第15話 相棒(第2章 完)
戦いを終え詰め所に戻った由美を待っていたのは、涙声の義姉と俯いた相棒だった。
「由美!」
「結衣姉さん……」
長身の由美に小柄な結衣が抱き着けば、どちらが姉かわからなくなる。背中に回る細腕の力で、改めて生きていることを実感した。
義姉の頭頂部から、視線を前に移す。自分とお揃いの道着を着た少年が、気まずそうにこちらを見ていた。
何か言おうとしている様子だが、言葉が出てくることはなかった。由美としても、少なくとも今は何も話せる気はしない。
「とりあえず、入ろうか。哉太君も」
「うん」
「はい」
無理に落ち着いた声を出す結衣に従い、二人は詰め所の中へと向かった。
荒魂との戦いの後は、代人による結果報告が行われる慣例となっていた。ただし、今回はいつもとは雰囲気が異なっていた。
「由美ちゃん、お疲れ様」
「大丈夫かい?」
「無理はしないでね」
誰もが由美の髪を見て、気遣いを口にしていた。身内に近い組織のため、往々にしてこういった慣れ合いは多くなる。それを含めても、今回は異例の様相だった。
由美自身、彼らの優しさをどう受け取っていいのか判断がつかず、軽く頭を下げる程度が限界であった。
「大体は、俺が報告しておいたから」
哉太の言う通り、その日の報告会は由美に対しては簡単な聞き取りのみで終了した。久隆がいた時も、先に報告してくれていた。些細なことでも彼を思い出してしまい、胸が痛くなった。
「じゃぁ、今日は帰って休んで。学校も休んじゃおうか」
「そうする」
「あ、俺は学校行きます。転校したばっかりだし」
「そう、じゃぁ、由美の分は明日連絡しておくね。たぶん私も母さんも明日は帰れないから」
「うん、大丈夫だよ」
結衣に見送られつつ、由美と哉太は送迎の車に乗った。これから彼女たちは、徹夜での仕事が待っている。隠蔽工作、政府との調整、被害者有無の再確認など、組織としては事後処理の方が多忙となるのだ。
特に今回は、予兆なく出現した小型荒魂についての調査も重要事項となってしまった。
そして、命を張った代人は、次のために休息をとることが義務となる。
「あのさ」
「うん」
「次はもっと上手くやるから」
「うん」
辛うじて相槌を打つ。哉太の誠実な言葉に、上手く応えられないことが悔しかった。亡き相棒への想い、死への恐怖、仲間への感謝、新しい相棒との関係性。複数の感情が絡み合い、どれが本音でどれが建て前か自分でも判断できない。
程なくして車は矢辻家に到着した。運転手に礼を言い、家の中へと入る。ドアの奥から流れ込む冷気が心地いい。あまり褒められたことではないが、冷房は入れたままだったようだ。
「先、シャワー浴びていい?」
「おう、どうぞ」
本当はそのまま眠ってしまいたかった。しかし、埃にまみれた道着と汗だくの体でベッドに入る気持ちにはならない。哉太も疲れているだろうとは思いつつ、自分の欲求を優先した。普段の由美にはできない発想だった。
着ていたものを脱ぎ、洗濯機へと放り込んだ。下着を洗濯ネットに入れるのは、朝になってからと決めた。
脱衣所にある洗面台の鏡に、自分の姿が映る。疲れ切って半眼になった顔に、肩の上あたりで斜めに切られた髪。酷いものだった。皆が気遣うのも無理はない。
「はぁ……」
ため息をつきつつ、ぬるめの湯で体を流す。少しだけ落ち着いたような気がした。今までよりシャンプーとコンディショナーの使用量が少なく済んだことが、無性に可笑しかった。
「先に使わせてくれてありがとう。出たよ」
「うん、じゃぁ入る」
「はーい」
少し前なら、自分が出た直後に風呂場を使われることは恥ずかしくて仕方がなかった。それも今となっては、さして意識することはない。同居人として馴染んだ証拠だと思えた。
様々な思考が頭を駆け巡るが、今はとにかく眠りたかった。髪を乾かすのにも時間がかかるため、考え事をしている余裕はあまりない。
「あ……」
頭頂部から髪先にかけてドライヤーの熱風を送っていたつもりだった。無意識の習慣で、何もない場所に指を持っていっていた。今までの長さが体に染みついていたようだ。そういえば、洗髪していた時も似たようなことをしていた。
髪はこれまでの半分ほどの時間で完全に乾かすことができた。そんな当たり前の事実に、由美はいつの間にか声を上げて笑っていた。
本意ではなかったし望んでもいなかった。決して喜ばしくも思っていない。それでも、何か重いものから解放された気がしていた。
翌日、由美は昼前まで睡眠を貪っていた。心も体も疲れ切っていたため、予想通りといえば予想通りだ。哉太は真面目に登校したようだった。自分と同じく疲れているはずなのにと、大きく感心してしまう。
雑に焼いた卵と作り置きの味噌汁で昼食をとった後、由美には行くべき所があった。
「よし」
オーバーサイズのティーシャツに長めのスカート。いつもの私服に着替えた由美は、小さな気合と共に家を後にした。決心が鈍っていないことが、少々誇らしかった。
向かうは、行きつけにしている近所の美容室だ。
「いいの? 由美ちゃん」
「はい、やってしまってください」
馴染みの女性美容師が眉を八の字にして問いかける。店内に入った由美が「ちょっとした事故で切ってしまいまして」と告げた時は目を丸くしていた。
カットの注文を聞いた美容師は、さらに表情を曇らせる。髪を伸ばし始めた理由も知っているため、その戸惑いは相当なものだっただろう。
「由美ちゃんがいいなら、わかったよ」
「お願いします」
鋏の音と共に、黒い髪が床に落ちる。昨日までの由美であったら、思い出を失うことと同義に感じていただろう。
しかし、今はそうとは思わない。消えないものは消えないのだ。それどころか、形として残したいと思うあまり、自分を縛っていたのではないかとすら感じられる。
「はい、できたよ」
「ありがとうございます」
無造作に切られていた髪は耳の下あたりまでに、長かった前髪も眉の少し下で整えられている。
鏡に映る自分は、心まで軽くなったようだった。気の持ち方で簡単に変わってしまうものだと、由美は内心苦笑してしまった。これからは少しだけ背筋を伸ばして歩いてみようと思う。
料金を払い家路につくと、ちょうど帰宅してきた哉太と鉢合わせた。あんぐりと口を開いた同居人は、そのまま動きを固めていた。
「ボサボサになったから、切っちゃった」
「お、おう……」
「でね、いろいろ考えたんだけどね、やっと決められたよ」
「え、ん?」
話についていけていない哉太を無視し、由美は言葉を続ける。昨夜からずっと考えていた台詞だ。少しでも間違えてしまえば、照れくさくて続けられなくなる。
「由美って呼んでもらおうかなと。あ、もちろん学校ではだめだよ」
「うん」
「それと、私を救った責任はとってもらうよ」
「お、おう」
「あんな怪物、私たちで全滅させちゃおう。ね、哉太」
言うだけ言って、由美は脱兎のごとく家の中へ駆け込んだ。
「そうきたかー」
呆然とした哉太の呟きは、由美の耳に入ることはなかった。
第2章 『記憶と相棒』 完
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