第29話 休日

 文化祭の実行委員となった由美の学校生活は、これまでよりも大幅に慌ただしくなった。割り当てられた仕事は、外部入場者の事前把握と当日の受付だ。

 文化祭には生徒の家族や友人など、多くの関係者外が校内に立入る。無制限に認めてしまえば、問題が発生した場合の対処がしづらくなってしまう。そのため、先行して入場者リストを作るという対策をとっていた。


「あーもう! 私の土曜日がー」


 貸し出されたノートパソコンを操作しつつ、紗奈子が叫びを上げた。全校生徒向けのアンケートを作るという作業量に耐え兼ねてのことだ。

 翌週月曜の締切に対し、金曜日までに終わらなかったことから、四人揃って土曜に登校している。


「紗奈子、ごめんね。やらせちゃって」

「うむー、仕方ないー」


 由美たちの中で、まともに表計算ソフトを扱えるのは紗奈子だけだった。それでも手馴れているわけではなく、探り探りでの作業だ。当然、順調には進まず、予定よりもかなりの時間がかかっていた。


「はい、これ」

「おおー、助かる」

 

 感謝と申し訳なさを抱えて、由美は机に缶を置いた。紗奈子の愛飲する【最大極甘ミルクコーヒー】だ。

 中身を半分ほど飲んだ紗奈子は、再びパソコンにかじりついた。


「よし、糖分も補給したし頑張る!」

「山根、お前よくこんなの飲めるな」

「あ、佐々木も飲む? 今なら間接キスだよ」

「いらんわ」

「少年、なんともったいない」


 多忙な中でも仲の良い二人を見るのは、由美としては楽しいことだ。ただし、この後に続くアンケートリストの確認作業はまさに拷問だった。  

 代人の訓練を減らすという優子の配慮がなければ、哉太と揃って目を回していたことだろう。「青春をちゃんとやるのは人としての訓練と同じ」と語った義母には頭が上がらない。


 作業は、日が傾く頃まで続いた。完成したアンケート用紙を、事務作業に追われる生徒会に提出し、四人はようやく帰路につく。


「終わったなー」


 最終確認でかなりの活躍を見せた誠が体を伸ばす。哉太との鮮やかな連携がなければ、周囲は暗くなっていただろう。


「ごめんね、いろいろやらせちゃって」


 結果としてあまり役に立てなかった由美は、友人たちに頭を下げた。本来であれば、自分がやらなければならなかったことだ。巻き込んでしまったような責任感もある。


「いいよ楽しかったし。霧崎の羨ましい話も聞けたしな」

「ふふふ、いいだろう」


 作業の途中、哉太は誠に翌日のお楽しみを自慢していた。下宿先にて同居している美人のお姉さん、つまり結衣との外出だ。


「結果報告しろよ」

「あ、私も聞きたーい」


 盛り上がる三人を見て、由美は少しだけ胸が痛んだ。言葉にならないその感情は、内心では理解できている。しかし、正直に認めるのは難しいものでもあった。


 翌日、由美が意図して朝寝坊をしていると、結衣の「いってきまーす」という声が聞こえてきた。昨日の夕飯時に、哉太には一時間ほど後に家を出るよう指示していた。

 義姉曰く、デートには待ち合わせが必須だそうだ。そんなこと生まれてこの方経験がないが、結衣のこだわりもなんとなくわかる気がする。


 しばらくして、慌ただしい物音が家中に響いた。必死の形相の哉太を想像しつつ、由美は布団にくるまった。


 今日の二人がどこで何をしているのか、由美は知らない。家族と相棒とはいえ、そこまで入り込むほど野暮ではないし、聞きたくもなかった。それに、そもそもこうなったのは、自分が言い出したからだ。

 大好きな義姉と、気の置けない友人兼命を預ける相棒。二人が幸せならば、それでよかったはずだ。あの二人なら、幸せになってくれるかもしれない。そんな期待も抱いているくらいだ。


「もう!」


 なんとも落ち着かない感情を抱えつつ、由美は無理やり目を閉じた。外は肌寒いを通り越し、冬の足跡が聞こえる季節だ。きっと二人は体を寄せ合っているだろう。

 自分の体温で暖まった布団の中、由美は再び眠りに落ちた。


 どのくらい惰眠を貪ったのだろう。カーテンの隙間から入る陽の光は、既に頂点を過ぎたようだった。

 優子がいるならとっくに叱られているような時間だ。何もないということは、おそらく義母も出かけている。


「んー」


 ベッドから這い出た由美は、唐突に空腹を思い出した。


「あー」


 意味の無い音を口から吐き出しつつ、一階のキッチンへと向かう。寝巻きのままで、はしたないと思いつつも面倒さが勝利した。哉太がいないのだから、そんなこと気にする必要はない。


 玉ねぎを軽く刻み、油を引いたフライパンで炒める。軽く火が通ったら、溶き卵を流し込む。黄色く半熟になったら、炊飯器に保温されている白米を投入。味付けは塩胡椒とケチャップだ。


「よし」


 雑なケチャップライスを頬張りながら、テレビの電源を入れる。流れていたのは再放送の恋愛ドラマだった。

 遅い一人の昼食は、妙に味気がない。最後のひと口を麦茶で流し込み、両の掌を合わせる。


「ご馳走様」


 誰にともなく呟いた後、そのままだらしなくソファーに寝転がった。ドラマの終わったテレビは、見知らぬ芸能人の熱愛報道を垂れ流していた。


「よし」


 身を起こした由美は、洗い物を後にして自室に戻る。再度寝る程の気持ちにはなれず、とりあえず着替えようと思っていた。

 一応程度にカーテンを開くと、いつの間にか空は茜色に染っていた。


「お?」


 机で充電したままだった携帯電話のランプが光っている。メッセージが着信していることを示す点灯パターンだ。

 由美へと送られるのは、紗奈子からの何気ない連絡がほとんどだ。最近はクラス内のグループにも入ったため、そこでのやり取りがあったのかもしれない。


「ふぇーい」


 自分でも鼻で笑ってしまうくらい間抜けな声を出しつつ、携帯電話のロックを解除する。二度寝から起きた由美は、思考を放棄することを選んでいた。


「えっ……」


 送り主は哉太だった。代人の訓練に関係する連絡事項が並ぶ中、最新のメッセージを見た由美はただ呆然とする。


『振られた』


 なんの飾り気もない四文字。由美は携帯電話から目を離すことができなかった。

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