は、慌てて身を縮こませる。
それを見た哉太は、苦笑いを浮かべていた。状況からすれば逆の立場が相応しいのにと、由美は内心頭を抱えた。
「優子さんから、一通り聞いたよ」
「あ、うん」
表情を整えた哉太は自分に何を言うのだろうか。彼の家族を救えなかったこと、目の前で激しい戦いをしたこと、命を救われたこと、心の中を覗いてしまったこと。様々な予想が頭の中を駆け巡る。
由美の思考は、基本的に後ろ向きだった。
「まず、助けてくれてありがとう」
「え? うん」
予想外の言葉に、由美はまた煮え切らない反応をしてしまう。まさか、礼を言われるとは思っていなかった。
哉太を自分と同じにしてしまったという負い目から、由美はその目を見返すことができずにいた。近しい人間が目の前で無になっていく光景は、彼の傷として残り続けるのだ。
「でも、私は……」
「待った」
思ったままを口にしようとした由美を、哉太が遮った。
「そこも、聞いたよ。それも含めて感謝してる」
「うん……」
代人となって約一年。多くの人々を救うために、結果的に見捨ててしまった人は少なくない。もちろん個人の意思ではなく、結衣をはじめとした組織全体の判断だ。それでも、由美は助けられなかった人を数え続けていた。
代人も荒魂も一般人には認識されない。通常の生活をしている人からすれば、存在しないのも同じだ。だから、感謝されるなど初めての経験だった。
「父さんも姉ちゃんも消えてしまったけどさ、俺はまだここにいるから」
「そう、なんだね」
「まぁ、無理やりそう思わないと、やってられないだけなんだけどな」
「うん、そうだね」
哉太は笑ってみせた。由美は自分にないその強さを、少し羨ましく思った。それと同時に心配にもなる。彼はこれからどう生きていくのだろう。家族を失い傷を抱え生活していくのは、辛いことだ。
少しだけ会話に慣れた由美は、自分の事以外を考える余裕ができていた。哉太には申し訳ないが、同じ境遇から勝手に親近感を持ってしまった部分も否定はできない。
「だから、声をかけてくれた優子さんにも感謝してる」
「母さん?」
「そう。あれ、聞いてない?」
「えっと、何を?」
何か重要なことを聞いていなかったらしい。目を丸くする哉太に、由美は首を傾げた。結衣が梳かしてくれた髪が、さらりと肩にかかった。
「俺も代人になれるって」
「えっ……」
本人の言う通り、哉太には才覚があった。それも一切の訓練をせず《調》と《伝》を発動した。自ら止めることができず存在を失いかけたが、扱い方を覚えさえすれば大きな戦力となる。ただし、それは危険の中に身を置くという事だ。
「危ないよ。聞かなかった? 消えちゃうんだよ?」
「うん、聞いた。でも、やることにした」
「でも……」
由美は自分のことを棚上げしていることに気が付いていなかった。代人は危険だと思う。それほどまでに半年前の事故は忘れがたいものだったのだ。
「今の代人は一人だって聞いたから、余計にね」
「私の、せいだね……」
哉太に決心をさせた理由は、自分の未熟さだった。そう受け取ってしまった由美は、黙って膝を見つめることしかできなかった。
「違う。俺らと同じようになる人が減ればいいなって思ったから」
「俺ら?」
「そう。あと、俺を助けてくれた恩返しもしたいし」
「あっ……」
由美は自分の顔が熱くなるのを感じた。数秒前とは違う意味で顔が上げられなくなる。同年代の異性から肯定的な言葉を向けられるなど、初めてのことだったかもしれない。
「なので、よろしく」
「ええと、こちらこそ」
ここまで言われてしまえば、拒否する言葉は出てこなかった。感情や意思をここまではっきりと言葉にできる哉太とであれば、共に戦うのも悪くないと思えた。
通常体制の二人組となれば、由美自身の負担は大幅に軽減される。それは、被害者を減らすことができるのと同義だ。あの時のように油断をしなければ、存在を消すほどの力を使うこともないはずだ。
「だから、ここに来た」
「ん? ここに? ああ、そうだね」
「そうそう」
代人候補となるにあたって、相棒となる由美や指揮をとる結衣に挨拶をしに来てくれた。哉太の律義さには好感が持てる。これからも上手くやっていけそうな気がした。
「優子さんも、霧崎のままでいたいって言ったら許してくれたし。保護責任者としてでも、なんとかなるんだって」
「ん?」
「さすがに、独り暮らしはきついなと思っててさ」
「んん?」
「それに、あんな美人のお姉さんがいるなんて、ある意味幸運だったかも」
だんだんと口調が砕けてきている哉太の言葉が、由美には理解できなくなっていた。
「んーと……」
「どうした?」
断片的な情報から、由美は思考を巡らせる。
未成年が親を亡くしたのだから、誰かに引き取られることになるはずだ。代人候補なのだから、幕森の地に留まる必要がある。そして、優子が保護責任者で独り暮らしではない。
「もしかして、ここに?」
「え、それも聞いてなかった?」
「ええええええええ!」
由美は思わず立ち上がり、絶叫した。
「大きな声を出してどうしたのよ? 簡単なので悪いけど、食べましょ」
台所からやってきた結衣が驚いたように問いかける。由美は今更になってソースの香ばしい匂いに気が付いた。昼食は焼きそばらしい。
「結衣姉さん……」
「おお、うまそう!」
露骨に表情を明るくする哉太と困惑の隠せない由美が、同時に後ろへ視線を向けた。
皿を持ったエプロン姿のお姉さんは、確かに美人だった。
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